いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

日差しに困る!<2>(ボストン篇)<ボストンの夏景色>

日差しに困る!<1>(ボストン篇)の続きです。

 

ボストンの夏は、東京や名古屋の夏と比べると過ごしやすい。高性能の扇風機は買えなかったけれども、窓が開けれれる部屋であれば、扇風機すらいらないと思う。夜は涼しく、過ごしやすい。そんな短く、過ごしやすい夏だからか、ボストンの人たちは夏を愛しているようにも思えた。公園には噴水が出て、子供だけじゃなく大人たちも公園に家から椅子を持ち込んだりして過ごしている。

 

僕らが過ごした部屋にはエアコンもあった。本来ならエアコンなどつけずに過ごせたけれども、窓を開けるとマリファナの煙が入ってくるというサービス付きのアパートメントに住んでいたということもあって、夏の気持ちの良い風だけを楽しむというわけにはいかなかった。そうそう、学生が多いアパートだったのかもしれない。卒業シーズンは毎夜のようにパーティでうるさかった。

 

そういえば、一度、玄関ドアの廊下で数人の人が騒ぐ声がしたから、ドアを開けてみると、やたらと真面目そうな学生たちが数人、はしゃいだ瞬間のままストップした感じで僕を見た。「子供が寝ているから、騒ぐなら部屋の中で騒いでくれ」というと、みんなおとなしくなって、口々に謝っていた。素直な子たちなんだろう。こんなことを言うのは失礼かもしれないが、彼の風貌と対応を見ながら、この子達は、MITの子たちかな? とか思っていた。

 

まあ、そんな学生たちが賑やかなアパートメントに住んでいたというのもあって、エアコンがとくに必要ないようなボストンの夏だけれども、僕らは部屋を締め切ってエアコンをつけていた。古くて汚いエアコンだけれども、騒音やマリファナよりはマシと言う感じだった。そしてそんなエアコンで十分、部屋は涼しくなった。冷えすぎることもあった。

 

困ったことがあった。

 

過ごしやすいボストンの夏だが、危険もある。それは日差しだった。僕が夏場に帽子を被るようになったのは、ボストンに来てからだ。そういえば、冬場にもニット帽を毎日被るようになったのもボストンに来てからかもしれない。頭に何かをかぶる習慣が増えた。

 

ボストンの夏を舐め切っていた僕は、子供をベビーカーに乗せて公園などに行くときも、子供には日差しが当たらないように、いろいろな工夫をしていたのに、僕の頭や皮膚に対しては何の予防もしていなかった。

 

まだ暑さをそこまで感じる前、ちょうど、今くらいの時期に外から戻ると、顔がヒリヒリとした。妻から顔が真っ赤だと言われて鏡を見てみると、顔中真っ赤になっていた。僕は色が白いというのもあって、子供の頃から夏場は肌が真っ赤になってお風呂に入るとヒリヒリして、しばらくするとまた白くなるという感じだった。しかし、それも子供の頃の話で、大人になってからは、野外で活動をしていても、ヒリヒリするような日焼けとなると、数えるほどしかない。炎天下で長時間の作業をしているときになるかならないか、というくらいだ。

 

それがどうだろう。ボストンでは、そこまで長時間というわけでもないのに、顔が日焼けというか、もう火傷といってもいいような状態になっていた。日焼け止めのベタつきが苦手という理由で、そう、僕は妙に過敏なところがあって、日焼け止めや虫除け、整髪料など苦手でほとんどつけることができない、肌の問題というよりも、単に嫌だから、という子供じみた理由なのだから、情けないが、そのときも、子供には日焼け止めを塗る癖に自分には一切塗っていなかった。

 

「日焼け止めなんて塗らないぜ」とマッチョな感じで妻の勧めを断っておきながら、「ヒリヒリして痛い」と泣きついて、アロエの何かを塗っていた。アロエの何かはお肌に少し染みた。そういえば、アロエって火傷にいいとかって昔、聞いたなあとか、アロエドリンクってあったなあ、とかそんなことを思っていると、妻がニヤニヤして僕を見ていた。

 

そんな妻の顔を見ながら、日焼け以外にも感じていたことを話した。公園などにいると、妙にクラクラするということだった。これにも妻は笑って答えてくれた。つまり、帽子を被っていないからだということだった。ボストンの夏で僕が思い知ったのは、帽子と日焼け止めが必要だということだった。

 

日差しに困る!<3>(ボストン篇)に続きます。