いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

「ランキングに困る!」<下>(自閉症児篇)<嫌だから出てくよ、名古屋市から>

「ランキングに困る!」<中>からの続きになります。名古屋市の不寛容性は一朝一夕でできたものじゃない。寛容性という価値観がそもそもない。合理的で功利的、そんな中学生マインドが名古屋ではマジョリティだ。人文的なものに対して価値を与えていないのかもしれない。確かに、人文的なものは意味わからないし、無駄のような気がするだろう。誰も得しないこともある。ただ考えることだけが目的にもなる。それはある種の余裕がなければできないことかもしれない。名古屋で言ってもしかたないことだ、と思った。

 

困ったことがあった。

 

「嫌ならな出ていけ」という田舎風の不寛容さに従って、名古屋を出て行くことにした。ネットなどで見てみると、名古屋だけじゃなく愛知県全体がダメだとか、三河はダメだとか書いている人も多くいた。僕の友人には三河の人が何人かいて、口は悪いけど、陰口ばかりの名古屋人よりは付き合いやすい。それはおいとくとしても、名古屋市名古屋市以外の愛知県の市で大きく変わるものもあった。

 

名古屋市から出て、愛知県の他の市に引越すことにした。移転先を探すにあたって、長女のことが気がかりだった。他市の保育園などに電話してみることにした。名古屋市のように、「障害の程度を見たいから面談に障害児を連れてこい」とか「加配児童は15時30分までしか預かれない」とか「加配保育の運用は教えられない」とか「加配担当は園全体のフォロー」だとか、そんなことを言ってきたら、どこも一緒だと思って、諦めて生きるしかないと思っていた。

 

他市の保育園はそんなことなかった。名古屋市の加配保育について話すと、気の毒がられた。面談にしても、障害児を連れてくるのは大変だろうから保護者だけでいいとか、加配担当は加配児童の数によって変動するけれど他の園児と同様に18時まで預かれるとか、名古屋市とは最初から違った。この一点だけとっても、名古屋市外の方が寛容性が高いと思った。

 

名古屋市外はどこもいい感じだったので、妻の職場に近い市に引越すことにした。そして、その保育園の見学会に参加してみた。

 

僕は加配などについてはすでに聞いていたというのもあって、質問することはそんなになかった。一緒に参加していた保護者の方が、保護者の会についてしきりに質問していた。どこまでやらされるのかとか、何をやらされるのか、役員は絶対やらなきゃいけないのか、と切羽詰まっている。名古屋市では、役員を絶対にやらないといけないと強く言われるし、卒園アルバムとかいうのを作るために卒園委員まである。これが大変らしい。卒園アルバムなんて保育園であるのかとびっくりしていたけれど、今時はそういうものかと思っていた。名古屋市は保育園なのに卒園アルバムがある。

 

名古屋市外の保育園では、役員もやらなくてもいいし、卒園アルバムもないということだった。保護者は安堵だ。フルタイムで働いている保護者からすればとても助かる。保育園はそもそも福祉施設だ。仕事で忙しいから保育園に預けている。それなのに保育園の業務が入ってくるというのは本末転倒だけれど、名古屋市の保育園ではそれがある。それは本来なら保育園に入れないような労働状態の保護者がいることと関係しているのだろう。言って終えば、子供のためという断り難い理由をもってきてご自分たちが暇だからやりだして、それが慣例化したということなんだと思う。そんなに暇なら卒アルとか作る幼稚園に行けばいいと思うけれども、名古屋の保護者からすれば、保育園を幼稚園化する方がお得なのだろう。彼らは損得勘定で判断しやすい。

 

もう一つあった。名古屋市外の保育園では、子供たちの荷物を保護者が室内に持ち運ぶ必要がないということだった。「3歳以上は」という話だったけれども、名古屋の保育園では、3歳だろうが5歳だろうが、保護者が園児の荷物を教室に持って行って整理整頓する。コロナの影響で密になることを避けるように言われていても、朝なんかは保護者が肩をぶつけ合いながら園児の荷物を入れている。名古屋市外の保育園ではそんなことはしない。ちなみに公立だし、名古屋の保育園よりも児童数は圧倒的に多いところだった。

 

小学校のことも調べてみた。

 

妻の職場の同僚から、小学校が大変だったという話を聞いていた。彼女は余所者だ。名古屋に引っ越してきて仕事と育児をしていた。小学校では旗振り運動みたいなのがあって、毎日、子供たちの登校や下校を見守るそうだった。妻の同僚は子供たちが小学校を卒業したのでやっと楽になったと言っていたそうだ。名古屋市外の小学校を調べてみると、その見守り運動なるものは、年に一度くらいやるかやらないか程度ということだった。違いすぎた。

 

名古屋の保護者は熱心というか、暇なのだろうか? 仕事もあって、こんなことができるのは、使えるじいじとかばあばがいるような環境の人だけじゃないだろうか。

 

そういえば、保護者の会で余計なことをやろうとする人たちや、慣例を守ろうという人たちは、地元民が多い。じいじばあばもいる。じいじの年齢は、僕に近いんじゃないかと思うようなじいじもいる。この人たちからしてみれば、保育園や小学校で保護者がやる業務が増えることは一向に差し支えないのだろう。じいじやばあばがいない余所者のことなど考えることもできないのだろう。まあ、僕の場合は、地元でもばあばが使えない人なので、じいじばあばありきのやり方には反発するけれども。

 

名古屋の保育園で最初に言われたのも、じいじばあばがいるかどうかだった。ちなみに、名古屋市外の保育園ではそんなことは聞かれなかった。

 

寛容性ランキングで愛知県が13位なのは、間違いなく、名古屋市の問題だということだ。僕が名古屋を批判すると、「名古屋はいい場所だ」と言う後輩がいた。彼女は育児もしているし、保育園にも小学校にも満足しているようだった。名古屋に住んでいるのかと思ってよくよく話を聞いてみたら、「北名古屋市」だった。名古屋市北名古屋市は違う。僕は名古屋市が嫌いなだけであって、そして名古屋市のお店とかは好きだけれども、名古屋市役所が嫌いというだけであって、名古屋市役所の管轄にない北名古屋市を批判しているわけではない。仲良くなった名古屋の友人もよくよく話を聞いてみれば、春日井市出身だった。ボストンで仲良くなった名古屋の友人は、犬山市静岡県掛川市の人だった。どこにも名古屋人はいなかった。

 

保育園でナンセンス発言をした保護者とそれに同調した保護者は名古屋市出身の方だった。寛容性がない名古屋走りは至る所に蔓延っています。ちなみに、名古屋人に名古屋走りの話をするとムキになって怒るそうなので気をつけた方がいいらしいです。