いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

日差しに困る!<3>(ボストン篇)<ボストンの夏は日差しが大変だ>

日差しに困る!<2>(ボストン篇)の続きになります。

 

ボストンの夏をなめていた僕は、ボストンの夏に痛い目に合わされた。気温や湿度だけを見れば大したことがないボストンだけれど、日差しの強さのようなものは味わってみないと分からないものだ。ボストンの公園には、無料の日焼け止めが置いてあるし、また、確か、マサチューセッツ州の州法とかには、子供に日焼け止めを塗らないのは法律違反とかになるとかそんなのもあったような気がする。

 

そんなに日差しに対して警戒しているとも知らず、そもそも、マッチョを気取る僕は日差しなんか気にしないぜ、みたいなことをやっているものだから、日差しによって顔中が火傷のようになって、アロエを塗る羽目になった。

 

困ったことがあった。

 

昔、肌が赤くなってヒリヒリしてお風呂に入りたくないと思っていた小学生の頃、そのときには日焼け止めなんておしゃれなものはあったのかもしれないが、我が家にはなかった。しかし、帽子はあった。当時の小学生は野球が好きかどうかは関係なく、野球帽を被るものだった。冬帽と夏帽の違いはあったけれども、野球帽をかぶっていた。夏に外に出るとき、野球帽をかぶっていないと、決まって母親から、帽子はかぶっているか、と聞かれたものだった。

 

野球帽は被るだけにあったわけではない。物を入れたり、虫を取ったりするときに使われるものでもあったため、小学生の僕が帽子を被るかどうかはさておき、帽子を忘れることはなかった。しかし、このように帽子の用途から外れた使い方を覚えてしまったからなのか、小学生のときに帽子が必要だった虫取りやら、手打ち野球などがなくなれば、帽子は不要なものとなり、中学生のときにも学帽なるものがあった地域ではないので、無帽となり、その後も、帽子が必要になることがないまま過ごしてしまった。帽子というのは、好きで被るものであって、おしゃれやこだわりによって必要になるものなのだ、といつしか思うようになってしまった。

 

しかし、当たり前の話だけれども、夏場の帽子は、日差しから頭や顔などの皮膚を守るというものだ。これを忘れていた。冬はもちろん防寒用だ。

 

僕は急遽、Amazonで帽子を探した。麦わら帽子みたいなものがいいけれども、せっかくアメリカにいるのだから、なんだかテキサスな感じのものにしてみるのもいいか、と探していると、麦わら帽子と幅広のテキサスっぽい帽子の中間みたいな帽子があった。この帽子を被って、子供と公園に行くと、クラクラしない。顔には日焼け止めを塗っているけれど、日焼け止めがいらないくらいに、帽子のツバで日差しが遮られる。そして気がついた。ボストンは日差しが強いのかもしれない。そういえば、目も痛い気がする。

 

僕の目は少し茶色い。これも妻に指摘されたけれども、僕は明るい場所を避ける傾向があり、僕にとってちょうどいい明るさは、妻にとっては薄暗いらしい。そうなると、今度はサングラスかもしれないと思ったけれど、これにしても、そう本来の使い方は、帽子のように日差しがきついからつけるものなのに、帽子と同様に、こだわりやおしゃれの一種として僕は認識していた。暗い中でサングラスしている人だっているのだから、僕の認識が突飛ということもでないだろう。こうなればサングラスか、とは思ったけれど、メガネとしている僕がサングラスというのは、ちょっと大変だ。メガネにつけることができるタイプもあったけれども、どうにもしっくりこない。ドラッグストアのサングラスコーナーでいろいろ試してみたけれど、サングラスはやめた。

 

ちなみに、日本に戻ってからも、日差しの強さを感じることが多くなり、これは老化とも関係あるのかもしれないけれど、度入りサングラスを買おうと思った。とはいえ、僕はそもそも薄暗いところにいることも多いので、サングラスを使うことなどあまりないし、室内でも、眩しい光がいやだけれども、室内でサングラスをかけるのもいやだなあ、と眼鏡屋さんで相談すると、偏向レンズや、うっすらと光を遮るレンズにすることを勧められて、いまは、よく見なければ分からないくらいの色が入っているレンズになっている。夏場の光は眩しいけれど、このメガネと帽子のツバがあればどうにかなる。

 

ボストンの夏で、問題だったのは日差しだった。

 

その後、ボストンの夏の日差しを気にし始めた僕は、ボストンの夏を攻略しはじめたと言っても過言ではないだろう。夏のボストンを歩くときは、まず日陰を探す。日陰が向いの歩道であれば横断してでも日陰の方の道で行く。これだけだと、東京でも名古屋でも夏場の歩行者はそうしている、と思われてしまうかもしれないが、ボストンと東京ではまるで違う。東京でも日差しが強いときには日陰を探すだろう、しかし、日陰に入ったところで、少しはマシというくらいの話だ。高い湿度が熱せされた通称熱気が顔中にまとわりついてくるところまでは避けられない。いっそ日差しでカラッとしたくなるというのが東京や名古屋の日陰だ。ボストンの日陰はまるで違う。言い方はおかしいが、日に照っているところは夏だとしても、日陰は秋くらいな違いがある。日差しだけが暑いのだ。

 

東京の夏を知っていると、ボストンの夏は冗談のようなものだ。ただ日差しにだけ気をつければいい。その日差しがちょっと強いというのが困った問題で、でもまあ、これも、ただ僕がおっさんになってきて、日差しに弱くなってきたというだけかもしれない。個人的な問題かもしれない。実際、帰国後の僕は、日差し対策をしている。あ、でも、帰国してからは日焼け止めまではしていないのだから、やはり、ボストンの日差しは強かったのかもしれない。