「三女は生まれてから2週間入院した」(長女2歳1ヶ月、双子2週間)
困ったことがあった。
困ったというよりも、困るべきことなのに、心配すべきことなのに、ホッとしてしまった僕の気持ちの処理に困っていた。
妻が双子を妊娠してから、双子妊娠のリスクなどを調べていた。双子妊娠はそもそもリスクが高い。調べれば調べるほど怖くなっていた。
健診に通っていると、胎児の1人が少し小さいかもしれないなど言われたりした。双子を出産した人たちに聞くと、こういうことはよくあることみたいで、双子妊娠で覚悟することの一つが1人は無事に生まれないかもしれないということだった。
双子妊娠も三種類のタイプがあるのは既に書いた。羊膜と胎盤が一つでそれぞれ共有する双子もあれば、胎盤だけを共通の双子。羊膜も胎盤も別々な双子の三種類。羊膜も胎盤も共通だとリスクが高くなる。うちは胎盤を共有するタイプだったということもあって、成長の違いが少し出ることがあるらしい。
健診では1人が少し小さいとは言われもしたけれども、問題のない程度ということでそこまでの心配はしていなかった。
帝王切開での出産ということで、予定の週数まで無事に持ち堪えて、出産予定日に無事に2人とも生まれた。
僕は不慣れな英語を駆使しながら、生まれたての双子を順番に新生児をケアする部屋まで運び、拭いたりなんなりしていた。アメリカでも僕の赤子の扱いが目立ったみたいだった。二度目の新生児ということもあり、少し慣れていたというのがある。
「あなたは医者なのか?」
案の定聞かれた。ボストンにいる日本人に医者は多い。ハーバード大学などに自費や公費で留学する医者が多いからだと思う。ハーバードの事情通に聞くと、自費でハーバードの公衆衛生に留学して、キャリアに箔を付ける日本人の医者は多い、ということだった。医者のハーバード卒はそうやって量産されているらしい。量産型ハーバード卒だ。
そんなこともあるから、僕まで量産型ハーバードだと思われたみたいだ。
「違うよ」
「じゃあ、学生ね。学生なのに双子の親になるなんて大変ね、頑張ってね」
そんな応援をされた。医者に見られたり、学生に見られたり、アメリカも大変だ。電車に乗っているときに音楽家だと思われたこともあった。楽器の一つもできないのに。
「アメリカには妻の仕事で来ていて、僕は主夫なんです」
またまたー、みたいな反応をされてしまった。主夫をしている男性にも何人も出会ったけれど、日本でもアメリカでも主夫は珍しいみたいだった。しかし、彼女たちの誤解もある程度は仕方ない。その病院はハーバード大学とも提携している病院だから、何をしているのか分からない感じの人は大学関係者であることも多い。ホームレスだと思っていたらMITの現役教授だったという話も聞いたことがある。
そんなやりとりをしながら、次女と三女のケアをしていた。三女の顔色が少し変だなと思っていると、さっきまで笑っていた看護師さんが真剣に見ていた。
「チアノーゼかもしれない」
ボクシングの漫画で聞いたことがあった。酸素不足ってやつだ。心配になった。
「軽度の症状だから心配はいらない。病院の規則で退院が少し遅れるかもしれない」
そして、新生児2人を委ねて、僕は妻の入院の荷物をまとめたりして、病室にいる妻に会いに行った。妻にも三女のことを伝えて、心配いらないと話して病院を出た。
次の日から長女を連れて毎日病院に通った。病室の妻は食欲も旺盛で、食べ放題のようなシステムになっているアメリカの病院食をお代わりしたりして満足そうだった。次女と三女も健康そうで、一緒に退院できるんじゃないかとか話していた。
退院する日、三女のチアノーゼは退院の基準を満たしていないということで、妻と次女だけ退院した。病院からは車で迎えにくるように言われていたけれど、車もないし、運転も怖いということで双子用のベビーカーで迎えに行っていた。妻と長女はUberで帰る予定だったけれど、少し歩きたいということでゆっくり歩きながら帰った。つらくなったらUberを呼ぶ予定だったけれども、術後の回復がよかったみたいで、結局、家まで歩いて帰った。三女が退院できなかったので長女と次女がべビーカーに乗っていた。長女は嬉しそうだった。
歩いているときに、僕がオナラをしてしまった。妻に臭いと言われた。そのとき僕は防風仕様の寒冷地用のパンツを履いていた。
妻は笑ってしまって、帝王切開の傷が痛くなってしまった。笑っている人に怒られた。
無事に家に帰ってから、新生児の世話が始まった。二度目の新生児だから準備万端にしていたつもりだったけれども、ミルクの飲みが悪かったりなんなりでそれなりに大変だった。1週間経っても三女は退院できなかった。新生児は次女だけだった。妻の体力も回復してきて、自動搾乳機にも慣れてきた。三女は2週間入院して、やっと退院できた。僕が迎えに行った。
そのあとは2人の新生児の世話だから大変は大変でもあったけれども、三女が2週間ほど入院していてくれたおかげで、妻も多少回復し、僕も新生児ケアの勘を取り戻し、生活のサイクルもできていた。また、長女も赤ちゃんがいることに慣れてきた。
妻と次女が退院してきたとき、長女は妻と離れ離れだったことがつらかったのかずっと甘えていた。そして妻が次女に授乳すると癇癪を起こして泣き叫ぶこともあった。自閉症児には環境の変化が耐え難いということもあって、長女のためにも双子がいっぺんに来るより、次女だけで慣れていく時間は必要だったのかもしれない。妻は長女のケアに時間が割けたし、僕は次女のケアに集中していた。
三女が退院してきたのは、そんな準備万端な状況になってからだった。こんなことを思っちゃいけないとは思いながら、三女が2週間ほど入院してくれてとても助かった。生まれてすぐにチアノーゼでつらかった三女のことを思うと良かったなんて思っちゃいけないんだろうけど、ついそう思ってしまう。たまに三女を見ながら、いまでも申し訳ない気持ちになることがある。