いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

リスに困る!(ボストン篇)<動物が寄ってくるのはなぜだろう?>

「読書に適している場所はどこだ?」(長女11ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

読書にはそれなりの集中力が必要になると思われがちだ。実はそんなこともない、電車の中で読んでいることもあるし、喫茶店でも読んでいたり、テレビがついていても読んでいることもあれば、音楽をかけて読んでいる人もいる。いけないことと思いつつも、飲食店でバイトをしているときには後ろのポケットに入れて、隙間時間に文庫本を取り出して読んでいたこともあった。読書するぞ! と集中できる環境を作る必要もない。そんなふうに思っていた。

 

でも、子供が生まれると、泣き声はもちろん、定期的なミルクの時間、オムツの交換、物音や片付けやら準備やらでヘロヘロになって、読書どころではなくなった。以前は、隙間時間が少しでもあれば読書をしたというのに、育児、とくに乳児の世話をしているときには読書が全くできなくなった。

 

部屋の明るさというのはもちろんある。読書にとっての敵は一つしかない。それは暗闇だ。暗いと読めない。電子書籍や電灯付きのルーペ、あるいはヘッドライトなどを付ければ読むこともできるかもしれないけれど、電子書籍にはなかなか慣れないし、読みたい本が入っていないこともあるし、電灯付きルーペは使ったこともない、ヘッドライトはそそられるものを感じはするが、なんだか大袈裟な気がして試せなかった。

 

乳児が泣いたとき、僕の場合は薄暗闇で対処していた。明るい部屋でもいいのかもしれないけれど、すぐに寝て欲しいという気持ちから刺激をできるだけ減らそうと薄明の中で抱っこしたりオムツを替えたり、ミルクをあげていた。そして寝かしつける。そのまま一緒に寝てしまうことはよくあった。

 

そんなことが一年近く続いた。

 

あるとき、子供が騒ぎすぎてヘトヘトになってしまった。妻はその頃は産後うつのような症状もなくなり、新しい環境にも慣れてきて元気になっていた。読書をしに外出したいとお願いした。すぐに賛成してくれた。

 

本を持って出かけた。

 

気持ちの良い日だったので、公園のベンチで読むことにした。子供の泣き声から解放されて、自然の音しかない状況だった。昔から公園のベンチで読書をするのは好きだった。本を読みながらふと目を上げると代わり映えもしない景色が時間や季節で変化していく、そんな変化を何事もなく受け止めて、また読書をする。これが公園の読書の楽しみだ。刻々と変化する環境は苦手なのに自然が織りなす変化は心を落ち着かせる。

 

なんだか素敵な気分だった。

 

カリカリと音がした。カリカカリカリ、耳について離れない。自然の中であれば多少の音は気にならない、車の通り過ぎる音や遠くから聞こえる継続的な音、通り過ぎる人たちの話し声や携帯電話の会話もそんなに気にならない。育児中の僕が気になるのは、子供の泣き声や泣き声が発生するだろう状況で、それも自分が世話をしていない子供の泣き声だったら大丈夫かな、と目をあげるくらいはするけれど、誰かが世話をしているなら微笑ましく見ていられた。

 

なのに、このカリカリはなんだ。気になってしょうがない。

 

周囲を見てみた。何もない。近くの木の上から音がする。鳥かな? と思ってよくみてみると、リスだった。英語でリスを発音しようとするとなかなか難しい。

 

リスが何かを齧っていた。かわいい。かわいいんだけど、ずっと何かを齧ってカリカリしている。そのうち終わるだろうと思って読書を再開しても、カリカカリカリやっている。

 

仕方ないと思って移動した。少し離れたベンチが空いていたのでそこに座った。しばらくすると、またカリカカリカリと音が聞こえる。移動先にも木があった。そしてそこにもリスがいた。

 

同じリスなのか違うのか、リスに詳しくない僕には分からなかった。

 

今度は、リスが齧り終わるまで我慢してみようと思った。リスはずっとカリカリやっていた。同じリスだと思った。なんで僕を追いかけてくるんだろう。まるで長女のようだ。

 

読書は諦めた。僕は不満顔して帰宅した。そして妻にリスのことを話した。妻はそのリスが気に入ったらしい。かわいいリス。

 

僕は不満だったけれども、よく泣く子と一緒で、泣かれている最中はつらいし、やめて欲しいと思うけど、こうして帰宅して、僕についてきてまでカリカリ何かを齧っているリスを思い出すと、かわいいような気もしてきた。