いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

偏食に困る!(自閉症児篇)<偏食は好き嫌いとかではないような気がする>

「食べることに興味を持たせる」(長女2歳)

 

困ったことがあった。

 

長女は偏食だ。これも例によって「子供はみんなそう」という話になってしまう厄介な問題だ。

 

離乳食作りから子供の食育まで定型発達でも非定型発達でも苦労している人は多いだろうから、偏食の子供の扱いに困っていると、それは「親の責任」ということになりやすい。しかし、なぜこうも「親の責任」にしたがる人が多いのかと不思議に思う。

 

子供を二人、三人と育ててみると分かることの一つに、子供は一人一人ぜんぜん違うということがある。そして、定型と非定型では大きく違うこともあるし、そんなに違わないこともある。定型発達の子供もそれぞれだし、非定型発達の子供もそれぞれだ。

 

偏食はどの子供にもあることだろう。子供が偏食にならないように、バランスのいい食事を離乳食から心がけて、肉、魚、野菜も根気よく食べさせて、子供の偏食を克服した、という方もたくさんいるかもしれない。

 

次女と三女にも食の好みというものがある。好きな物もあれば嫌いな物もある。好き嫌いをあまり強要するのもよくないと思うので、食べられない食材でも一口でも口にしてくれればいいと思うようにしているし、好きなもので栄養が取れるようにあれこれと工夫している。

 

苦手な物でも、細かくして混ぜてみたり、キャラの力を借りたりしながら、口の中に運ぶし、率先して食べないようなものは強要にならない程度にこちらで口に運んであげたりしている。次女と三女の好き嫌いを偏食だと思ったことは一度もない。

 

僕は、こんぶとなめこが子供の頃から食べられない。その二つの食材が食べられないのは、味のせいでもないし、食感のせいでもない。4歳の頃に保育園で無理やり食べさせられたことが忘れられないからだ。一口食べて苦手だと思って残したら、無理矢理、口の中に入れられて、手で口を押さえつけられた。何度も何度も。食べてしまった方が良かったのかもしれないけれども、無理矢理に押さえつけられているものだから、飲み込むということができなかった。ただ苦しかった。そして配膳室に食器を片付けに行く途中のゴミ箱に口から吐き出していた。あの頃から僕はよく吐くようになったと思う。

 

いまでは、こんぶもなめこも味は嫌いじゃないし、食べようと思えば食べられる。なのに不意に子供の頃のことを思い出してしまって、吐き気がしてしまって食べることができない。好き嫌いだったのか偏食だったのか分からないけど、食べ物を強制、強要することは終生忘れえぬ記憶を作ってしまうこともある。

 

長女は、はじめて口にするものが苦手だった。少しの量をスプーンなり指先に乗せて口に入れるか、舐めさせるまでが一苦労だった。好きなれば同じものばかりを食べたがる。リンゴをすりおろしたパウチは気に入ったのか1日に4個から6個ほど食べてしまう。なぜそんなにあげるかといえば、それ以外食べてくれない時期があるからだ。それまでに好きなものをあげても食べないで放り投げてしまう。

 

サーモンが好きな時期があった。しかも、ちょっとお高いスーパーマーケットのサーモンしか食べなかった。それも突然、食べなくなった。僕が作るものだと、ガパオライスやカレーライスばかり食べる時期もあったけど、そのときも、それしか食べないと思ったら、全く食べなくなったりする。飽きてしまうのかもしれないと間隔をあけてみても、食べなくなったものはもう食べない。

 

長女はアメリカの療育にあたるアーリーインターベーション(早期介入)を受けていた。自閉症児には偏食が多いということもあり、アーリーインターベーションでは、食べ物を食べさせる療育もあった。日本だと「子供はみんな一緒」とか「偏食は親の責任」みたいにされてしまうが、アメリカでは自閉症児への早期介入として、偏食に関しても社会のフォローが必要だと認識されている。

 

その療育には妻が長女を連れて行っていた。長女の偏食はなかなか頑固らしく、専門家たちも手こずっているようだった。そこの方針は、まず食べることに興味を持つようにすること、食べることが楽しいことだと思えるようにするということだったと思う。

 

考えてみると、僕も食べることが嫌いだった。しかたなく食べているけれども、食べなくて済むのであれば食べないで済ませたいと思っていた。いつかカプセルや錠剤みたいなものだけで食事が済むようになればいいと心底思っていた。お菓子は好きだった。

 

そういえば、偏食の長女も僕も、白米だけ、というのであれば比較的食べていた気がする。おかずもいらないし、ふりかけもいらない、ただ白米だけ。何か色がついてしまうと食べたくなくなってしまう。偏食というよりも、習慣や秩序感とかそういうものだったのかもしれない。

 

きっと長女も食べることでいろいろな食感や味に出会うことがいやだったのだろう。いつもと同じなのは白米くらい。パンの食感は嫌いだったのかなかなか食べてくれなかった。僕は大人になると食パンをトーストもせず、何も塗らず食べていて、気味悪がられたことがあった。

 

食べ物の療育の方針は、とても賛同できるものだった。まず、食べることに興味を持たせることが大事なんだと思う。長女と次女三女の根本的な違いは、次女三女は好き嫌いはあっても食べることが好きで、食事の時間の前に食卓の椅子によじ登っていることが多い。長女は食事が用意されていても、なかなか席についてくれない。

 

偏食と好き嫌いの大きな違いはこういうところにあるのかもしれない。