いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

妊婦の変化に困る!(東京篇)<妊婦と暮らせば>

「育児のリハーサル」(妻、妊娠中)

 

困ったことがあった。

 

妻が妊娠していた頃、食の好みがコロコロ変わった。食の好みというより、食べられる物の傾向が変わるという感じかもしれない。

 

妊娠、妊婦関係の本を読みながら、この食品がいいらしい、この栄養素を摂った方がいいらしいといろんなものを試す時期があった。炊飯の匂いに耐えられない時期もあったり、何も食べたくないということもあった。

 

これが食べたい、あれが食べたい、と言われるうちは、それを買いに行ったり、作ったりすればいいだけだから、なかなか売ってないものとかは困ったけれども、まだどうにかなる。食べたいものを食べている人を見るのは楽しいものだ。

 

炊飯器でご飯を炊く匂いがだめなら、妻が外出しているときにご飯を炊けばいいし、または寝ているときにこっそり炊いて換気扇でも回しておけば意外と平気だったりもする。ご飯を炊いているときに炊飯器の近くに妻が来ると吐き気がすると言われるのだから、悪いことをするようにコソコソとご飯を炊いた。ご飯を炊くことに罪悪感を覚えたのははじめて経験だった。

 

ご飯が炊く匂いで思い出したけれど、むかし見た映画で、勝新が炊飯器か何かに抱きついて、ご飯が炊ける匂いを嗅いでいた場面があった。殺し屋の役だったから、ご飯を炊く行為にもなにやら犯罪的なものがあるような気がしたものだ。

 

妻はご飯が炊ける匂いはいやだけれども、ご飯は食べたいという。この理不尽な要望は妊婦じゃないと分からないのかもしれない。

 

冷ましたご飯をおにぎりにして用意した。大きいおにぎりはいやだという。だから小さいおにぎりにした。具も入れて欲しいというから、小さいおにぎりに鮭やおかかツナマヨとか入れた。小さなおにぎりを作るのにも慣れてきて、いろんな具を入れて妻の顔色を伺っていた。

 

あるときぱったりと食べなくなった。もういらないとのことだ。今度はゼリーがいいという。いろんなスーパーマーケットやドラッグストアでさまざまな種類のゼリーを買って、色彩豊かなゼリー盛り合わせのお皿を作っておいた。これも食べなくなった。やっぱりおにぎりが食べたい、今度はゼリー、今度は何も食べたくない、そんな繰り返し。

 

もうよく分からなくなった。水が飲みたいらしい。水は硬水が飲みたい。硬水にもいろいろ種類があるから、これもいくつか試した。お気に入りの硬水を毎日のように買ってきた。6本も買うと手運びは結構つらい。

 

あるとき、6本の硬水をビニール袋に入れた僕が、手ぶらの妻と歩いていた。家の近くには急な坂道があるから、ちょっときついなと思ってゆっくり歩いていた。

 

「こういう坂は後ろ向きだとつらくないよ」

 

僕の荷物を見てから言って欲しいと思って、水6本を高く掲げた。妻が後ろ向きに歩きながら笑っていた。妊婦なんだから足元に気をつけて欲しいと思った。

 

食べたくない時期でも、この硬水は飲んでくれた。そして試しに作った小さなサンドイッチも食べてくれた。そしてまた小さなおにぎりやらゼリーやら食べるようになって、いつの間にか、普通によく食べるようになった。硬水は冷蔵庫の横に5本くらい放置されたままになった。

 

妊婦は豹変する。その豹変に振り回されながらも一緒にいることは、もしかしたら、育児のリハーサルをしているようなものかもしれない。妊婦は胎児の世話を24時間しているようなものだ。そう考えれば、妊婦の世話を数時間することなど大したことではない。

 

愚痴みたいなことを言うと、あれです。妊婦やママは愚痴を言ったり、相談する場所や機会が増えているし、行政だけじゃなく、SNSでも助け合いがある。男の場合はあまりないし、ちょっと愚痴ると怒られることも多い。妊婦ほどつらくないと言われればもちろんそうなんだけれど、僕だってたまには妻以外の人に褒めて欲しいと思うことがあった。

 

妻が義妹に妊娠時代の小さなおにぎりの話をした。義妹は夫(僕の弟)を見て、「うちはそんなことやってくれなかったなあ」とにらみつけた。

 

僕は弟に怒られた。やっぱり、こうなる。