いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

主任に困る!(自閉症児篇)<きっとどんな職場にもいるタイプの人>

「事の発端でもある主任を見かけなくなった」(長女3歳11ヶ月)

 

困ったとこがあった。

 

長女の合理的配慮をめぐって保育園や市役所と揉めてから2ヶ月くらい経った。入園してからすぐに行われた面談から数えれば半年近く経っている。社会福祉協議会、市役所、市議、新聞社、総務省厚生労働省内閣府などを巻き込んでどんどん事が大きくなった。

 

発端はなんだったのかと思うと、最初の面談で主任が嘘をついたことだった。嘘なのか間違えか分からないけれども、長女の合理的配慮だけでなく、加配保育に関しても不透明にし、誰が担当なのか、どのくらい加配をしているのか、どういう役割なのかということは一切教えてもらえなかった。全て名古屋市の規則だということだった。

 

全て名古屋市の規則、ということがまず違っていた。嘘だった。

 

園長に相談するより前に、何度も、担任と主任に聞いたけれども、いつも同じ返事。加配は1人3時間まで、加配はクラス全体のフォロー(最初は園全体のフォローと言っていた)という答えだけで、長女にして欲しい合理的配慮は拒絶された。知り合いや親戚の保育士に相談すると、長女が通う保育園の対応はあり得ないということだった。

 

この主任は独特な方で、他にも嘘を言っていた。事実誤認と後で言い訳でもするのかもしれないと思ったがそれすらなかった。主任の嘘はいくつかあった。多くは、園児の預かり拒否や親を呼び出したりする類のもので、共通するのは、保育士の仕事を減らすことにつながるものだった。主任の行動原理は明確だった。仕事を増やしたくない、通常業務ですら減らしたいというものだろう。

 

保育士さんの仕事が大変であることは僕だけでなく、世間的にも広く知られている。保育士の環境や待遇を改善するための活動に対して、僕も少なからず協力してきた。義理の妹が保育士だし、友人の妹も保育士だ、妻の親戚にも保育士が2人いる。育児で困っていたときには彼女たちからアドバイスを受けていた。保育士の待遇を良くしたいと僕も思う。

 

しかし、保育士の待遇を良くすることと、すべきことをしないことや、嘘をつくことはまた別の話になると思う。どんな職場にも多かれ少なかれズルい人はいるし、そのズルい人の恩恵を被っている人もいる。手抜きや粉飾、偽装などはどんな職場にもあるだろう。もちろん、保育園にだってそういうことをする人がいる。聖職と言われる教師たちだって不祥事だらけなんだから、とある職業だけ清廉潔白というものではないことは、安易に想像がつく。

 

全ての保育士が悪いわけじゃないのは当たり前だから言うまでもないが、たまに、一人二人、ちょっと悪い了見を持った人というのがいるものだ。そういう人が実権を握ってしまうと困ったことになるし、それが故に悪事も露呈しやすくもなるというのもある。自浄作用を失って大胆になってしまうのだ。

 

主任の嘘がどんどんバレていった。

 

園長は、まさか主任が、みたいな反応で、当初は言い訳やら誤魔化しやらで、主任を庇っていた。僕の証言よりも主任の証言を信じているようで、最初は話にもならなかった。しかし、僕が残していた数ヶ月に渡るメモなどから、園長よりも、市役所の方がまずいと判断したのか、主任の嘘については庇いもせず、ただスルーするようになった。

 

主任の嘘を誤魔化そうとして、話が大きくなってしまったのだった。これは仲間内の情誼に厚い名古屋ではよくあることらしい。とにかく身内を庇うという情の深さがある。外部の人間からしたら癒着だし、最悪なことでもあるが、本人たちは善人のような気持ちでいるのだろう。これも凡庸の悪の一つのパターンかもしれない。

 

主任の嘘を一緒に聞いていた筈の担任に、主任が言ったことを聞くと、沈黙した。彼女は根が素直な人で、僕が保育園と揉め始めてからはツラそうにしていた。ちなみに、その後、問題が解決すると快活になり、よく話しかけてくれるようになった。板挟みになっていて同情もできなくはないけど、マーチン・ルーサー・キングの演説を義務教育の教科書で読んだ僕には、「善良の人の沈黙こそ、最大の悲劇である」という認識があるから、そんなに同情もしない。

 

市役所も園長も主任のことには触れなくなった。話し合いはやっとまともになった。僕たちがどういう合理的配慮を求めているのか具体的に検討し、行っていきたいという話になっていった。普通に考えればここがスタート地点なんだけれども、スタート地点が遠かった。

 

この辺りで気がついた。そういえば、主任を見かけない。

 

以前は、保育園の送り迎えには必ずと言っていいくらい主任を見かけた。同じ双子の親ということもあり、気さくに話しかけてきたのも主任だった。ボディタッチが多いのは人に触られるのが嫌な僕には面倒だったけれど。

 

2ヶ月ほど主任がいなかった。

 

合理的配慮がなされるようになって、長女も元気に通えるようになり、担任の先生にも笑顔が戻ってきたときに、ふと聞いてみた。

 

「そういえば、最近、主任見ないですよね?」

 

担任は素直な方だ。目が泳ぐというのはこういうことかと思うくらいに目が左右に動いていた。

 

「もともと、事務所にいる人なんで」

 

と苦しい言い訳をしていた。何かあったんだろう。

 

それからしばらくすると、週に一回くらい主任を見るようになった。主任は掃除をしていることが多かった。以前は掃除は別の方がよくやっていた。年度末までに主任と2回ほど目があった。

 

目が合うと、下を向いて、そそくさと立ち去ってしまった。妻とバッタリ会ったときには、Uターンをしていなくなったという。

 

きっと僕らは主任に恨まれているだろう。主任の家では僕らは悪者だろう。そういうものだ。年度が変わると主任は保育園からいなくなった。4月からは、保育園の雰囲気もがらりと変わり、前は挨拶もロクになかった保育園が元気で明るい保育園になっていた。長女の担任は発達障害スペシャリストでとても頼もしい人になった。僕らにも気がつかない長女の行動をきちんと見てくれている。アドバイスも参考になる。

 

あの保育園を覆っていたギスギスした感じは、主任のせいだったのか、それとも違うのか、主任と揉めていた僕には、主任が原因だとしか思えないのは仕方ないことだ。