いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

発語に困る!(自閉症児篇)<言語の遅れにどう介入したらいいのか?>

ベビーサインを覚えよう!」(長女1歳6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は発語が遅れていた。自閉症というのもあるが、もう一つは日本語と英語という二つの言語の中で育っているというのもあるような気がしていた。バイリンガルは発語が遅れるという話を聞いて、しばらくの間は、発語の遅れはバイリンガルだからかもしれないと思っていた。

 

非定型発達の子だけを育てていると、発達をどう判断していいのか分からないことが多い。今では双子も育てているため比較ができる。双子は育児書や母子手帳に書いてあるようなこともできたりできなかったり、よりできていたり、ということはあるが、発達の目安通りに成長している。この場合の多少の遅れというのは、そんなに気になるものでもない。目安の月齢でできないことも少し後になるとできるようになっていることが多い。

 

非定型発達の場合も、同じように、今できなくて少し様子を見てみよう、ということで放置になる。日本では3歳くらいまでは「様子を見てみましょう」と言われることが多いそうだ。成長の目安になっているものの一つができないくらいなら、様子を見るは正しい選択かもしれないが、様子を見ていると1歳のときの目安が1歳半になってもできておらず、一歳半の目安になるとよりできていないことが増えているということになる。どこまで様子を見続けるべきなのか分からない。

 

検査方法も言語認識が遅れていると難しい。言語認識が遅れているにもかかわらず、他の検査まで言語によって指示される。言葉が分からない者に対して言葉以外の検査をしようとして言葉を用いる。これはどうなのだろうか。「そこにある鉛筆を右手で持ってください」と自分の知らない言葉で言われて、的確に動けるだろうか。そして言葉が分からないだけなのに、右手で鉛筆を持つことができない、と判断されてしまうのもおかしなことだ。

 

発達の検査には月齢を重ねれば重ねていくほどに、こうした言語による検査が増えているように思う。

 

では、言語の遅れがある子供に対してどうしていけばいいのだろうか。

 

ベビーサイン」という手話のような言語がある。この場合、発語に問題がある子供に効果的で、口から言葉が出てこなくても、自分の意思をベビーサインで伝えることもできるし、受け取ることもできる。

 

「もっと欲しい」などと言うときに使う「もっと」のサインがある。このサインは目の前で両手をグーにしてトントンと合わせる。このサインをする乳幼児はとても可愛いというのはさておき、長女に「もっと」のサインを教えて、はじめてやったときには感動した。これまで、飲み物や食べ物を、もっと欲しいのかいらないのか、それすらも長女は伝えられず、ただ泣いていた。もっと欲しくて泣いているのか、もういらないと泣いているのか、僕らにも分からない。泣くことしか伝える術をもっていなかった。それだけに、この単純な「もっと」というサインに僕らは大きな可能性を感じた。

 

以前書いたアーリーインターベーション(早期介入)という非定型発達の子供をケアするサービスを受けたとき、長女は発語をしない代わりに、少しだけベビーサインができると説明をした。お得意になった「もっと」のサインをすると、「こんなに可愛いベビーサインははじめてみた」とかアメリカ的な褒め方をしながら、「あまりベビーサインは詳しくないんだけれど」と言って、長女とベビーサインでやりとりをしてくれた。アメリカの児童福祉関係者や小児科の関係者は簡単なベビーサインならできる人が多い。ベビーサインを知らなくても手話が近いようで、手話のできる看護師さんが長女のサインを読んでくれたりもした。

 

ベビーサインがどんどん上手くなっていた長女は「もっと音楽がしたい」などもサインで伝えるようになっていった。そして不思議と、ベビーサインで自分の欲求を伝えられるようになっていったからか、長女が穏やかに過ごす時間は増えていった。

 

その後、長女は自閉症を診断された。アメリカでは1歳6ヶ月から自閉症の診断がされる。また日本のように病名がつくことにネガティブなイメージがあまりない。自閉症だけでなく、障害者を受け入れる社会にしていく自信があるからだろう。

 

帰国して、療育に通うことになった。長女はアメリカで自閉症と診断されていたこともあり、アメリカの診断書なども提出した。そのとき、日本だと自閉症の診断のハードルの高さを知った。アメリカでは自閉症への早期介入が推奨されているのに、日本では障害を診断されることへの危惧などから自閉症児は3歳くらいまで様子見にされてしまう。子供にもよい環境ではないし、育てる親へのフォローも放置されているようなものだ。自閉症児の環境をよくするにはどうしたらいいだろうか。アメリカでは、とか書いても仕方ないのはわかるが、どうしたらいいのか。

 

健診でベビーサインは全く通じなかった。また療育でもベビーサインは通じなかった。長女はまた自分の意思を伝える術がなくなってしまった。

 

しかし、その頃には、長女は自分の意思を伝えることに自信がついてきたのか、発語しようとしはじめた。僕らも長女の発語に懸命に取り組み、療育などでもベビーサインで伝えることができたことを中心に発語のトレーニングをしてもらうことにした。

 

少しずつ発語するようになった。はじめは療育に否定的だった保育園のことは今度また書くとして、一悶着あってから、長女に理解を示してくれた保育園の合理的配慮もあって、長女はベビーサインで行っていたコミュニケーションはできるようになっていた。保育園に通うことが嫌いだったのに、途中からは保育園が大好きになり、僕がお迎えに行っても「バイバイ」とわざと僕に言うようになった。発語もあるし、保育園でのコミュニケーションもできるようになったことがとても嬉しかった。

 

まあ、その、長女が頑張って手に入れた言葉で、僕を拒否するのは、正直、少し寂しい気持ちもあるけれども、保育園で泣きじゃくって抱きつかれた頃よりは幸せだ。

 

発語ができない非定型発達の子供のために、日本でもベビーサインが注目されるといい、発語への自信につながっていると思った。