いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

マタニティノートに困る!(東京篇)<妊婦への読み聞かせ>

「続きが気になるノート」(妻、妊娠中)

 

困ったことがあった。

 

はじめての妊娠は、妻も僕も心配ばかりだった。何がどうなるのか、なんとなく情報としては知っていたけれども、何かあるたびにあれこれ調べていた。

 

産婦人科を扱った漫画があって、テレビドラマとかにもなっていた。見やすい絵柄だと思ったので、電子書籍で買って妻と読んでいた。この漫画は妊娠、出産について経験がなかった僕らには情報として役に立ったけれども、あまりにも多くの妊娠出産に関するトラブルもあるので、読めば読むほど不安になる。妊婦にはよくない、という感想を書いている人もいた。そう思うエピソードもあった。

 

漫画やドラマなんだから、いつも同じような出産、妊娠じゃ面白くないだろう。読んでいる方としても、順調に妊娠して、順調に出産して、少しドタバタしたけれども、よくある話みたいなものを何話も読むことはできない。珍しいケースや5%未満のレアな妊娠や出産に手に汗握るのは、物語を消費する際には求めてしまう。もっと刺激が欲しい、というわけ。

 

だけど、あまりにも多くのトラブルに読んでいて怖くなる。思ったのは、聖ペルソナ病院(その漫画の舞台になる病院)では出産したくない、ということだった。

 

マタニティーノートというのがある。

 

妊娠してから、その日数ごとにページがあって、この週数だとこういうことが起こるとか、そんなことが書いてある。妊娠の平均的な話が網羅的に書いてあるので、毎日の妊娠生活を記録するノートとしても使えるし、そのときに不安になったことなどが的確に書いてあったりもする。

 

妻と僕はこのノートを毎日読んでいた。妻がいまこんな感じと僕に言うと、マタニティノートに同じことが書かれていたりする。もはや予言書だった。

 

最初は、そんな感じで、ふむふむなるほど、とか言いながら読んでいたけど、妻と僕の間に変な日課が生まれるようになった。

 

妊婦は突然、不安になったり、怖くなったりする。1人で眠れないこともある。

 

妻の寝かしつけをすることになった。毎日マッサージをして、最後に、マタニティノートを読む。まるで子供を寝かしつけるときに絵本を読むような感じ。

 

妻はこの日課が気に入ったらしく、絵本をせがむ子供のように、マタニティノートを読んでとせがむようになった。僕は少し早いけどお父さんになったように「じゃあ、読むよ」と妻に布団をかけて薄暗がりの中で、ノートを出してきて読んでいた。

 

「今週は胎動が激しくなってきたと思います。それは赤ちゃんがこうこうこういう状態だからです」

 

とかそんな話をしていた。

 

「そろそろ妊娠にも慣れてきたと思います。そういうときこそ注意をしてください」

 

なんて、まるで医師のようにも語っていたけど、予言書を読んでいるだけだ。それだけなのに、妻は妙に安心したらしい。

 

そういえば、妻の同僚が、自分が妊娠のときに使ったマタニティノートを譲ってくれると言ったらしい。その人は風変わりな人で奇矯な行動が目立つ人だ。前に犬を飼っている話をしていたけど、それも勘違いで実際には犬を飼っていなかったということがあった。どういう勘違いでそうなるのか尋常の人間には理解が及ばない。

 

マタニティノートは、ノートである。妊婦が日々感じたことを書き込んだりもする。その人のノートには何が書いてあるのかとても気になったけど、人の日記を読むような罪悪感もあり、読んでみたい気持ちはあったけれども、丁重にお断りをした。変なことが書いてあったことは間違いないだろう。予言書の横に喜劇があるようなものだ。

 

妻の妊娠は比較的順調だった。漫画にはならない。ハイリスク妊婦ということで転院はしたけれども、それは麻酔の問題があるくらいで、あとは順調だった。そういえば、検診前にうどんを食べて妊婦糖尿病の疑いがあった。うどんは血糖値が上がる食べ物の代表格だ。

 

週数が進んで、マタニティノートにも緊張感が出てきた。

 

「胎動をあまり感じられなくなってきたのは、赤ちゃんの頭が下に降りて動きが固定されてくるからです」

 

予言書はピタリと当ててくる。

 

僕の読み聞かせもだんだんと上手くなってきた。明日のことが気になる妻に、明日の予言書の一部抜粋などをやっていた。ノートは残りわずかだった。

 

そうこうしているうちに予定日に近づいてきた。ノートはまだ先がある。どうなっているんだろうと思って、未来を覗くようにページを開いてみた。

 

はじめての出産は予定日を遅れることが多いらしい。予定日の後まで予言書が続くのはそういうことへの配慮なのだろう。

 

予定日の1日先を見てみると、「少し遅れていますが、その分、赤ちゃんは栄養をたくさんとっています」とか書いてあった気がする。そして次、また次、とめくってみる。

 

最終的には、「がんばって」「ぜったい生まれます」という励まししかなくなった。預言者も限界を迎えていた。

 

妻はだいたい予定日あたりだった。預言者からの励ましは必要じゃなかった。