いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

マウントに困る!(ボストン篇)<海外暮らしは、悪いところばかり取り入れちゃう>

「たまに違和感を覚えるタイプの日本人」(長女1歳8ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

ボストンでの生活も一年くらい経つと、それなりに地元の友人、知人というのができてくる。僕も長女を連れて公園などに行っているからか、同じ時間に来るパパやママたちと会って話したりするようになった。

 

日本の公園ではあまり知らないパパ、ママと話すことはないけれど、アメリカでは二、三回会って挨拶するようになると自然と会話がはじまる。何気ない会話をするのが一種のマナーなのかもしれないし、会話もしたことがない知らない人より会話をして知っている人なた方が安心するというのもあるのかもしれない。

 

近所の大きな公園には、トドラースペースというところがあって、幼児だけが遊べる。たまに大きい子がいるけれど、そこはアメリカ、誰かが注意することもあるけど、大体が、その中の大人びた子が「ここはトドラーの場所だからだめだよ」とか言ってすぐにいなくなる。

 

その場所で何人かのママ、パパと話すようになった。多くはアメリカ以外の国から来た人で英語もゆっくりだった。

 

その公園で日本人にも会った。ボストンで会う日本人は大きく分けて2種類いて、気さくな感じの人と、なんだか偉そうなタイプ。そこで会ったのはなんだか偉そうなタイプの人だった。近所の人が持ってきた椅子に座っていた。持ち主の人に片付けたいんだけど、みたいなことを言われているところに僕が居合わせてしまったから、照れ隠しで偉そうに振る舞っていたのかもしれない。

 

「ボストンにはサマープログラムでいらしたんですか?」

 

僕は何も言ってないのに、なぜか、ボストンにある大学のサマープログラムに参加していると思っている。そういう感じでボストンに来る日本人が多いのかもしれないし、日本人相手にも僕は若く見られているのかもしれない。

 

「いえ、妻の仕事で去年からボストンにいるんです」

 

「奥様のお仕事は何をなされているのですか?」

 

はじめてあったのに根掘り葉掘り聞いてきた。当たり障りない程度に応えておいた。彼女はボストンで働いていて、夫はアメリカ人らしい。

 

住んでいるところも近所だった。そして近所にはいささかお高いスーパーマーケット(

Whole Foods)と庶民的でお安いスーパーマーケット(Market Basket)がある。僕は、マーケットバスケットがお気に入りというか、もう信仰に近いくらいになっているので、スーパーマーケットの話になるとすぐにマーケットバスケットの話をして布教しているくらいだ。値段の安さはその運営体制にあるわけだけれども、その話は今度じっくり書いてみたい。

 

「マーケットバスケットってほんと安くていいですよね。週2か3くらいで通ってますよ」

 

「私はホールフーズしかいかないから」

 

うちはたしかに、ボストンにいる日本人の中ではそんなに金銭的に余裕があるわけではない。日本でならそこそこ良い収入でもボストンだと平均収入以下になる。そんな僕らにとってマーケットバスケットは信仰の対象になってもおかしくない。ホールフーズ、Foodは不加算名詞だ! と難癖つけるくらいしかない。お高いがおいしいのは確かだ。

 

つまり彼女は、お金持ちマウントというものをとってきたのだ。お金持ちマウントは別にいいけど、通っているスーパーマーケットの違いで偉そうにする彼女が痛々しい感じでもあった。もしかしたら、僕がひがんでいるだけかもしれない。

 

いや、これは僻みではない。僕はマーケットバスケットの運営に共感しているのだ。キャッチコピーの”More for your dollar”も、ダラーとかモアーとかあるから金金金みたいに見えてしまって下品に思うかもしれないが、このYourは、消費者だけじゃなく従業員のことも示している。貨幣の歴史を考えれば、と長くなるので、ここは今度するけれども、マーケットバスケットは下品でも下劣でもない、「全て食い物たち」よりも品があると僕は信じている。

 

僕が彼女のスーパーマーケットマウントに少し腹が立ったのは、マーケットバスケットの素晴らしさを、その見た目と値段、値段は大事だけど、しかし、それだけで判断していることだった。

 

悶々として家に帰って、妻に話した。妻と友人の集まりで会った人の言葉を思い出した。その人は、ロンドンに数年、そのあとボストンに2年だか3年だかいる人。

 

「妙にこなれた感じの日本人って、その国の悪いところばかり真似しちゃうんだよね。で、日本人の悪いところも直さないから、悪いところだらけの人になる」

 

ホールフーズの女性はそんな感じの違和感があった。キャリアばかりガツガツして効率を追うアメリカ人のタイプもいる。テレビドラマとかで出てくる自己中心的なアメリカ人。人を小馬鹿にして優越感に浸る。そういうタイプのアメリカ人にはあまり会わなかったけれども、いるのは知っている。それに加えて海外にいると目立つ日本人の特徴は、困っている人がいてもスルーしてしまうようなところ、困っている人に自己責任とかなんとか言って傷口に塩を塗り込もうとするようなところ。それぞれの悪い部分ってこんな感じ。

 

自己中なアメリカ人は人を助けたりもすることでバランスがとれているし、スルーする日本人は普段の気遣いや距離感などでバランスがとれる。しかし、自己中で困っている人をスルーするとなると、なかなかやばい人になる。ここまでの人はなかなかいないけど、ボストンで見かける日本人にはこの手のタイプがたまにいた。自己責任を人に求めるのはアメリカでは教養がないことを示してしまうが、日本のエリートは自己責任論が好き。

 

僕はマーケットバスケットの素晴らしさを知らないままこの地に住む彼女が少し気の毒になった。余計なお世話だ。信仰というものはこんな感じだろう。きっと、そのうちアメリカの資本主義はこういう企業を重視するようになる、とか思っていた。

 

1ヶ月くらい後、マーケットバスケットで彼女に会った。気まずそうにしていたけど、僕は満面の笑顔で話しかけた。

 

「マーケットバスケット、ほんといいですよね! 妻がお世話になっている人も通ってるみたいで、この前ばったり会ったんですよ」

 

彼女がマーケットバスケットに通うことを恥じないために、一度だけばったり会った妻が世話になっている人の話もしておいた。彼は僕が知っている中で一番偉い人だ。彼女も別れ際には笑っていた。