「フロントの方は微笑んでくれた」(妻、妊娠中)
困ったことがあった。
妻が妊娠して安定期に入った頃、母が2回ほど訪ねてきた。訪ねてきたと言っても電車の乗り換えも電話で案内し、最寄駅まで迎えに行くわけだから、家に突然、訪れてきたというわけでもない。
一度目は焼き肉が食べに行った。そのことはすでに書いたので繰り返しはしないけれど、母との外食はハラハラする。たしか、その日はうちに泊まっていった。1DKと2Kの区別がよく分からないが、普段は僕と妻の机がひしめき合っているDだかKだかの部屋に布団を敷いて母に泊まってもらった。
「あんまり眠れなかったわ」
そんなことを言っていた。妊婦はトイレに行く回数が増えると思う。それもそうだ。お腹の中に胎児がいるし、ちょっとしたことで起きてしまうし、起きればトイレに行ったほうがいいような気がしてしまう。そして、母は、少しの物音で起きてしまうタイプだった。
子供の頃、僕は夢遊病がはげしくて、よく夜中にふらふらしていたらしい。6畳一間まではいかないけれども、寝るときには川の字(四人家族だったので一本線が多い川の字だけれども)になっていたから、僕の夢遊病のせいで母は寝不足になる日もあったと何度も言われていた。
母はいびきがすごかった。あまりの凄まじさに弟と僕で母のいびきを観察していたことがあった。びっくりするくらいのいびきが鳴ると、母も起きて、僕たち兄弟と目が合って笑っていた。ほのぼのとしたものだ。
「あらやだ、自分のいびきで起きちゃった」
そんな子供時代のことを思い出していた。母のいびきのことなどすっかり忘れていた。「よく眠れなかった」という母の言葉を聞いたとき、そういえば、いびきをかいていなかったなあと思った。
「いびき治ったの?」
「そんなことお嫁さんの前で言わないの!」
なぜか叱られた。
妊婦が夜中に何度も起きてしまうことを母は責めたわけでもないし、そこまで鬼畜な人ではない。とはいえ、「よく眠れなかった」と言ってしまうと、妻は申し訳なく思ってしまうものだ。僕は僕で、妊婦の事情については何度も説明して、うちに泊まらないでホテルに泊まることをすすめていた。
「あんたんちに泊まりたいのよ。ホテルなんてもったいないし」
母には、次からはホテルに泊まるようにすればいいと話した。
一、二ヶ月後、また母がやってきた。今度は、近所のホテルを予約しておいたので、最寄駅からホテルに向かい、チェックインをした。母には一度、ホテルの部屋で休んでもらって、後ほど迎えにくることになっていた。
ロビーにはティーバッグやアメニティがたくさんあった。
「これ、もらっていいの?」
「部屋にポットとカップがあるから、それで飲むといいよ」
母は、ごっそり持って行こうとした。10個くらい掴んでいる。なんてこった。
「ちょっと、なにやってんの? こういうのは部屋で飲む分だけ持っていくんだよ」
「そうなの? そんなのどこにも書いてないじゃない」
「書いてないから何やってもいいってことじゃないよ、恥ずかしい」
フロントの方を見てみると、スタッフ2人が微笑んでいた。彼らからすれば微笑ましい親子のやりとりに見えるのかもしれない。
部屋に案内して、小一時間ほどしてから合流した。紅茶がお気に召したらしい。
その日の外食はいつもと違ってお店の文句も言わず、美味しいとか普通の感想を言いながら飲み食いしてくれた。帰り際にカラオケに行きたいというからカラオケにも行った。母の歌声に胎児は暴れていたようだ。妻も少し疲れてきたようだ。僕の母の要望に付き合わせて申し訳なかった。
ホテルに送っていった。ロビーでまたティーバッグやらアメニティやらをたくさん掴んでいた。
「必要な分だけ持っていきなよ」
「こういうのはたくさん持っていってもいいのよ、ねえ」とフロントの方に同意を求めていた。
「どうぞどうぞ」フロントの方は優しく微笑みながら答えていた。
「ほら、そういうものなのよ」と勝ち誇った母に少しイラッとした。
妻はニコニコしていた。帰り道に、母の振る舞いに恥ずかしいと思っていたというのもあって、妻に母への愚痴をこぼしていた。
「なんか『東京物語』みたいで面白かったよ」
面白がってもらえてよかった。次の日、ホテルのチェックアウトなどもできない母を迎えに行った。朝食も気に入ったようで、なんだかホテルの人たちとも仲良くなっていた。帰りにもビニール袋に詰めたティーバッグをもらっていた。このホテルが気に入ったということだった。そりゃそうだろうと思った。
母とうちで少し話して、お昼ご飯を食べて駅まで送っていった。お昼ご飯は気に食わなかったらしく、文句を言っていた。僕もおいしくないと思っていた。