「育児仲間はイケメンだった」(長女1歳)
困ったことがあった。
妻の職場はアメリカだけでなく、いろんな国から人がやってくるということもあって、配偶者へのケアのためのイベントやグループがあった。見知らぬ国に配偶者の仕事のために来て、孤独に暮らす人が多かったからなのだろう。
その中の一つに育児をする人のためのグループがあり、月に一回集まって交流するというものだった。さまざまな国から来ている人もあって、育児だけでなく生活や文化の違いに対する悩みなどを相談し、交流している。
僕もそこに長女を連れて行ってみた。
女性ばかりの場所だったら気が引けて行かなかったと思うけど、誘ってくれた主催者の1人が男性だったということもあって、行くことにした。アメリカはジェンダーバランスを基本に考えることが多く、こういう育児の交流の場でも主催者は女性と男性の2人になっていたりする。
僕が行ったとき、そこには女性たちしかいなくて、少し気まずい感じもした。乳児もいるので授乳していたりするので、あっち向いたり、こっち向いたりしていた。授乳している人はアメリカということもあるのかあまり気にしていない感じではあったけれども、こっちが気にしてしまう。
少し遅れて男性の主催者がやってきた。彼は手土産に手作りのクッキーを焼いていて遅れてしまったとのことだった。そして、電話が鳴って話している。周囲の人が笑っていた。
「妻から、こんな出来損ないのクッキーを持って行って、みんなに配ったの?って叱られたよ」
そもそもイケメンな奴なのに、愛嬌もあって、人を笑わせる。もしかして王子様ってやつかもしれないと思った。
男性は彼と僕しかいないということもあって、なんだか仲良く話すようになった。お互い本が好きということもあって、ボストンのあるニューイングランド地方のおすすめの詩人の名前を聞いた。読んだらその詩人について話そう!と言われた。
その後も彼とはたまに会っていた。子供を連れていける写真展やちょっとした集まり、劇場にも連れて行ってくれた。
妻も彼に会った。一緒にいる写真を日本の友人に送ると、彼の名前はエリック(仮)としておくと、「エリ様」と呼んで、今日のエリ様情報が一つのコンテンツになるくらいになった。
エリ様は長身でスラリとして優しい。
妻と長女と僕、それにエリ様とエリ様の長女の五人で出かけた。カフェに寄ろうということで、抱っこ紐に長女を入れた僕が店内に入り、席の確保をしていた。そのとき、妻は路上でエリ様と話をしていたらしい。そこに妻がボストンで会った日本人の知り合いが通りかかった。
「え! この人がイクメンの旦那さん! かっこいい!」
はしゃがれたらしい。その場で訂正はしたらしいのだけれども、夫がイケメンというイメージがついてしまった。それ以来、妻のボストンでの知り合いに会うと申し訳ない気持ちになる。いや、僕が悪いわけじゃないし、エリックが男前なのが悪いわけじゃないんだけれども、イケメンのイクメンというのは何かしらの妄想を掻き立ててしまう。エリックは実在するからイケメンでイクメンな人というのもいることはいるんだ。夢を壊す話じゃないけど、妻の夫はエリックじゃなくて僕だ。なんだか意味不明な話になってしまった。
その後もエリックとはたまに会った。エリックの元に次女が誕生したときにも出産祝いを持って訪れた。部屋が荒れていた。
「片付ける気力がわかないんだ」
とエリックは笑っていた。さすがのイケメンも憔悴していた。ニューイングランド地方の詩人の話をしたら楽しそうにして、詩の話をした。次の土曜日には奥さんに育児をお願いして、ポエトリーリーディングに行くのが楽しみだと言っていた。
うちに双子が生まれたとき、エリックが食べ物を持って訪ねてきてくれた。育児で忙しいのにわざわざ、ありがとうと僕は言った。
「育児で部屋に閉じこもっているとおかしくなりそうだから、外に出られて良かった」
エリックの育児もつらそうだ。
「キャビンフィーバーになりそうだから、君の家に来てホッとした」
キャビンフィーバーというのは、キャビン、客室というかそういう狭い空間にずっといることでおかしくなることを言うらしい。育児はキャビンフィーバーをおこしやすい。日本だと、このキャビンフィーバーのつらさが理解されない。「家にいるだけなんだから楽でしょ?」と思われてしまう。
ディズニーに出てくる王子様のようなイケメンでも育児でへこたれていると、友情以上のものを感じる。白雪姫でもなんでもいいけど、物語でハッピーエンドになったら、その後の育児での憔悴まで描いて欲しいと思うのは、僕も少し育児で疲れていたからかもしれない。