いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

母乳指導に困る!(東京編)<ミルク混合でやります!>

「ミルクはオヤツってどういうことですか?」(長女1ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女が生まれて1ヶ月、はじめての育児ということでとにかく必死で頑張っていた。

 

フリーランス仕事とはいえ、育休がとれなくて二週間ほど仕事になってしまったことを今でも悔やんでいる。仕事はしていたけれども、睡眠時間を削って、妻を休養させるようとしていた。

 

僕が家にいる間は全部任せてもらうようにしていた。

 

そんなことから我が家は、完全母乳ではなく、当初から母乳とミルクの混合で子育てをすることにしていた。母乳の方がいいと言われるけれども、育児環境によっては、完全母乳が難しい場合もあるし、母乳の出が悪いこともある。母体への負担も大きい。

 

妻と僕はそんなことを話し合いながら、母乳ミルク混合にしていたが、ネットなどで調べると、親の勝手でかわいそう、母乳が一番みたいな情報も入ってきてしまう。産後の母親は体力的にも精神的にも疲弊しているため、そういう情報で自分を責めてしまうこともある。

 

搾乳器は手動の物を使っていた。双子が生まれたときには自動搾乳機が自治体から無料でもらえたけど、東京のある区からは搾乳機は手動も自動も自腹で買う。また搾乳機は相性もあるらしいから、自腹で何個も試すわけにもいかない、比較的評判の良かった主導搾乳機を買って使っていた。

 

相性が悪いのか、妻のやり方が悪いのか知らないけど、手動搾乳機はあまりうまくいかなかった。乳房に紫色のあざを作りながら頑張って搾乳している妻を見るのが忍びなかった。

 

「無理しないでさ、ミルク混合でやろうよ」

 

「でも、母乳の方がいいって言われているし」

 

最初から、母乳とミルクの混合で育児をすることに決めていても、不安定な産後の母親は揺れ動いてしまう。自責の念というのがあるし、情報が妻を追い詰めている。

 

「僕だって赤ちゃんにミルクをあげたいんだ!」

 

と自分勝手な人間として振る舞って、ミルクをあげていた。その間に妻が休んでくれるし、ミルクの方が長女は落ち着いて飲んでくれる。母乳は飲み終わった後にも泣くことが多い。飲んですぐにまたお腹が空くのか泣き出してしまう。腹持ちが悪いのかもしれない。

 

「この子は、たくさん飲むから母乳ミルクの混合が合っているみたいだよ」

 

「お腹減っているからずっと泣いてるのかな?」

 

そんなやりとりをしながら、どうにか1ヶ月を乗り切った。

 

1ヶ月検診だか1ヶ月半だか忘れてしまったけれども、子供の状態を見てもらった。健康状態は正常で、発育にも問題がない。健康。そしてそのあと助産師さんによる指導になった。

 

その病院の助産師さんの多くは感じもいい。産科医もいい感じの人で安心できる人だった。ただ、一人だけ違和感を覚える助産師さんがいた。余計なことを言うタイプの人だ。

 

指導はその助産師さんだった。いろいろと話しているとやはり違和感を覚えることが多かった。僕らはアメリカに行くことが決まっていたので、環境の変化があることを話していた。そして哺乳瓶の話になった。

 

ピジョンインドネシアでも使われているので、ピジョンがいいと思いますよ」

 

僕らが行くのはインドネシアではない。その後も話していると、なぜかアメリカとインドネシアが同じ国のようになっていて、インドネシアじゃないんだけどなあ、参考になるのかな、この話とか思いながら聞いていた。

 

「ミルクはおやつですからね」

 

は? と思った。ミルクはおやつって何だろう。

 

「赤ちゃんには母乳が一番なので、母乳をあげてください」

 

せっかく夫婦で乗り越えた問題なのに、この助産師さんに掘り起こされてしまった。また妻が自分を責め始めてしまうかもしれないと心配になった。

 

「うちは母乳とミルクの混合なので」

 

妻がきっぱりと言った。少し怒った顔をしている。助産師さんは「ミルクはおやつ」みたいなことをぶつぶつと言っていたけど、僕らの表情が変わったことに気がついたみたいで、あとはそそくさと当たり障りのない注意事項を伝達して指導は終わった。

 

病院に来たときよりも妻は元気になっていた。「ミルクはおやつ」と僕が言うと、笑っていた。

 

インドネシアとか関係ないこと言ってきたときからおかしいと思ってたんだよね、あの助産師さん」

 

インドネシアの話は役に立っていた。よくわからないことを適当に言う人という証明をしてくれていたのだ。そのため、そんなよくわからないことを適当に言う助産師さんが言うような「ミルクはおやつ」発言も、真剣に取る必要のない言葉でしかなく、妻を追い詰めるどころか、逆に元気づける言葉になっていたのだ。

 

どこまでが助産師さんの手のひらの上なのか分からないけど、その日の指導のおかげで、僕のミルク上げの技術もあがり、妻は完全母乳でないことを気にしなくなった。