「ビーナッツバター&ジェリー」(長女1歳)
困ったことがあった。
長女は1歳になるかならないかの頃に離乳食になっていった。日本から持ってきた離乳食の本を参考に、これまた日本から持ってきた離乳食キットで作っていた。
食材の違いなどもあり、日本に住んでいるようにはできない。いや、日本にいても、離乳食の本に書いてあるようにはできなかったかもしれないし、離乳食や食育について頑張っている人たちはすごいなあ、と離乳食を準備してみると思う。
僕にはできないだろうと、すぐに諦めた。頑張ってやろうとすればできるかもしれないけど、準備に疲れ、食べたり食べなかったりする子供相手に怒ってしまいそうな気がする。
現に怒ってしまった。昭和の頑固親父のようなちゃぶ台返しまではいかないけれども、「もういい!」と周辺に散らばった離乳食とお皿を片付けてしまうこともあった。そういや、僕の父は3回ほど食卓をひっくり返したことがある。内1回は怒って返し、2回は酔っ払って立ち上がろうとして返した。
手を抜くことに決めた。
うちでは離乳食の担当は妻だった。それは僕が食卓では暴君のようになってしまうからだ。普段温厚な人なのに、とワイドショーで隣人が語るあれみたいなものかもしれない。食卓が汚れるのが苦手なのだ。
これは子供だけじゃない、食べこぼしが多い人と食事をするのが苦手だ。食べ物を口の中でくちゃくちゃさせて食べる人、俗に言うクチャラーは気にならない。箸の持ち方が変なのも気にならない、僕も変だ。肘をつこうが、膝を立てようが、椅子や机の上に立ち上がらないのであれば、気にならない。魚の食べ方が上手くなくてもお皿の中の出来事だし、それはそれでいい。僕はその魚をつつかないだけだ。みんなで鍋をつつくのは嫌いだったが、きちんと取り分けられているのであれば、大丈夫になった。鍋の中が散らかるのは別にいい。
嫌なのは、机や床に食べ物が散らばっていくことだ。床に落ちた米を踏むのはとてもいやだ。
そして子供というのは、机や床に食べものを散らかす生き物だ。離乳食の頃はさらなり。
子供の口にスプーンで運んでいるときはまだ耐えられた。散らかしは僕のコントロール化だ。子供がスプーンを持つようになると途端にカオスになる。投石機の原理で食べ物が飛び散る。こんなところまで飛んでる! 投石機の飛距離に驚くなんてことは日常ではあまりしたくない。
離乳食を作っては飛ばされ、散らかる。妻に離乳食の担当になってもらったけれども、妻の作り置き離乳食も食べない日々が増えた。仕事をしている妻が毎日、離乳食を作るのは申し訳ない気持ちになっていった。
アメリカでは離乳食を作ることはあまりしない。スーパーマーケットなどで買ってきたものをあげる。アメリカの離乳食の定番は、アボカドやバナナであるが、そこまではまあ、分かるとして、もう一つの定番が、ピーナッツバター。
ピーナッツバターの種類が多い。なめらかなものから粒状のものまで、アメリカ人の友人に話を聞くと、それぞれ好みがあるらしく、「私はここのメーカーのちょっと粒があるやつ」みたいな感じでずっと同じのを使っている。甘いものもあるが、基本的にはあまり甘くない。意外だった。こういう甘そうなやつは胸焼けするくらいに甘くするのがアメリカの食文化だと思っていたから、ピーナッツバターがあまり甘くないのに驚いた。
ピーナッツバターは甘くない、だけど、ジェリーとかジャムと一緒に食べる。結局、すごい甘いものになる。
アメリカで子供の健診のときに渡された離乳食のリストを見ると、ピーナッツバターは最初に書いてあるくらいメジャーなものだ。ためしに子供にあげてみたけれども、食べなかった。
ピーナッツバターは食べなかったが、これを機会に何かがふっきれた。スーパーには他にも離乳食のパウチがたくさんあった。吸い口があって後は吸うだけになっているものだ。これだと汚れないし、いろんな種類があるので子供も飽きない。アメリカはマーガリンなどのトランス脂肪酸が禁止されていたりと、日本よりも食に対する基準が厳しい部分もある。そのため、離乳食のパウチもそこそこ信頼できる、と思い込んで買っていた。
離乳食を毎日作るのはつらいことだ。子供のために一生懸命に作るのは大事なことだとは思うけれども、僕みたいに軟弱なメンタルだと折れそうになる。妻の負担も見てられない。離乳食のパウチで楽をした。食卓も汚れず、投石機もない、平和な食卓になった。