いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

職場の愚痴に困る!(主夫篇)<人間関係が苦手なのに不思議だ>

「大変なんだろうけど、たまに羨ましくなる」

 

困ったことがあった。

 

僕の本業はフリーランスと言われるもので、決まった職場があるわけでない。取引先みたいなものと直接契約をして、基本的には1人で仕事をしている。企画によっては何人かのチームになることもあるし、部下やアシスタントみたいな人がつくこともあったし、会議もある。人間関係は気楽なものだ。長くても一年で関係をリセットすることもできる。

 

フリーランスだから人間関係がないというわけでもない。定期的な仕事というのもある。フリーランスにとって定期的な仕事は定期収入になるわけだから収入や信頼、実績を考えると、定期的な仕事は大切にしなきゃならない。だけど、定期的な仕事をしていると、チームや取引先との人間関係なんかも出てきたりして面倒にもなる。たまに取引先の会社や組織などから社員にならないか、というお誘いを受けることもあったけど、組織で動くのは苦手だからフリーランスでやっている。僕が苦手というよりも、組織側の方が僕みたいな人間を苦手になるのは少し関係ができてからの雰囲気で分かる。

 

僕はすぐに原則や規則を明らかにしたがる。どんなところでもグレーゾーンがあって、厳密にしないことで円滑に業務を行うことがある。グレーゾーンはグレーゾーンでいいのだけれども、グレーゾーンと思っていても、原則や規則を考えれば違反している可能性がある。あとで何か言われるのは嫌だというのもあるから、できるだけ明確にした上で業務を遂行したいと僕は思うのだけれども、グレーゾーンがグレーゾーンであるためには、はじめから「知らなかった」「分からなかった」という言い訳を担保する必要もあらしい。知らなかったと後で言い訳するために、できるだけ原則や規則を知らないようにするというやり方が僕は苦手だ。

 

原則や規則を知らないこととしてグレーゾーンで仕事をしていると、トラブルがあったときに、裏切りに合いやすい。共犯だと思っていた相手に裏切られてしまう。裏切られても、そもそもの原則や規則を無視していたということで、責任を取らされるというのも嫌な話だ。

 

職場の愚痴って、だいたい、こういう原則や規則をお互いがなあなあにすることからはじまっていると思う。全てを明らかに公明正大に仕事をしている人は頭の硬い使えない奴だと思われるし、多くの場合、グレーゾーンに手を出さない人は公明正大だからというよりも、ただ保守的で自分のことだけを考えているから手を出さないだけという場合も多い。何かをやろうとしたときに愚痴は生まれやすい。黙って動かない上司や裏切る部下、保守的で何も反応のない同僚。そんな中で職場をよりよくしようとしたら、擦り切れてしまう。

 

僕はそんなことが嫌だったからフリーランスになったし、定期的な仕事もそういう面倒な事態になってくると、俗に言われるおいしい仕事であってもやめてしまう。そんなだから何年経っても本業の収入が増えないし、場合によっては始めた頃より低くなった。いつまでも駆け出しの頃と同じように副業でしのぐことが多かった。そんな副業も一年もいると妙な人間関係に巻き込まれて眠れなくなるので、転々としていた。

 

妻はじっくりと腰を据えて仕事をする。頼りにされるタイプだし、人を立てたりするのもうまい。組織仕事は嫌いみたいだけれど、なんだかんだとうまくやっているし、グレーゾーンが嫌いなのは僕と同じだけれど、波風をあまり立てずにグレーゾーンに白黒つけていって、組織のシステムを変えていく。さすがだなあと思う。

 

そんな妻でも仕事の愚痴を言うことがある。

 

仕事の愚痴を聞くのも、主夫の仕事だと思って、うんうん頷いたり、ときには余計かもしれないアドバイスもする。同じような愚痴を聞くと、またそれ? と思うこともあるけど、妻からしたら違う状況での愚痴だとも思うから、できるだけ聞くようにもしている。育児の愚痴だって同じ愚痴でも言葉にして出せるとスッキリするものだ。

 

たまに、仕事の愚痴が羨ましいと思うことがある。

 

僕は組織が苦手だし、愚痴りたくなる環境からはさっさと逃げてしまうわけだから、愚痴が出るような環境に耐えることなんて羨ましいはずもない。なのにたまに羨ましくなる。

 

育児や家事の愚痴だってたくさんあるし、妻にもよく聞いてもらっている。だから愚痴が羨ましいわけじゃない。

 

きっと妻が多くの人たちと関わっているのが羨ましいんだろう。今の僕の人間関係は、家の中と昔からの友人たち、そして減ってしまったとはいえ仕事の関係がある。だけど職場というものはない。

 

妻の愚痴を聞きながら、職場っていいなあ、って思っている。育児や家事も立派な仕事だよ、と言われるけど、職場という感じはない。仕事より家庭の方が大事だと思ってはいても、職場はクソだと思ってはいても、職場の感じが羨ましくなる。言い方はおかしいけど、職場はゲームみたいな感じがしている。

 

働いていると、クソゲーにしか思えないかもしれないけど、ゲームをする楽しさというのはある。それは目の前の衣食住という目の前のことから逃避できる楽しさのようなものかもしれない。