いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

慣らし保育に困る!(再東京篇)<子供がいない時間ができた>

「子供の体調が大事なのは分かるけど」(長女2歳7ヶ月、双子6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

ボストンの保育園はバカ高い。0歳児だと1ヶ月で2000ドルとかになる。1歳児でも1000ドルは超えていたと思う。僕が主夫をメインにしたのはその辺の経済状況もあった。知り合いもいないボストンで仕事を探して子供を保育園に入れたとしても、家事と育児を優先させた仕事で1ヶ月2000ドル稼げるか分からないし、職探しなどの期間も保育園を利用すると経済状況は悪化するだけだと思った。

 

そんなこんなで、ボストンにいる二年間はみっちり育児をした。育休を二年間とったみたいな感じだ。たまに日本からの仕事があって深夜にオンライン会議とかもしていたけど、ボストンの保育園代を稼ぐほどでもない。稼ぎはレンタル倉庫代くらいだった。

 

日本に帰ったら働けばいいとそのときは思っていたし、いくつか帰国後の仕事も決まっていた。まさかコロナでほとんどの仕事がなくなるとは思っていなかった。今も準備をしてはコロナの影響で中止になるという状況が続いている。まあ、それは別にいい。いまは準備のときだと割り切って、主夫と在宅ワークを両立させている。

 

帰国しても、次女三女はまだ0歳ということもあり、保育園に通えるようになったとしても、いつ呼び出されるのか分からないから、在宅の仕事がメインになる予定ではいた。しかし、長女はもう2歳も超えて元気いっぱい。家にいると仕事はできない。0歳児の大変さは小刻みなスケジュールに代表される大変さで疲労と睡眠不足がセットになる大変さ。2歳児の大変さはいたずらと騒音と要望の多さによる振り回される大変さ。

 

どちらが在宅ワークの障害になるかと言えば、それは2歳児だった。

 

夫婦で話し合った結果、帰国したら、まず長女を保育園に入れよう、ということになった。

 

海外からの問い合わせに対応してくれる保育園が一ヶ所あった。認可外だったけれど、僕が子供の頃に通っていた水泳スクールが運営しているところだった。

 

僕は子供の頃、呼吸ができなくなって倒れることが多かった。過呼吸なのか癲癇なのか子供の頃にはよく分からなかったし、母もそういうことはよく分かっていない。一度か二度、「あんたは癲癇だったから」と言われたことがあるし、「あんたは癲癇じゃない」と言われたこともある。母の言うことはいつもよく分からない。覚えているのは、医者から、「この子は長く生きられない」と言われたことだった。僕は呼吸がうまくできない子供だった。そのため、水泳スクールに通うことを勧められて、小学校高学年のときには個人メドレーの選手になっていた。

 

大人になってからも、過度なストレスがあるときは夜中に呼吸ができなくなって起きることがある。すごいびっくりする。台所とか洗面所に行って何かを吐くような真似をするけれども吐きたいわけじゃない。ただ吐く真似をしていると少しずつ呼吸ができるようになってくる。「長く生きられない」と言われた「長く」がどこまでなのか分からないけど、僕が死ぬときはきっとこれだろう。

 

そんな思い出の水泳スクールがやっている保育園だった。僕は気に入ってしまい、認可外で多少高くてもそこにしようと思った。

 

帰国して見学に行くと、とても綺麗で、担当者の方はバタバタしておっちょこちょいだったけれど、それも愛嬌という感じだった。

 

参ったのは慣らし保育だった。子供が環境に慣れるために行わなければならないということだった。2週間くらいジリジリと過ごす。

 

5月あたりに、認可保育園の空きが出ているということで、認可保育園への転園が決まった。そして双子もたしか6ヶ月を過ぎたということと、認可保育園の空きがちょうど出たということでこちらも入園が決まった。上手くいきすぎると思った。

 

義妹が保育士なので待機児童などのことを聞くと、偶然なのか、コロナの影響なのか分からないということだった。都心ほどじゃないにしても待機児童はいる地域でもあった。

 

認可外の僕のお気に入りの保育園から長女は転園した。転園先でもまた慣らし保育だ。今度は2週間じゃなくて、8日間とかだった気がする。園長さんに前の保育園でも慣らし保育をしたばかりというと、新しい環境になると慣らし保育が必要なんです、と笑顔で言われてしまって、言いたいことも言えない世の中になってしまった。

 

双子も慣らし保育。慣らし保育は送ったと思ったらお迎え、それが二ヶ所。たいへんはたいへんだった。慣らし保育が終わってほしいとばかり願って毎日通っていた。

 

慣らし保育が終わった。子供たちがいない部屋を見ながらポカーンとした。自分の家に子供たちがいない。妻が世話しているわけでもなく、保育園に3人ともいる。こんなことはじめてだった。明るいうちから自分の時間がある。トイレのドアも開けっぱなしじゃなくていい。感動的だった。

 

その日は、仕事をサボってリビングでゴロゴロしてしまった。