いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

はずかしいに困る!(自閉症児篇)<人に何か言われることへの反応>

「長女の独特な羞恥心」(4歳6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

言語認識が1年6ヶ月遅れていると診断された長女も、4歳を超えたあたりから言葉が増えてきた。論理的に、順序立てて話せるようにもなってきた。

 

論理的と言っても、「なになにだから、なになにする(しない)」というようなことで、形式としては論理的であるのだけれども、その結びつきはよく分からないことがある。

 

彼女の理屈が分からないのは、僕が彼女の背景を理解していないからというのがあるだろう。彼女が捉えている物や事の意味を僕が知らないというか、僕が捉えている物や事と彼女の捉え方が違っているのだろう。認識のずれというやつだ。

 

例えば、長女の買い物にいって、長女が気に入った花柄のズボンを買ったとする。気に入っているのだから、保育園に履いていくのかと思いきや、保育園には履いて行かないことがある。では、家で履くのかと言えば、家でも履かない。試着のときにはあんなに喜んでいたのにも関わらず、購入後は一度も履かないということがある。

 

「なんで履かないの? かわいいんでしょ?」

 

「だってさ、かわいいから、恥ずかしい」

 

「履きたいから買ったんでしょ?」

 

「だってさ、でも、恥ずかしい」

 

こうなると、かわいい物に対して恥ずかしいという気持ちがあるからか、と思えば、かわいいから履くと言っているものもある。お尻に穴が空いている花柄のズボンは履きたがる。

 

「このズボン、穴が開いてて恥ずかしいから、履くのやめなよ」

 

「だってさ、お花だから、恥ずかしくないよ」

 

なかなか理解ができない。

 

そんな長女も、穴が空いているズボンは恥ずかしいと思うようになってきたからか、穴が空いているズボンを履きたいという気持ちはあるけれども、履くのを諦めるようになってきた。かといって、穴が空いているズボンを捨ててしまうと癇癪を起こしてしまう。

 

洗濯物を置いているところに、長女の穴あきズボンが何着もぶら下がっているのはそのせいだ。

 

長女は、穴の空いているズボンをチャックしている。捨てられていないかチェックしている。なぜチェックしているのか分からないけど、チェックしている。

 

最近では、お気に入りのズボンに穴が開くと僕に教えてくれるようになった。そして、穴あきコレクションに加えると、それを見て納得する。お気に入りの穴あきズボンは殿堂入りしたかのようになって、洗濯物置き場でぶら下がっている。

 

長女と服を買いに行くと、一応、全部、長女に見せてから気に入ったものを買っている。にも関わらず、半分は着られることのない服になる。

 

「ヒラヒラしてて恥ずかしい」「短いから恥ずかしい」とか何かが恥ずかしいようだ。そして、去年買って着てくれなかった服を見つけてきていたりする。ピチピチなのに、それがいいみたいで着ている。

 

「小さい方が恥ずかしいんじゃない?」

 

「これがいいのー」

 

そんなやりとりをして、ピチピチの服を着る園児が出来上がる。

 

そんな長女の独特なファッションは保育園でも話題になるようで、長女の友達の保護者さんからは、どこで買った服か聞かれることもある。どうやら、長女の友達は同じものを欲しいと言っているようだ。そして、同じ服を友達が着ると、長女は着なくなってしまう。

 

長女は友達と同じ服を着ることが「はずかしい」と思っているようだった。これだけ見ると、ただのおしゃれさんというか、ファッショニスタかみたいな感じになるのだけれども、これには少し理由がある。

 

長女が3歳の頃、発語がほとんどなかった。その頃は、一緒に服を買いに行って気に入った服を着てくれた。あるとき、お気に入りの服を着て行ったら、同じクラスの女の子たちに囲まれて「なになにちゃんと同じだ」「それなになにちゃんのマークだよ」と言われていたのを妻が目撃したことがある。

 

その頃から、長女は一緒に買いに行った服も着なくなることが増えた。まだ言葉で自分の意思が伝えられなかったというのもあって、なぜ着ないのか理由がわからなかった。

 

長女が友達と同じ服を着なくなったのは、以前、長女には分からない言葉でいろいろと言われたことがあったからなんだろう。それと、僕が気合を入れて買ったミキハウスの可愛らしい服も今の保育園に入ってからはぱったり来てくれなくなった。バレリーナのマークで何か言われたらしいことは分かった。長女はバレエを習っていないとかそんなことを言われたらしい。

 

長女の「はずかしい」は、誰かに何かを言われるということを示しているということが徐々に分かってきた。穴の空いているズボンはみんなが笑ってくれるから履いていても楽しいみたいだったし、ピチピチの服もそれを笑っている友達がいるから長女としては良かったのだろう。お友達たちが操る流暢な言葉についていけないということもあって、説明が求められる服は嫌だったのかもしれない。

 

今では、理屈というか、自分の気持ちを少しでも言えるようになってきたので、以前ほどお友達の意見に左右されなくなってきたような気がする。「はずかしい」という言葉は「何か言われる」ということだと思うと、ちょっと親としては複雑な気持ちがするけれども、何かを言われても、少しはそれに対して言い返せるようになってきているのを見ていると、「はずかしい」も減ってくるのかもしれないと思った。