いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

「ランキングに困る!」<中>(自閉症児篇)<嫌なら出てけ、名古屋から>

都道府県寛容性ランキングというのがあった。最下位の島根のことよりも、大都市を有しながら13位である愛知県の方が不穏なものを感じてしまう。という話を「ランキングに困る!」<上>で書きました。その続きになります。

困ったことがあった。

名古屋の人は、名古屋の悪口を言われると、「嫌なら住むな」「出てけ」というような反応をしがちだ。不寛容さのお手本みたいな反応だ。都市というのは、好きで住むというよりも、学業や仕事などの関係で仕方なく住むことがあるから都市になっている。これがど田舎の何もないようなところであれば、「嫌なら住むな」と言われたら、そうか、と思える。嫌でも住まないといけない人たちが集うから都市になるし、またそういった外から来る人によって成り立っている部分があるから都市になる。そんなことから結果、制度にしても気質にしても、寛容にならざるを得ないというのがあって、寛容性が上がるわけだ。

 

しかし、名古屋の場合は、田舎のように「嫌なら住むな」と言えてしまう。これには地場産業が強いとか製造系が多いとかいろいろなことがあるだろうけど、田舎と同じ考え方のまま都市のような大きさになってしまった。名古屋が大きくなったのは、東京と大阪の間だったという理由しかないのではないだろうか。余所者は通り過ぎて行くだけだから、受け入れる必要がないということで成立したのだろう。嫌なら住むなが成立したのかもしれない。嫌なら足早に通り過ぎればいいのだ。

 

長女の問題で名古屋市と揉めたときに思ったのは、寛容性のなさというものだった。通常とは違う人を受け入れる気がないのだ。遠方に住んでいるから保育園の見学が難しいと言っても、障害の程度が見たいから、障害児同伴で名古屋まで来るようにと平気で言えるのが名古屋の保育園だ。そしてわざわざ出向いても、障害児は15時30分までしか預かれないという事実上の預かり拒否を平気で言うのも名古屋の保育園だ。そのことを区役所に相談しても「預かり時間は園長が決められることなので」といって相談にもならないのが名古屋の区役所だ。もちろん、市役所も同じだった。寛容性など考えこともないのだろう。

 

寛容性ランキング13位にしたって怪しげなものだ。ただ大きな都市があるから底上げされただけで、実質はもっと低いのではないか?と思ってしまう。大きな田舎とか大きな村と言われるのは、寛容性のなさを指して言われているということが名古屋人には分からない。そもそも寛容性なんて既得権益を脅かすだけの危険な考えなのだから、地元民だけで構成された場所においては不要のものだろう。

 

名古屋市と戦う準備ができたにも関わらず、僕が名古屋市を出ていくことを決めたのは、数人の保護者たちと話して、無理だと思ったというのがある。

 

「他と比べることはナンセンスだ」と言った保護者のことはすでに書いた。この発言は、寛容性のなさにも繋がるし、都市においてはなかなかお目にかかれない語録でもある。

 

人が多く集まるとこには、多様性というものが生まれてしまう。そのため、それまでうまくいっていても、別の人の参加によってうまくいかなくなることがある。郷に入りては郷に従えというやり方が通じるのは、小さな組織や田舎での話だと思う。余所者が多く集まる都市においては成り立たない。

 

都市は多様性に対応する。そうやって多くの人たちがいられるようにする。こんなことは今更言うことでもないし、なぜこんなことを書かなければならないのか分からないくらいだ。

 

多様性や寛容性のために、他の場所などの取り組みを参照するというのは良くあることだ。例えば、東京などは、多様性の先進国でもあるアメリカの都市部の制度などを取り入れようとする。他と比べることがナンセンスだとは思われていない。ボストンなどでも、たとえば育児や教育などはフランスだったりドイツだったり、他と比べて取り入れていた。他と比べることはナンセンスではないと思っているからだ。

 

しかし、多様性が求められていない田舎であれば、これまで通りうまくやっているのだから、他と比べることもないだろう。都市のやり方をそのまま採用したところで、そもそもの人数の差や、費用対効果などを考えたときに採用できないモノも多い。そのため、田舎ではそもそもの多様性の少なさから、寛容性も少なくなる。この場合は、「他と比べることはナンセンス」ということを言う人もいるだろう。場合によっては田舎でも、このような意見を言う人は頑迷固陋と言われてしまうかもしれない。

 

大都市名古屋は、「他と比べることはナンセンス」「嫌なら出ていけ」と、名古屋が批判されると口癖のように言ってしまう。言えば言うほど田舎者であることを露呈しているわけだ。そうなると、「名古屋は大きな村」とか「名古屋は大きな田舎」とか形容されるのも仕方ないと思う。

 

僕がこんなに名古屋を嫌うのも、昨年のすったもんだがあるからだということで許してもらいたい。それに、名古屋のことを悪く言っているけれども、愛知県のことを悪く言っているわけではないのです。不寛容ランキング13位に愛知県がなってしまったのは、名古屋の不寛容性が原因だと僕は思っている。