いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

アニメに困る!(ボストン篇)<考えさせられる幼児番組が必要なのだろうか?>

「幼児アニメってあまり見てこなかった」(長女2歳)

 

困ったことがあった。

 

長女が生まれるまで幼児用の番組やアニメなどをほとんど見たこともないというのもあって、それがどういうものかもよく分かっていなかった。

 

僕にも子供時代があったのだから、そういうテレビ番組の記憶があってもよさそうなものなのに、「おかあさんと一緒」すら、幼児のときに見た記憶がほとんどない。小学生くらいになって、たまたまテレビをつけたときに、「ハイ!ポーズ」とか見た記憶はある。ジャジャ丸、ピッコロ、ポロリという3人を見たのも、小学生になってからだったと思う。

 

僕が保育園のときに流行っていのは、「まいっちんぐマチコ先生」と「サンバルカン」だった。保育園のときにそれらを見た記憶はある。あと、近所のお兄さんにもらったのだと思うけれど、ヒーロー物の番組の主題歌を収めたテープがあって、それを聞いていたのも覚えている。僕のお気に入りは「ムテキング」だった。ローラーヒーローだ。はじめての英語はムテキングだと思う。

 

「マチコ先生」と「サンバルカン」は幼児向けのテレビ番組ではなかった。あと、「ウルトラマン80」みたいなものを見た記憶があるようなないような、頭の中で「ウルトラマーン エイティー」という声は再生することができる。記憶違いか若干のズレがあるかのか分からないけれど、仮面ライダーも、やたらゴツいバイクに乗って、手袋を変えて戦うやつがやっていたと思う。ゴム手袋で仮面ライダーごっこをした気もする。保育園児のときに見たテレビ番組の記憶はこんなもんだ。初めて見たテレビ画面で覚えているのは、ドラえもんだったと思う。2歳から3歳の頃に住んでいた部屋で見た記憶があるから、その頃の記憶だと思う。

 

小学生になると幼児番組などは偶然でもない限り見なくなるので、考えてみれば、きちんと幼児番組に触れる機会がないまま、幼児期を終えていた気がする。

 

アメリカに来て幼児番組を見ていた。しかし、「セサミストリート」は幼児番組だろうか、「キュリアスジョージ」は幼児番組だろうか、とその辺のことを考えるとよく分からないけど、登場人物が幼児である場合は幼児番組だということにすると、「ダニエルタイガー ネイバーフッド」は幼児番組だと思う。そもそもは、ペンシルバニア州かなんかのロジャーさんの子供番組から派生した番組らしい。

 

で、この「ダニエルタイガー」はよく歌を歌っている。その歌を僕も口ずさむようになったりして、長女と楽しく見ていた。楽しく見ながら、ふと気がつくこともある。登場人物の背景などにできるだけ多様性を持たせようという配慮などがそうだ。アメリカでは多様な文化的背景を抱えた人がお隣同士にいるということもあって、多様性とか言わなくても多様性が強いられる社会でもある。その中では、何が差別になるか分からないというのもあるから、子供の頃から、違っている人に対する免疫をつけている感じがある。

 

そして、そういう配慮の中で、それとなく、それまでの差別で象徴的に扱われたものを消していったり、関係ないようにしている。

 

例えば、ダニエルタイガーの中には、なんでもできるミス・エレーナという天才がいるけれども、彼女は黒人だ。お父さんが黒人で、お母さんが白人という家族になっている。これだけでも多様性が考えられているのが分かるけれど、多様性が描かれる中で、スイカは排除されていたりする。

 

動物が擬人化されていたりする漫画やアニメでは、登場人物たちが何を食べるのかという疑問が少なからず起こる。ダニエルは虎だから肉食もするだろう、猫の友人もいる。猫の友人の近所に暮らしているのは、なんとフクロウの友人だ。猛禽類のフクロウだから、食用にしている文化はあまりない。しかし、アメリカでは感謝祭というので七面鳥を食べる風習がある。

 

感謝祭のシーズン、ダニエルタイガーがどうするのか、ちょっと心配になっていた。

 

普通に、七面鳥を食べていた。フクロウの友人やフクロウの図書館司書はどういう気持ちだったのかは語られないし、七面鳥が擬人化されることはなかった。引っ越してきたのは、カモノハシだった。カモノハシの同級生には双子の弟がいる。

 

七面鳥は排除されず、スイカはなぜ排除されたのか。

 

七面鳥アメリカの文化の象徴だ、そして、スイカアメリカの差別の文化の象徴だ。黒人差別において、黒人はスイカばかり食べるということが差別的に言われていたらしい。そのため、スイカは黒人差別の象徴になる。だから、ダニエルタイガーにおいてスイカは排除しなければならなかったのだ。

 

では、七面鳥はどうだろうか。とある漫画では、ビーガンに配慮して七面鳥をどうこうというセリフがあったけれども、ビーガン以前に、感謝祭自体がネイティブアメリカンにとって呪われた記念日であるという批判もある。そのうちダニエルタイガーで七面鳥が扱われることはなくなるかもしれない。

 

これがいいことか悪いことかという判断は僕にはできない。きっとこれは良い悪いを超えて、スイカにしても、七面鳥にしても、差別や歴史を考えていく上で、どのように捉えていくのか、ということにもなるのだろう。

 

いつかアメリカの幼児も大人になって、ダニエルタイガーのことが話題になったときに、スイカ七面鳥のことを話題にするのかもしれない。そしてそれぞれの考えを述べるのだろう。

 

そんなことを想像していた。

 

僕の場合は、どうだろう。マチコ先生を話題にして、ハラスメント問題を話し合うだろうか。サンバルカンを話題にしながら、犬が怖くてカレーが好きな道化者だったバルパンサーについて何か思うだろうか。なかなか難しい。そもそも、マチコ先生にしても、バルパンサーにしても、何かに配慮して生まれた存在でもない。どちらかといえば、何にも配慮しないことで生まれた存在だ。彼女と彼のことを思い出しても、僕は懐かしさしか思い浮かべないのではないだろうか。

 

それはそれでいいのかもしれない。子供時代はただ懐かしむだけでいいのかもしれない。ただ、その思い出からは考える力が養われていないというだけだ。

 

日本の幼児番組を見ていると、僕が日本人だからか分からないけど、特に何も考えない。たまに良い曲があって歌ってしまうことがある。ねえねえね、なあに、って歌は好きだ。何も考えないけれど、考えればいいということもでない気がする。