いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

水遊びに困る!(自閉症児篇)<自閉症児と水遊び>

「子供はみんな水遊びが好き」(長女1歳9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女は水遊びが好きだった。自閉症児はなぜ水遊びが好きなのかどうなのかと調べてみれば分かるのかもしれないけれども、ここは自分の記憶を掘り起こすだけでも心当たりはたくさんある。

 

僕は水遊びが異常なくらい好きだった。「子供はみんな好きだよね」という子供あるあるな感想はもちろんだと思うし、狂犬病や稀有な水アレルギーでもなければ、多くの人が水が好きだろう。海から生物は生まれたんだとかにしてもいい。ある問題を平等化、平準化して、問題ではないとするやり方は社会が保障や合理的配慮をしないで済むように行う感情的な自己防衛と考えることができる。そういう意味では、「人はみんな関心がないよね」でもいいかもしれない。困ったことがある人とそうでない人がいて、困っている人は大袈裟だったり、自己責任だったりにしたいのが世間というものだ。困っていないときに困っていることを想像するのは困難でもある。

 

繰り返すと、僕は水遊びが好きだった。子供はみんな好きなように好きだった。水道の蛇口を捻って、水が出る、その水を手刀で切る。子供はだいたいこれをやる。カンフー映画の修行のように遊ぶものだ。これも程度問題だ。この遊びを何分やるだろうか、どのくらいの期間やるだろうか。

 

「普通」というのは難しい。「普通」というのはないかもしれない。みんなが違うのだから普通はない、「普通」の人はだいたいそういう。困っていない人は「普通」にそう考えている。

 

水を切るのは、何分までが普通なのだろう? 1分で飽きる子供もいるだろう、5分もやる子供もいるだろう。

 

僕の場合は、5時間だった。

 

どのくらいの期間やるのだろうか。一回で終わる人もいれば、次の日もやる人もいるかもしれない。中には1週間ほど凝ってしまう人もいるだろうし、こんなことをやるのは、幼児期だけかもしれないし、小学生低学年くらいかもしれない。

 

僕の場合は、保育園の頃から小学校5年生までやっていた。やりはじめると5時間。ずっと水を切っていた。

 

でも、「子供はみんな水が好き」だし、「水切りは誰もがやる」ことだから、1分の水切りを1回やった子供と、5時間の水切りを定期的に数年間行っていた僕は、「同じ」だろう。「みんな一緒」ということになる。違うのは、水道代とどれだけの数、親に叱られ、叩かれたか、それでも泣きながらやり続けてしまったか、という違いがあるだけで、「子供はみんな水が好き」ということでは、一緒なのだ。問題ない。釣り堀に入ってしまったり、噴水に突然入ってしまったり、おしっこでも水切りをしてしまっても、「子供はみんな水遊びが好き」だから、全く問題がない。

 

長女は水遊びが好きだった。「子供はみんな水遊びが好き」だから、大した問題ではない。ボストンの公園では暖かくなると、噴水や水遊びができる施設から水が出てくる。「子供はみんな水遊びが好き」なので、水場は大人気だ。

 

長女も朝から遊びに行って夕方近くまで遊んでいる。最初から長女が居て、最後まで長女がいる。帰らない。ご飯も食べてくれない。離れさせようとすると狂ったように泣いてしまう。ずっと水で遊んでいる。

 

水遊びをさせてあげたいと思いながら、水にとらわれたようになっている長女を見るのが忍びなかった。きっと、僕の母も同じように僕の水切りや、浴槽の縁にある水滴を移動させることに何時間も熱中する僕を見ていたのだろう。

 

長女は間欠的な水の発射は苦手だった。ただ、チロチロと流れる水を触っている。小さな川のようになっている水にお尻を浸して座るのが好きだった。水着を持って行っていたし、おむつもたくさん用意してあるとはいえ、長時間の水遊びは体に悪いんじゃないかと不安になることもあった。

 

家でも水遊びをしたがった。僕が好きだった蛇口を捻って水を出して手を出すやつだ。ただ、アメリカの洗面台は不安定で、水もすごい勢いだったということもあって、長女は怖かったようだ。

 

朝から公園に連れていってしまうと、長女が水にとらわれてしまうということもあり、時間を決めることにした。お昼寝を終えてから行くようにしていたが、午前中やお昼時はしばしば癇癪を起こしていた。水遊びがしたいからだった。

 

午後になって公園に連れて行く。そして水遊びをする。長女は服が濡れるのを嫌う。そのため水着になる。連日ともなると水着が湿っている。それは着てくれない。どうせ濡れるのに湿っている水着はいやみたいだ。また、普段の服を水着がわりにすることにも抵抗があるようだった。

 

湿った水着を着ない。普段着を濡らすのもいや。どんどん水遊びが困難になっていった。水で遊びたいのに、服が濡れるのはいやという困った状態。

 

僕も長女もどうにもならなくなって、泣き出す長女を抱きながら、流れる水を眺めていることもあった。

 

水着を何着か買えばいいと思う人もいるだろう。もちろん、何着も買った。しかし、何着あっても着る水着は1着になってしまう。他の水着は着てくれない。だから困る。

 

毎日通っていた公園にも行かなくなってきた。長女の機嫌がとにかく悪い。

 

あるとき、水がチョロチョロと流れる場所を長女が発見した。そこにサンダルを浸して遊んでいる。機嫌がよかった。彼女には公園のちゃんとした水遊びよりも、水遊びの水が排水される箇所がちょうどよかったみたいだ。長女の妥協なのか、それとも好みなのかは分からないけれど、目の細かい排水溝にサンダルを浸す遊びが数日続いた。

 

そこに石を置くようになった。石を並べる。そう「子供はみんな石が好き」だから普通のことだ。僕も並べたし、集めていた。中学生まで石を集めて磨いていた。口の中によく入れていた。高校生の頃に、もう石を集めているのはおかしいなんじゃないかと思って、コレクションしていた「その辺の石」を捨てたことがある。口の中に入れて、磨いて、並べる、それだけのための石。

 

長女は水遊びと石遊びを融合させた。石遊びについてはまた書こう。

 

夕方になって、そろそろ帰る時間になると、排水溝の石を僕がどかす。夜の間に排水溝が詰まってしまったら大変だからという大人の理由は分からないから、長女は泣く。しばらくはこれの繰り返しだった。もちろん、この間、長女は無言。発語がないままの水遊びと石遊びだった。

 

子供は水遊びが好きだ。そういや、僕は水道代が高くなるからということで引っ叩かれたこともあった。それでもやめなかった。きっとよくあることなんだろうと思う。