いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

名前に困る!(再東京篇)<双子あるあるの斜め上>

「孫の名は。」(長女3歳2ヶ月、双子1歳1ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

子供が複数人になると、それぞれの名前はもちろん分かっているけれど、間違えてしまうことがある。うちの場合は、次女三女が一卵性双生児ということもあり、お風呂に入っているときや後ろ姿では区別がつきにくい。それぞれに特徴が違うので普段は間違えることはないけど、たまに間違える。

 

親であっても双子の名前を間違えることは、きっと双子も許してくれると思う。双子の友人に聞いたところ、親からもよく間違えられていたので気にしませんよ、と言われたりもした。双子側にとっても、名前を間違えられることは仕方ないことだと思っているのだろう。

 

とはいえ、できるだけ間違えたくないとも思う。1歳くらいであれば、片方の名前を呼んでもどっちも振り向いたりするし、本人たちも自分の名前の区別はあまりついていない。これを書いている時点では2歳になり、自分たちの名前も言うようになっているので、名前を間違えると振り向いてもくれないこともある。気をつけなくてはと思う。

 

双子が保育園に通い出したときに、保育士さんたちから、「区別がつくようになってきました!」と言ってもらうことが増えた。次女と三女では、三女の方が小さめだったということもあり、肉付きや大きさをみるとわずかな違いがあるし、次女と三女には2週間から一ヶ月くらいの成長の差があるように見えた。この差はどんどん埋まっていった。

 

成長の差が埋まって体つきでは判別できなくなっても、性格の違いや表情の違いもある。いつもニコニコしているのが次女で、冷静な顔をしているのが三女だった。そんな僅かな違いを保育士の方たちは見分けて、きちんとそれぞれの名前で呼んでくれていた。

 

担当だった年配の保育士の方は、双子を可愛がってくれて、双子も懐いていた。しかし、担当の保育士の方は何度も「違いが分かってきました」と言いながらも間違えていたので、他の保育士さんからフォローされていた。登下校の微笑ましい場面として僕はいつも癒されていた。

 

間違えるのは仕方ない。双子だし、似ているし、服も双子コーデだ。ちなみに、双子コーデについても説明しておくと、双子なんだからそれぞれを区別するためにも違う服にすれば? と思う人もいるだろう。僕もそう思った。しかし、双子は同じ服にしないと争い合うことが多い。どっちかの何かが羨ましくなってしまう。そのため、双子コーデは仕方なくやっているところもある。双子コーデはかわいいので、仕方ないと言いながらニヤニヤしていることもある。

 

僕は年子の兄だった。弟と僕を似ているという人もいれば、似ていないという人もいた。父が僕と弟を呼び間違えることは滅多になかったが、そもそも名前をあまり呼ばれることもなかったし、話しかけられることもあまりなかったというのがあるけれど、母はよく間違えていた。

 

母が僕と弟の名前を間違えるのは、兄弟でも別になんとも思っていなかった。しかし、団地住まいにもかかわらず、ひょんなことから飼い始めてしまった犬の名前と間違えられるのは閉口していた。名前の間違いとは少し違うことで嫌なこともあった。普段は、下の名前をそのまま呼ぶ母が、友達の前になると、急に愛称で呼ぶことがあった。名前を間違えられるより嫌だった。そして、いまでも、40も過ぎたおっさんになった僕のことを、妻や親戚の前では愛称で呼ぶことがあって勘弁して欲しいと思う。電話や二人のときは呼びつけのままなのに。

 

母がうちにやってきた。双子と遊びながら名前を呼ぼうとしていた。

 

まず、母改めばあばは、双子に向かって長女の名前を呼んだ。「違うよ」

 

次に、ばあばは、姪の名前を呼んだ。「違うよ、どっちも孫だけどさ」

 

そのあと、

 

「ばあばちゃん」

 

と双子に向かって言い放った。びっくりした。こんな言い間違えもあるのか。

 

「ばあばは母さんでしょ」と言って、双子の名前を教えた。

 

ばあばに比べれば、保育園の担任が双子の名前を間違えるのはなんということもないし、僕が、ふいに二人あるいは長女もいれて三人の名前を間違えてしまうのは、よくあることだと思った。そんなに気にしなくてもいいのかもしれない。

 

妻はこの「ばあばちゃん」事件が気に入っていて、たまに思い出して笑うらしい。