いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

取り組みに困る!<4>(自閉症児篇)<いまでも結局「蕎麦ときしめん」だ>

取り組みに困る!<3>(自閉症児篇)からの続きになります。

 

名古屋市での子育ては自閉症児じゃなくても、余所者には難しいかもしれない。じいじばあばがいない、頼れる人がいない、というのは、身内共同体のような地域では異質になりやすい。困っている人は自己責任が問われてしまうような地域だ。身寄りもないなら出てけと思われるような地域だ。ということで、発想の転換が必要だった。

 

困ったことがあった。

 

発想の転換というものはあるもので、名古屋のとくに下町あたりだからこそ、こんなことになっているんだと思うし、こんな状態でもおかしいと思うのは少数者でしかない、つまり地域環境の問題だ。僕だって、ずっとこの辺に住んで、じいじばあばがいるのが当然で、保育園や小学校で保護者の負担が多いのが当たり前という中で育っていたら、保育園のイベントが平日にバンバン入ろうが、毎日見守り運動があったとしても、違和感すら抱かなかったかもしれない。むしろ、それが当然という感じで、保育園や小学校というのはそういうものだし、その方が子供たちの成長を見届けられるいい環境だという思い込みをしたに違いない。余所から来て困っている人がいても、へー、くらいにしか思わなかったかもしれない。

 

もっと言えば、長女が定型発達だったら、健常者だったら、そして、下の子が双子じゃなければ、育児に対する物理的、精神的な困難さを覚えずにいたかもしれない。現に、今の僕は経済的困難さに対しては大して想像もしないで、長女だけなら私立でもよかったとか思っていたのだから、環境によって対処が変わるという証拠だろう。結局、自分の環境からしか考えることができない。

 

経済的困難さに関して僕は何も言うことができないけれど、できるだけその困難さが軽減される社会であってほしいとは思う。

 

発想の転換ということで、名古屋市から出ることにした。地域の環境が変わればきっと保育園や小学校の取り組みが違うのではないかと考えたからだった。名古屋市から出て、しかも、余所者が多そうな場所であれば、「じいじばあば」ありきの方針で保護者への負担が増えるようなことはしないだろう。

 

そんな市を探して、そこの保育園や小学校を調べてみた。

 

保育園に電話すると、まず自閉症児や加配児童の預かり拒否などはないということだった。逆に、なぜ僕がそんなことを尋ねるのかが不審がられてしまったので、名古屋市では15:30までしか預かれないと言われたというと、驚かれてしまった。その市ではありえないということだった。少なくとも、その市の保育園でそんな方針のところはないということだった。また、保育園の見学、面接も自閉症児を連れてくる必要はないということだった。

 

見学に行ってみた。

 

質問のときに、他の保護者が保護者の会について熱心に聞いていた。どうやら、その方は僕らと同様、名古屋市からの転居予定らしく、名古屋市での保護者の活動がつらいということだった。その市の保育園では、保護者が負担に感じる活動はない、ということだった。加配保育に関しても、加配児童から離れるようなことはないということだった。もちろん、加配児童は3人までは加配担当は1人しかいないということだったけれども、他の業務を加配担当がやることはないし、どのように運用されているのか、加配担当の紹介などをするのは当たり前ということだった。名古屋市では当たり前ではなかった。それと、保育園の独自ルールにきいてみると、そんなものはないということだった。ルールは最初に渡すしおりにある通りということ。名古屋市の保育園にあるような独自の明文化されないルールはない。本来、そういうものだと思うけれども、名古屋市の保育園での日々が僕を疑い深くしてしまっている。それは、名古屋市から転居予定の方も同様だった。

 

小学校についても調べてみた。

 

見守り運動は、各保護者が年に一回くらいやるそうだ。「毎日」と「年一」大きな違いだと思った。「年一」ならできる。なんなら、学期毎に一回でもいいし、小学校一年生のときには週一でもやっていいと思うくらいだ。でも、「年一」らしい。この違いは大きい。これが余所者が多い地域、じいじばあばがいない地域のやり方だ。横道にそれるけれども、名古屋の人に名古屋の奇妙さを話すと「多かれ少なかれどこでもそうだ」と言われる。多かれが問題になることはたくさんある。量が質に転化するってことだろう。

 

地域によって、保育園や小学校の取り組みは大きく異なる。制度などを超えたところにそれはあるような気がする。何度も書いているけれども、じいじばあばもおらず、障害児や、双子の育児をされている方は、そのあたりも考えて、住む場所を選んだ方がいいと思う。どうしても名古屋市というのであれば、余所者が多いと言われる地域がおすすめらしい。家賃と利便性だけで下町を選んでしまうと困ってしまうと思う。余所者が多い地域があるというのはつまりそういうことだ。

 

そのうち名古屋も余所者に優しい都市になるのかもしれないけれど、名古屋人論で有名な「蕎麦ときしめん」は40年くらい前に書かれているにもかかわらず、いまでも名古屋在住の余所者たちは共感してしまうのだから、やはり名古屋市から一歩でも出た方がいいのかもしれない、環境はそう変わらないにしても役所が変わるだけでずいぶん違うと僕は思う。