いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ロシア料理に困る!(東京篇)<いいお店がなくなってしまった>

ウォッカは飲める?」(妻、妊娠中)

 

困ったことがあった。

 

僕はあまりレストランには行かない。外食といえばだいたい居酒屋だった。子供の頃に、父親とその友人のおじさんに連れていってもらった居酒屋がとても楽しかった。

 

東京郊外で育ったということもあって、少し大きめの道路にはファミレスがたくさん並んでいた。当時、ファミレスに行くというのは一大イベントで、スカイラークに行ったら次の日には友達に自慢するレベルのイベントだった。

 

いや、単に、僕だけが自慢していたのかもしれない。

 

テレビなどで、何かのお祝いにレストランに行くという場面があった。レストランは高価で滅多に行けない場所だと思うようになった。ナイフとフォークを使うご飯を食べるのは贅沢で、貧しい家庭であれば行くことができないと思っていた。

 

変なことを思い出した。

 

小学生の頃、町内会か何かのイベントで子供たちにレストランのマナーを教えるというのがあった。町内会の人なのか、その親戚なのか友人なのか忘れてしまったけれど、確か誰かの親戚とか言っていた気がするけれど、その人が経営している小さなレストランに子供たちが行くというイベントがあった。

 

僕はとても緊張していた。

 

今考えれば、街の洋食屋さんなんだろうけど、そこでナイフとフォークが出され、ハンバーグか何かを食べることになった。ライスは平皿に盛られ、フォークを裏側にして食べると教わった。もちろん食べにくかった。こんなに食べにくいならナイフにご飯を乗せたって同じじゃないかと思ってナイフにご飯を乗せて食べていたら怒られた。あのマナーは一体なんだったのだろう。

 

レストランというのはマナーがあって、そこでは食べ方ひとつとっても非日常だった。

 

ファミレスに行ったときにも、そういう非日常の食事体験が繰り広げられる。今でもはじめて行ったスカイラークのことはよく覚えている。お金持ちのお坊ちゃんになった気持ちだった。嬉しかったけれど、苦手意識もあった。

 

そんなときに、居酒屋に連れて行ってもらった。つぼ八だったと思う。からあげや鳥の軟骨揚げを食べた。軟骨揚げがとても美味しくて、大人になったら軟骨上げをたくさん食べようと決心した。もちろん、大人になって軟骨揚げをたくさん食べたのは言うまでもない。僕はファミレスよりも居酒屋の方が好きだった。しかし、金額だけを考えてみれば、居酒屋の方がファミレスよりもはるかにお金がかかる。なのに、居酒屋ではお金持ちの坊ちゃんみたいな気持ちにはなれなかった。

 

大人になると居酒屋ばかり。ひどいときでは月に10万円以上を飲み屋で使うのが当たり前になっていた。飲んでばかり。

 

そんな僕でもたまにはレストランを選ばなきゃならないことがある。デートだったり、会食だったり、居酒屋だけじゃ許してもらえそうもないときにそんなことになる。フレンチやイタリアンにも行ってみたし、料亭なんかにも連れていかれたりもした。鉄板焼きや天ぷら屋さんは値段の書いてあるメニュを見るとびびることもあった。

 

自分で行きたいと思うのは、韓国料理屋さんとロシア料理屋さんだった。当たり外れが比較的少ないのがその二つだったからかもしれないし、他にはない食べ物があったりもするからかもしれない。そういえば、モンゴル料理屋さんにも行った。

 

中でもロシア料理は好きだった。

 

妻と結婚する前にも、浅草あたりのロシア料理屋さんに行った。二、三軒あったと思う。小さい店からそこそこ大きな店まであった。小さい店は赤坂にあった店から独立したとかなとかだった気がするけど、そこが一番おいしかった。数年後に探してみたけど見つからなかった。

 

妻と結婚してから、ロシア料理を食べに行こうという話になって、近所でチェックしていたロシア料理屋さんに行ってみた。2軒あった。一軒は洋食屋風。店に入ると真ん中が予約席になっていたので奥の方に案内された。親子でやっている店なのか、お母さんが娘と喧嘩するような感じで営業するスタイル。ちょっと怖かった。

 

予約席に3人家族がやってきた。3人とも物凄い太っていた。僕の知り合いのロシア人が「40過ぎるとすぐに太る」と言っていたことを思い出した。ロシア料理が太りやすいのか、それともロシアの人は太りやすいのかよく分からないけど、予約席の人を見る限りはロシア料理が太りやすいのかもしれない、とか思っていた。しかし、それも違う。量だ。量がすごかった。

 

妻と僕は一人前程度を食べてお腹いっぱいになっていたけれど、そのご家族はどんどん料理が運ばれてくる。すごい勢いで食べている。とくに娘さんの食べっぷりは凄まじく、拍手したくなる感じだった。ご両親が幸せそうに娘さんを見ていた姿が忘れられない。

 

近所にもロシア料理のお店があった。いつもガラガラ。シェフが店先でタバコを吸っている姿を何度も見かけていた。まずいんだろうなあ、と勝手に思っていた。

 

「近所のロシア料理の店さ、いつもガラガラなんだけど、まずいのかな? いちど行ってみる?」

 

とか妻に話して、行ってみた。

 

とてもおいしかったし、シェフは気さくで、食べ終わってからもウォッカをサービスしてくれた。そのとき、妻は妊娠していたので、ウォッカは飲めなかった。いい店だった。ここは洋食屋というより居酒屋みたいだった。シェフがサービスしすぎちゃうからただでさえ売り上げが少ないのに余計に少なくなる、と若い店員さんが言っていた。

 

その若い店員さんは近くのスーパーでレジ打ちをしている子だった。掛け持ちでバイトしているらしい。この子は、この店のロシア料理が好きだから働くことにしたらしい。おいしいしいい店なのにガラガラなのはシェフが宣伝もせずに、店先でタバコばかり吸っているからだ、ということで、SNSを使って宣伝すると言っていた。

 

近所でその子にあった。SNSがバズったみたいで、毎日行列ができているということだった。若い子ってすごいというか、その子の能力にびっくりした。

 

その後、そのお店に行きたいと思ってもいつも混んでいていけなかった。そして僕らは渡米した。

 

アメリカで知り合った友人と住んでいたあたりの話なった。そして例のロシア料理屋の話をしたら、その人は学生時代にそこでバイトをしていたということだった。奇縁。

 

帰国したら一緒に行こう! そんな話をしていた。 大繁盛するお店の話題も聞いていた。帰国後は距離もあったし、乳幼児が合わせて3人いる状態ではそこに行くこともできなかった。そうこうしているうちにシェフが癌におかされて亡くなってしまった。

 

妻は看板のロシア語が少し間違っているんだよね、と言っていた。シェフは独学でロシア語もロシア料理も学んだ人らしい。その店はロシア文学やロシア文化が好きな人たちの中では知られた店だった。きっと間違ったロシア語を指摘した人は何人もいたかもしれないし、逆に独学で学んだシェフの間違いを指摘することを恥ずかしいと思って誰も指摘しなかったのかもしれない、ただ、そんな間違いも含めてシェフを愛していたのかもしれない。

 

ふと、「ウォッカは飲める?」と笑顔でボトルとグラスを持ってきたシェフのことを思い出した。「飲めます、好きです!」そんな感じで、何杯もいただいてしまった。ウォッカを何杯も飲んでいた僕の太ももを妻がつねっていた。