いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

胎教で困る!(東京篇)<はじめての妊娠は不安もあったけど、だいたい浮かれていた>

「胎教で何を聞かせたか」(妻、妊娠中)

 

困ったことがあった。

 

はじめての子供というのは緊張と期待が入り混じって、変なことをしてしまう。妊娠による体調や気分の変化も落ち着いてきて、お腹も大きくなって、胎児が動くことに一喜一憂していた僕と妻は間違いなくうかれていた。

 

妻は妊娠・出産の情報をひたすら集めていて、時間があれば妊娠のブログや、エッセイ漫画などを読んでいた。僕も共有しなければと思っていくつかの妊娠のエッセイ漫画なども読んでいた。

 

このブログも僕に漫画が描けるのなら、エッセイ漫画にしたかった。

 

エッセイ漫画で妊娠、出産の不安を和らげながら、それぞれの個性や環境の違いに感心したり、笑ったりしていた。みんないろんなことをやっていると思った。

 

僕が子供の頃、といっても中学や高校生くらいの頃だろうか、そのとき、子供の英才教育みたいなものが話題になっていたことがあった。受験勉強の低年齢化みたいなことも言われていたような気もする。

 

僕の家は貧しかったし、教育には熱心な家でもなかったので、そんなお受験産業には無縁でいたけれど、小学校の同級生にはお金持ちの子供もいて、彼らは塾に家庭教師にと大変そうだった。

 

クラスで嫌われていたお金持ちの子供がいた。小学校では基本的におもちゃをたくさん持っている子供はおもちゃによって与えられたカリスマ性によってあまり嫌われることがない。にも関わらず、彼が嫌われていたのは、一口に言えば嫌な奴だったからだ。

 

彼は何かにつけ、自分の家が金持ちであることを鼻にかけるし、揉め事があると、キレてしまって手が付けられない。先生が、彼のことを庇うように、「毎日塾と家庭教師でストレスが溜まっているから仕方ないの」と言っていたのが、クラスメイトからすれば余計しらける話だった。

 

そんな彼と僕はよく遊んでいた。彼は木曜日だけは、塾も家庭教師もないため暇だった。「うちに来なよ」と言われて、遊びに行くと、スネ夫のように金持ち自慢は止まらなかったが、その分、お菓子やらジュースやら、珍奇な舶来のおもちゃで遊ばせてくれた。「それ俺のだから触るな」と彼が言ったら、強制的にその日の遊びは終了になって、「じゃーなー」と言って、また来週という感じだった。

 

ちょっと横道に逸れすぎた。

 

そんな小学生時代の思い出があるからか、僕は受験戦争とか英才教育というものがなんだか嫌いだった。自分にない環境だからよく分からずに嫌っていたのかもしれないし、実際に英才教育を受けていたら、それはそれで「困った」とか思いながらも楽しんでいたのかもしれない。

 

胎児にモーツァルトを聞かせると頭がいい子が生まれる、そんな話があった。周波数がどうのとかなんとかがどうのとか説明があったと思うけれども、なんで胎児のうちから何かを強制的に聞かされなきゃいけないんだろう、と思ってみたり、モーツァルトって汚い言葉が好きな人だろ? とか素朴に思っていた。

 

いまも胎教でモーツァルトを聞かせるとか、何かを聞かせるとかあるのかもしれないし、それを実践したくなる気持ちも分かる。子供の頭が良くなって欲しいとかそういうのもあるかもしれないけれども、はじめての妊娠出産でうかれていると、いろいろやってみたくなる。きっと、胎教でいろいろやるって、やってみたくなっちゃった、ということなんだろう。

 

僕もやってみたくなった。モーツァルトはちょっと手垢がついてきたし、僕もよく知らない。生まれてきた子供がモーツァルトのことを覚えていて鼻歌でやられても僕が分からない。何にしたらいいんだろう。

 

玉置浩二にしてみた。

 

「行かないで」にしてみた。

 

このことは、ずっと忘れていた。四年以上経って、長女を風呂場から抱っこして、あったかい部屋で着替えさせようとした。部屋で着替え用の防水マットに立たせると裸のまま、笑って逃げ出そうとした長女に「行かないで!」と言ったら、長女が大笑いした。

 

そして思い出した。胎教は玉置浩二だった。

 

「行かないで」を歌いながら長女を着替えさせた。長女は笑って「行かないで」と言っていた。胎教って何だろう? とは思うけど、好きな歌で笑ってくれるのだから、それで十分な気がした。