「子どもは欲しくないと思っていた」(長女1歳6ヶ月)
困ったことがあった。
長女は生後5ヶ月からアメリカにいる。僕と妻の子育てもアメリカではじまったようなものだ。特に発達に関しては、日本での情報はあまり知らなかった。母子手帳の発達の目安などは参考になった。アメリカには母子手帳はない。
母子手帳や育児書を見ながら、長女の発達が凸凹であることに気がついた。そして言葉の遅れや、クレーン行動、指差しが伝わらないこともあった。睡眠障害や癇癪も普通とは違っていると思ってSNSなどに書いてみると、「うちはネントレしたのでうまく行きました」とか「静かな場所で抱っこをすればおさまりますよ」という本人たちはアドバイスのつもりかもしれないけど、言われれば言われるほど、自分たちがダメな親か、子供がダメなやつなのか、と追い詰められるアドバイスばかりだった。
定型発達と非定型発達の違い。単にこれだけのことだ。
長女の発達は、変な言い方だけど、非定型発達の定型で、非定型発達と言われる子供たちならだいたいそうなるよね、という発達の仕方だった。
これは日本の友人たちに相談してどうにかできるものじゃないと思って、病院に相談し、同じように発達の遅れがある子供を育てているアメリカの友人に話したりして、アーリーインターベーション(早期介入)に申し込んだ。
アメリカの自閉症診断は1歳6ヶ月でなされる。半年待ちくらいになることが多いからということで予約をしておいた。
アーリーインターベーションの担当者が面接にきた。幼児の発達に関する専門家が3人訪ねてきた。長女の状態や反応をいろいろなやり方で検査した。彼女たちは医師ではないが、自閉症の専門家ということで、診断はできないが判断はできた。
「医師ではないので診断はできませんが、オーティズム(自閉症)で間違いないでしょう」
日本に帰ってくると、ASDとか言われて、最初なにを言われているのか分からなかったけど、アメリカでは、専門家も医師も患者や家族に対して使う言葉は「オーティズム」と言っていた。自閉症と自閉症スペクトラムを初期の段階ではあまり分けていないのかもしれない。日本では長女はASDと診断された。
「自閉症には早期介入が有効ですので、これから毎週訪問します。また、病院に行くときにも付き添いをさせていただきます」
頼もしい味方ができた。
「ご家族にも自閉症の方はいますか?」
この質問は病院でもすぐに聞かれる。そして、僕も妻も心当たりがある。このブログを読んでいる方はすでにお気づきかもしれないし、僕も隠したりせずに自分の子供時代のことを書いてきた。長女を育てていると、自分の子供時代を思い出すことが多いからだ。
僕は自閉症だと思う。診断は受けていない。日本だとなぜかすぐに診断されているかどうかを気にする人が一定数いる。風邪をひいたときに「風邪だな」と思う人に、病院に行って診断書がないと風邪だと認めない、というような感じだ。これは職場とかなら分かることだし、自閉症の診断が必要なのは、職場に合理的配慮を求める場合くらいだろう。僕は、自閉症だと思うけど、診断書が必要な場所もない。それに自閉症としての状態でずっと生きてきてしまい、自分に合った環境を作ってきたということもあって、いまさら診断が必要になることもない。
もし僕に自閉症の診断が必要だったとしたら、それは僕が子供の頃だろう。保育園のときは基本1人で遊んでいたし、よく泡を吹いて倒れていた。小学校のときも問題児で、帰りの会はいつも僕の名前が挙がって始まっていたし、クラスの席替えは僕だけ一番前で固定だった。遅刻の常習者で忘れ物も異常に多い、授業中に机の下に1人で潜っていたり、出ていけと言われたら、そのまま教室を出ていた。問題児といえば僕だった。それなのに、なぜか成績だけは良かったものだから、教師たちからはとても嫌われていた。このような経験があると、診断書など必要ないし、その後も自閉症として伸び伸び育った僕は、最初から世間で言われるようなキチンとした仕事ができると思ってなかったし、そもそも週5勤務が無理だったから、そんな僕でもできるような仕事ばかりしていた。週3勤務で一回の勤務が20時間以上になるような仕事を好んでやっていた。
「たぶん、僕です。診断はされていませんが、自閉症を調べてみると、僕にとってはそれが普通のことでした」
「自閉症は遺伝しやすいんですよね」
日本だと、こういうことを言われていると、責められている感じがしてしまうかもしれない。僕のせいで娘に自閉症が遺伝してしまった、と。僕も自分のなんだか分からない感じが嫌だったので、子供はいらない、とずっと思っていたし、言っていた。そのせいで、反出生主義者として非難されたこともある。
妻と出会って、この人となら子どもがいてもいいと思えた。それは妻が僕のような存在に対して、とても理解がある人だったからだ。妻の職場には自閉症の人が多いからなのか、自閉症の扱いに慣れていた。
アメリカで、自閉症が遺伝と言われてもそんなに嫌な気がしなかったのは、アメリカでは自閉症をどこか大切なもののように扱っている感じがあるからだろう。
「この子は言語によるコミュニケーションは難しいかもしれないけど、色彩感覚や絵の表現、それと人を楽しませるユーモアがある」
アーリーインターベーションではそんなことを言われるようになった。アメリカでは自閉症児は「特別な存在」として大事に育てようとしている。
30年以上前、僕はただ問題児として扱われていた。子ども時代は嫌な思い出しかない。いつも何かが説明できなくて、怒られてばかりいた。高校生くらいになるとやっと説明できるようになった。そして異常に説明するようになった。社会人になってからの方が自分の選択で行えるから楽になっていったし、そのうち、僕の自閉症から起こってしまうことが、一つの特技として重宝してくれるところもあった。
長女にはあんな子ども時代は送って欲しくない。帰国して、日本で育児をすると昔よりは自閉症児に対してケアをしようとしているのが分かる。しかし、どこか自閉症児に差別的だし、自閉症児の世話をしている親たちはつらそうだ。映画などの影響で自閉症に対して肯定的な見方も増えたかもしれないけど変なイメージもついてしまったりしている。自閉症がみんなとんでもない記憶力があったり、何か国語も話せたり、異常な計算能力があるわけじゃない。
自閉症児には早期介入と合理的配慮が必要という認識を広めないといけないと思う。3歳にならないと診断できないとかそんな話じゃない。3歳までに子供は傷つくし、親もボロボロになる。映画や有名人のエピソードなどで見るような天才的な能力を期待するよりも、まずは社会や周囲が自閉症児に温かくなれる方が大事だと思う。