いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

息抜きがなくて困る!(ボストン篇)<育児の閉塞感はなかなか分かってもらえない>

アメリカンジョークはマスターできなかった」(長女1歳)

 

困ったことがあった。

 

ボストンでの生活も数ヶ月経つと、旅先の不便さが日常の不便さへと変わってくる。あと一年以上もこの場所に暮らさなければならないのか、と考えると何もなくても不満が爆発しそうになる。

 

妻の仕事でボストンに来ている。妻もそれなりに不便さを感じていたり、育児のストレスもあるとは思うけれども、職場に行って仕事をして、それなりに満足している感じもするし、仕事仲間やアメリカでの友人もいるから楽しそうにしている。それに、妻は英語もペラペラだ。

 

僕は主に子供といる。家や公園にいる。1歳児とは会話もできない。子供の可愛さも毎日、何時間も見ていると可愛いというより、つらいと思うことも増えた。

 

世にママ友というのがあるように、パパ友というものある。僕のパパ友たちは仕事をバリバリしてたまに育児をするという、いわゆるイクメンと言われる人が多かった。彼らと話しているとたまに羨ましくもなった。彼らは、土曜や日曜の育児を楽しんでいた。

 

コロナで在宅ワークが増えてからの話だけれど、そんなパパ友の一人がふと漏らした言葉があった。

 

「職場に息抜きに行きました」

 

それだ。コロナが蔓延する前から思っていたものはそれだった。職場が外にある妻が羨ましいと思っていた。完全に子供から離れた時間がある妻が羨ましかった。僕にしても、妻からたまには外に出てきなよと言われて、散歩なり買い物なりに一人で行くことはあったけれども、なんかそういうのじゃない、ただブラブラしているだけだと、育児をしていない罪悪感みたいなものすらある。外に一人でブラブラしているときには、なぜか子供に会いたくなる。

 

子供を、育児を忘れさせて、没頭させて時間が欲しかったのかもしれない。家事と育児以外の世界が欲しかった。

 

こんなとき、日本だったら、妻が仕事から戻るまで育児をして、そして夕ご飯や寝かしつけなども終わらせた夜10時くらいから、ふらっと2時間くらい立ち飲みにでも行けたかもしれない。そこで常連の人たちと話して気分よく酔っ払って帰ってきて、ニコニコと夜泣き対策でしばらくうつらうつらと子供の近くでしたかもしれない。

 

「近くのバーにでも行って来れば?」

 

妻からはそう言ってもらえた。

 

クリント・イーストウッドなどが出ている映画では、おじさんたちの社交場としてバーが出てくることがある。そこで、老人になったイーストウッドが仲間たちと小粋な話をしている場面を見たことがある人もいるだろう。僕もアメリカに行ったら、そんな中に入って、不慣れなアメリカンジョークを言ったりしてみたかった。

 

「そこで、俺は言ってやったんだ、お前の契約書には期日が書いてないだろってさ」

 

みたいな感じで、仲間たちと話したかった。

 

でも、そもそも、はじめて来た土地だから飲み仲間というのがいない。それに、酒飲みながら、英語で話さなきゃならない。近所のバーに言って、不慣れな英語で知りもしない人にジョークを言うなんて、ハードルが高すぎる。

 

アメリカで飲むと、意外と話しかけられるし、オープンな酔客は多い。だから、飲み仲間になるのはそんなに難しいことじゃないかもしれないが、酔っていても英語で話さなくちゃいけないし、英語で話していると酔えない。

 

ノイローゼ気味になっていたんだと思う。ノイローゼになると、悪い方向にしか考えられないし、何かに挑戦してみようという気持ちしか起きない。育児もいやだったし、アメリカ生活もいやになっていた。

 

そんなとき、日本から来ている企業の駐在員たちと仲良くなった。彼らはイクメンで、バリバリと仕事をこなし育児もしている完璧パパだという自負があったりもする。そんな彼らに対して、異国の地でストレスを抱えながら育児をする奥さんたちの支持を受けて、彼らに「仕事は育児の息抜き」であることを説明していた。「俺は仕事してるんだ!」とか調子に乗っているお父さんを諭す係だ。

 

仕事や所属がないまま海外で暮らすのはストレスが溜まる。小さい子の育児をしていたら何かをすることもできないので、育児のせいでできないと思うこともある。育児を理由に何かができないと思うほど悲しいことはない。育児をしていても、あんなことができたこんなことをができた、という人もいる。そして同時に、育児をしているからあんなことすら、こんなことすらできないという人もいる。

 

他者の成功体験は条件や環境の違いを考慮に入れなければ参考にもならない。成功体験を語る人は、能力が優れていることを主張したいのか、環境が恵まれていることを主張したいのか分からないけど、うまくいっていない人を追い詰めることもある。格差社会の中で恵まれた環境で学生生活を送った人は自分より恵まれている人しか見なかったりするように、平凡な私でも、という人の成功体験は怪しいと僕は思っている。

 

育児で身も心も疲弊しているときには、成功体験を話す人といるより、愚痴り合いでもできる仲間といる方が、気が楽になることもある。そして気が楽になれば、何かをやる気力も湧いてくると思う。