いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

親心に困る!<下>(障害児篇)<自分の子になると認めにくくなる>

親心に困る!<中>(障害児篇)の続きです。

 

障害児を取り巻く環境はいろいろだ。保護者もいろいろだし、保育士もいろいろだ。子供に健やかに育って欲しいと思うけれども、健やかに育てられる環境を自分たちだけで作るのは大変だ。

 

困ったことがあった。

 

 

妻の従姉妹に、2人保育士がいる。身内に保育士が多いというのもあって、保育園や保育士のついていろいろな話を聞くこともある。1人の従姉妹は妻と仲も良く、育児のアドバイスもよくもらっているし、保育士として素晴らしい人だろうなあと僕も思ったことがある。もう1人の従姉妹は、ちょっと難しい人で、自然体で人を利用するタイプ。そんな嫌な方の従姉妹が加配担当になったということで、妻に愚痴メールがあったそうだ。うちの長女が加配児童だということはすでに話しているにも関わらず。

 

「加配は面倒だからやりたくない」

 

そんなメールだった。

 

保育士もいろいろだろう。義妹のようにたくさん悩んで、言いにくいことでも自分の経験などから、子供のために、家族のために、と話を切り出す保育士もいれば、いつでも育児の相談に乗ってくれる保育士もいる。一方で、面倒な仕事としてやっている人もいる。

 

長女が通う保育園はどうなんだろうか。今年から長女の担任になった保育士は素晴らしい人で、妻の従姉妹の素晴らしい方を思い出す。障害についてもよく勉強をされていて、教えていただくことも多い。また、去年、僕が保育園と揉めに揉めたからなのか、以前からいる保育士さんの多くも、去年とは別人のように丁寧になり、保育園全体の雰囲気も明るいような気がする。昨年はちょっとやべえと思っていた保育士の1人も人が変わったようにいい人になっていて、今では次女が大好きな先生になっている。ずいぶん良くなっていると思う。

 

しかし、義妹のような保育士はいないようだ。難しいことだとは思う。思うけれども、義妹のような人は必要だと思う。そういう人を評価できない保護者や保育園がいけないとも思う。

 

カオスな運動会の後、長女の担任がいなくなってしまった。素晴らしい保育士で僕らは感謝ばかりしているし、長女も大好きな保育士。担任の先生がいなくなってしまってから、長女の癇癪がはじまり、想像上のお友達が1人増えた。担任の保育士の代わりに、他のクラスの保育士が担任になっている。その保育士も担任の穴を埋めようと一生懸命やっているのも伝わるし、実際、僕らも問題を感じていない。ただ、突然、担任の先生がいなくなってしまったことが長女には強いストレスになってしまったというだけだ。その方の存在は長女には大きかったのだろう。僕らが驚くくらい細かい配慮をしてくださっていた。

 

彼女が長女のクラスの担任に着任したときに、いろいろと話した。そのときに、名古屋市の障害児に対する取り組みがいい加減で、加配制度や統合保育がおかしな関係になっていることなどを話した。また、「子供はみんな一緒」という理念で、なんでもかんでも一緒にしている考えが全く改まらないというようなことを話していた。担任の先生は、その僕らの気持ちに応えようと一生懸命やってくれていたのだろう。しかし、制度や気質の問題を1人の人で解決することは困難なことでもあるし、彼女に負担がいってしまう。

 

ふと思った。

 

運動会のカオスを誰よりもつらい気持ちで見ていたのは、もしかしたら、担任の先生だったかもしれない。僕らが名古屋から出ていくという話も涙を浮かべて聞いていた。もちろん彼女のせいじゃない。名古屋市や保護者の理解の問題なのだ。

 

少し話は変わるけれども、認識というのは難しいということで思い出した。

 

妻の学生時代からの友人がいる。長女の一つ下の息子がいる。彼女にも、長女の知的障害や自閉症の話はしているし、療育が良かったことなどいろいろと話していた。友人の彼女は、長女の症状なども聞いて、療育などへの理解も深かったようだった。彼女の息子は運動に対して遅れがあったけれども、発語も順調ということもあって、いわゆる運動音痴なのかくらいに思っていたという。そして先日、運動だけでなく、知的な遅れが指摘され、療育に通うよう勧められたという。

 

彼女はショックをうけたそうだ。まさか自分の子が知的障害だなんて、ということだった。そして夫に相談したら、今は小さいからよく分からないだけだ、ということで、知的障害と言われたことを認めないということだった。療育には行かないつもりらしい。

 

親心というのは不思議なものだ。うちの子の療育や知的障害については興味津々で聞いてきたり、長女のことをよく褒めてくれる人なのに、いざ自分の子供になるとショックを受けて、普通であって欲しい、障害ではなくただの個性であって欲しいと思ってしまう。

 

そういえば、僕の母親もそうだった。僕の子供時代の奇行を面白おかしく話しながら、僕に障害があることを決して認めない。保育園の頃に何度も泡を吹いて倒れたり、何度も迷子になっていたり、高い場所から飛び降りて何度も骨折したり、靴を捨てて裸足で帰ってきり、小学校に何度も呼び出されたり、小学5年までおねしょが治らなかったり、中学生になってもうんこを漏らしたり、教室で突然裸になったり、宿題を全くやらなかったり、ここでは書けないような問題をよく起こしてしまった僕だけれども、母親は僕になんらかの障害があるとは、決して認めない。

 

親心というのはなかなか難しいものだ。