「地元の居酒屋」(長女2歳6ヶ月、双子5ヶ月)
困ったことがあった。
帰国して落ち着いてきた。忙しなくバタバタとしていたことも一段落して、新しい住居にも引っ越した。
僕らの住んでいたところは東京の郊外、コロナの感染が拡大しているというニュースを目にすることは日に日に増えていたけれども、近隣の市を見ても感染者はほとんどいない。僕の地域は0人だった。
帰国した当日に立ち飲みに行った僕だけれども、地元に戻ってからは飲みに行っていなかった。コロナどうこうより帰国のバタバタと育児でそれどころじゃなかった。もちろん、帰国して一ヶ月もして落ち着いたら、ぜったい一人で飲みに行く! と妻に宣言していた。
ボストンにいた頃から、地元に戻ったら行きたい店があるという話をしていた。子供の頃から目にしていた店で、ボロくて汚い外観を見ては、大人はなんであんな汚いところに行くんだろ? とか思っていた。その頃は、ビールもなんで飲むんだろ? とも思っていたのだから、ボロくて汚い店に行って苦いビールを飲むなんて奇行の一種だろう。大人になるというのは奇行を楽しめるようになることかもしれない。
18歳で家を出てしまったので、地元で飲む機会はなかった。
地元に戻ったら、あの店に行こう、というのが帰国の楽しみの一つだった。
完璧と思えるくらいに家事をこなし、十分と思われるくらいの育児の準備をして、妻の肩や腰を揉んで、妻満足度を上げてから、飲みに行く。僕のずるい駆け引きだ。ただ飲みに行きたいだけなのに、飲みに行くことを正当な報酬のように偽装する。
僕はいそいそと家を出た。
目的の店は、閉まっていた。年末で閉店していた。コロナの影響というより、きっと老朽化とかだろう。張り紙には25年だか30年だかのご愛顧に感謝する文言があった。
ここですごすごと家に帰るのも悪いことではない。妻もビールやお酒が好きなので、酒屋やスーパーマーケットに行って、お酒やつまみ、刺身を買って帰ったら、みんな幸せだ。「やっぱり家族が一番」というセリフも言ってみたい。
もう一件、行ってみたい店があった。そこも30年くらいやっている店だと思う。その店は母が嫌っていて、子供時代からの刷り込みか、ボストンでは思い出すこともなかった。
暖簾をくぐってカウンターに座った。しばらくすると席を一つ挟んで隣におじさんが座った。おじさんは僕が食べていた焼き魚を見て、「これと同じのをください」と頼んで、ニヤリと笑った。
これは「お話ししませんか?」の合図だ。
おじさんは本を持っていた。飲み屋に本を持ってくるということは、本の話が好きということを示している。本の話ならなんでもこい、という攻めの姿勢でもある。
「なんの本を読んでいるんですか?」
というお約束の切り口から、好きな本などのことを話で盛り上がる。二人でしゃべるものだから喉も渇いて、次々にビールを飲む。大瓶を3本くらい空にすると久しぶりにたくさん飲んだということもあって、僕のおしゃべりは止まらなくなった。
「君は話せば話すほど遠い人に感じる」
小学校の国語の先生を定年退職したおじさんにそんなことを言われた。またやってしまった。好きなことになると話が止まらなくなるのが僕の悪い癖だ。おじさんに謝って言い訳した。
「すみません、二年ほどアメリカに住んでいて、日本語で本について話せるのがうれしくてついつい喋りすぎてしまいました」
「ますます遠く感じるよ」
と言っておじさんは笑った。おじさんはこの街にはあまり来ないらしく、隣駅の行きつけの店を教えてくれた。必ず行こうと思っていたけれども、コロナの蔓延などもあり、おじさんの行きつけには顔を出すことができないまま、地元を去った。一期一会が飲み屋の楽しさでもある。
日本語で酔っ払って好きなことをはじめて会った人と話す。育児も家事も忘れて2、3時間。こういうことに飢えていたんだろう。やりすぎてしまうのは僕の悪い癖だけれども。