いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

意識の高さに困る!(自閉症児篇)<すばらしい保育園でも話し合いは必要だ>

「療育に否定的な保育園もある」(長女2歳7ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

アメリカにいるときに、帰国後の保育園を探していた。資料提出や見学などが条件になっているところが多く、認可保育園に入ることはむずかしかった。そのため、海外からの手続きでも平気だった認可外保育園に長女を通わせることになった。

 

長女が通った認可外保育園は偏食の長女にも食べられるように工夫してくれたし、面接などで自閉症児であることを説明すると、合意的配慮を率先して行ってくれて、とてもやりやすい保育園だった。療育のことも相談に乗ってくれて、いい保育園だと思った。問題は一つで、保育料が少々お高めだったことだ。

 

1ヶ月もすると、認可保育園に空きが出た。認可外保育園はとても気に入っていたし、長女も楽しんでいたけど、保育料が安くできるなら、ということで転園することになった。

 

転園先の保育園も資料を見ていると、とてもいい保育園で、長女が気に入りそうな遊びがたくさんあった。また、その保育園では、園児のストレスになるようなイベントなども廃止しており、イレギュラーなイベントでストレスを感じやすい自閉症児にとってこれ以上ないくらいの保育園だった。

 

担任の保育士も園長も子供を第一に考えるという方針の元、一人一人の園児に向き合うということをきちんとやっているところだった。

 

長女は少しでも服が汚れると、泣き出してしまう。なのに泥遊びやお絵描きが好きだから、すぐに汚れる。遊んでいるうちはいいのだけれども、遊び終わった途端に服の汚れを気にして泣き出してしまう。そして、言葉で伝えることができない。

 

そういったことも担任の保育士に説明すると、快く対応してくれた。長女の着替えは大量になるけど、保育園の長女の棚がパンパンになるくらいに着替えはあった。靴も上着も替えがある状態。

 

そんな長女の状態にも嫌な顔一つ見せず、子供によってそれぞれこだわりがありますから、という感じで熱心に対応してくれていた。

 

たまにひっかかるところがあった。熱心に対応してくれているし、長女の自閉症からくるパニックなどにもゾーンを作ってくれていた。しかし、「子供はそういうものです」というような感じだった。自閉症児を育てているときに、ソフトな障壁になりやすいのが、こうした子供全般に理解ある感じの対応だ。

 

子供に理解ある対応でうまくいっていれば問題ない。度量のある保育園ということかもしれないし、多くの子どもたちと同じように扱われ、パニックなどが起きてもきちんと対応してくれているのだから、文句を言う方がおかしいかもしれない。僕も妻も、この保育園が気に入っていたし、対応のほとんどに満足していた。長女も楽しく登園していた。

 

療育に通うことを担任の保育士に話した。療育のことは入園時から話している。園長と担任による面接を妻が受けた。

 

「療育には反対です。療育は子供にストレスになってしまうし、子供のリズムを崩してしまう。療育で行うトレーニングは子供を無理に社会化するようなところがあって、のびのびとした成長を阻害してしまう。子供はみんな違うんです。それが普通なんです。社会や親の都合で療育を受けさせることには反対です!」

 

妻は家に帰ってきて泣いていた。

 

障害児だけでなく、小さな子を預けている親は、グッと我慢してしまうところがある。自分が言い返したり、揉めてしまうと、子供がいじめられたり、ネグレクトされてしまうかもしれないと思うからだ。とくに障害児を預けていると、言語障害や知的障害がある子供からは何も聞けないだけに、心配になってしまう。妻が何も言い返せずに耐えてしまったのは仕方ないことだ。

 

その代わり、僕が怒ってしまった。

 

すぐに電話した。園長を叱った。障害者差別になりかねない言動をしていることを理解していないということを話した。長女はアメリカで自閉症の診断を受けたということもあり、帰国後にすぐ手帳が交付されている。定型発達でも、問題行動はあるだろうし、少しの発達の遅れはもちろんある。それを人それぞれと温かく見守るのは素敵なことだと思う。だけど、非定型発達や自閉症児、障害児に対しても、「みんな一緒」というようにしてしまうのは話が違う。スペシャルニーズは特別扱いして欲しいということではない。合理的配慮が必要になる、ということであって、療育に関しても、自閉症児の成長のために必要だから行っている。療育にだって種類があるし、社会的トレーニングが必要なところはそういうことをしているだろうし、長女の場合は言語や発語に関係する療育を行う必要があると診断されている。

 

「言葉が遅れている子もたくさんいますが、みな、そのうち話せるようになりますから」

 

言語が多少遅れている子も定型発達の中にはいる。そして数ヶ月もすれば他の子と同じように発語するようになることもあるだろう。

 

「園長先生は、自閉症の専門家ですか? 長女はボストンにあるチルドレン・ホスピタルという子供の病気などに対して世界的にも権威のあるところが、自閉症であると診断しており、自閉症児に対しるケアをするように医師から言われているのです」

 

嫌な言い方になってしまった。世界的権威などというものは持ち出したくないが、こういうときには持ち出さざるを得ない。変な話だけども、権威嫌いな僕は長女に関しては権威を利用する。そしてアメリカの専門家の権威ある判断は日本の専門家も従うことが多いのだから、気持ちが悪いけれども、アメリカの権威を利用して、説得をスムーズにしようとしてしまう。ハーバード大卒とかそんなのを権威的な肩書きにする胡散臭い人がテレビにも、医者にもたくさんいるけど、ああいう金と時間があれば手に入る権威を振りかざすのも有り難がるのも恥ずかしいとは思う。

 

園長は療育に通うことに賛同することになった。

 

この保育園の素晴らしいところはこれからだ。その後、自閉症と療育に関して、園長と担任の保育士はずいぶん調べたようだ。会うたびに詳しくなっていく。感動した。そして、長女が通う療育に、担任の保育士が見学に行ったりもしていた。長女に対するケアにしても、もともと素晴らしい保育をしてくれていたが、自閉症児に対して日々勉強してくれているのか、長女の癇癪は劇的に減った。

 

いま、僕らは違う都市に引っ越してしまったけれど、長女はいまでもこの保育園に行きたいと言っている。話せば分かってもらえる。自閉症に関しては、自分で調べて勉強している人とそうでない人の差が大きい。優秀な保育士でも対応を間違えてしまうものだ。