「三姉妹は別の保育園」(長女2歳8ヶ月、7ヶ月)
困ったことがあった。
帰国してから、妻も僕も仕事がはじまっていた。二人とも在宅ワークが多いけれど、たまに家を開けることも増えてきた。育児が大変な時期でもあるので、仕事は少なくしていたが、乳幼児三人の育児をするには誰かの助けが必要だ。
三姉妹を保育園に通わせることにした。
東京郊外ということもあるからなのか、または待機児童が以前ほどじゃなくなったからなのか分からないけど保育園には空きがあるということだった。コロナ禍で保育園に通わせることをやめた方もいるという話も聞いたことがある。
いくつかの保育園に応募したところ、長女と双子が別の保育園であれば通えることになった。三人別々は避けたかったので、逆の方角の保育園にはなるけれども、三人一緒の保育園が見つかる可能性もなかったので、その二つの保育園に入園することになった。
長女が通う保育園は、どろんこ遊びなどもしてくれる保育園で、泥遊びが好きな長女にはぴったりだった。園長や保育士さんが素晴らしいところで、どろんこになった靴や服もその日のうちに水洗いをして渡してくれる。長女はその保育園が好きすぎて、いまでも「東京の保育園に行きたい」と言っている。
双子が通う保育園は、駅の近くの保育園。マンションの下にあるところで園庭もない。しかし、ここも保育士さんが優しくて、双子はとても懐いていた。最後の1週間は担当のおばちゃん保育士さんの目が毎日真っ赤になっていて、いつも泣いていることだった。最後まで双子の名前は間違えていた。ここは園長がちょっと曲者だった。
それぞれの保育園は素晴らしく、それを世話する私たちに配慮して、登園、降園の支度の手伝いなどもしてくれた。
しかし、遠かった。一つ一つはそこそこの距離で、長女の保育園は歩くと30分近くかかり、自転車だと10分と少し、双子の保育園は徒歩20分ほどかかる。二つの保育園の登園だけで1時間半くらいかかる。降園も合わせると、毎日3時間が登降園に費やされている。
もちろん、それなりに疲れる。1時間半の登園をしたあとに、仕事の準備して家を出ると、すでに疲れていることもあった。出先から戻るときも、都心からだと午後3時くらいには家に向かわなければならなかった。
妻が登園をすることがほとんどで、僕は降園の担当だった。
あるとき、妻は疲れ果ててしまった。
「別園鬱ってあると思う」
降園だけの僕でもきついと思っていたので、朝のバタバタの中で登園をしている妻の疲弊は僕以上だったのだろう。そしてまた、悪い考えがひらめいた。育児で妻に差をつけようという魂胆だ。
「よし、登園も降園も僕がやろう!」
そして、それから二ヶ月とちょっと僕が登園と降園をやるようになった。毎日とても疲れたけれども、一旦、生活のサイクルにいれてしまえばこっちのものだ。疲れはするけれども、同じことの繰り返しなら僕は強い。
妻から感謝された。僕は、少し高い服と靴を買った。
「新しい服と靴で登降園すると、嬉しくて疲れも感じないよね」
妻は真顔になった。鬱ではなくなっていた。