いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

蝉に困る!(再東京篇)<素数蝉ってなんだろう?>

「遠くの蝉に季節を感じ、近くの蝉に危険を覚える」(長女2歳10ヶ月、双子9ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

僕の地元は自然が多かった。アメリカも緑は至るところにあったし、広い公園に囲まれていたけれども、うちの地元には敵わない。そこかしこに大きい公園がある。

 

子供のころ、そんな自然が豊かなところで育ったということもあって、自然には飽きていた。大都会のアスファルトジャングルに住みたいと思っていたし、実際、繁華街の近くに住んで、酔っ払いの叫び声が定期的に聞こえるくらいの場所の方が僕は落ち着いた。

 

歌舞伎町まで徒歩30分くらいかかり、繁華街というわけでもないが、自然と言えば金を払って入場する公園や、あとは小さな公園くらいしかないところに住んでいたとき、「こんなところによく住めるな」と友人に言われたことがある。

 

東京と言っても自然豊かな郊外に住んでいた僕からすれば、こんなところだから住んでみたかったというのがあった。雨のあとにミミズが道で死んでいないところ、夜道で蛙を踏まないところ、そして、夏には飛来する蝉を警戒しない場所、それだけで僕には理想的な都会のジャングルだった。酔っ払いの吐瀉物を見ては、「ははあ、締めに麺類食べちゃったか」とか観察していた。

 

そのあと、都心は都心だけれども、大きな公園の近くに住んだことがあった。カラスが多かった。蝉は気にならなかった。もしかしたらカラスが食べていたのかもしれない。夏のカラスは肥え太っていると聞いたことがある。

 

カラスが好きだったかと言えば、カラスだって子供の頃は嫌いだった。変なことに恐怖を覚える子供だったのかもしれないけれど、カラスを見ると目玉をほじくられてしまう、といつの頃からか思うようになって、カラスの前を通るときは、手で目を覆っていた。しかし、このことは、メガネをかけるようになって解決した。メガネがあればカラスは僕の目玉をつつけない。それからはカラスは平気だった。

 

蝉はいつの頃から嫌になったのだろう。多くの小学生と同じように、僕だって蝉を集めていた。虫取り網なんてなかなか買ってもらえるものじゃなかったから、素手で取っていた。蝉はカマキリと同じように簡単に捕まえられる。そういえば、カマキリの卵を見つけて虫かごにいれて家の中で孵化させてしまい、母親に怒られたことがあった。小さいカマキリを家の中で見つけるのが楽しかった。

 

蝉もカマキリも、カブトムシも蝶々すらも触るのがいやになった。それらが嫌になったのは、捕まえて、お腹とか足の付け根とかの動いている部分を凝視していたら、生命の神秘とでも言うのだろうか、底のない穴の中に落ちていくような感覚を覚えたからだと思う。捕まえた全ての昆虫の腹や足を凝視し、その度に、触れない昆虫が増えていった。

 

とはいえ、カマキリやカブトムシ、そして蝶々が僕に近づいてきても蝉ほどいやな気持ちにはならない。蝉と同じくらい嫌な気持ちになる昆虫はあれくらいだ。みんなに嫌われているアレだ。カメムシでもハエでも南京虫でもダニでもノミでもない、あの有名なアレだ。

 

蝉とアレは僕に向かって飛んできたことがある。アレは僕の首にピタッとくっついて、そこに向かって母がスリッパを思いっきり叩きつけた。僕の首に張り付くようにアレは潰れた。それ以来、アレはすぐに潰すようにしている。

 

蝉はいつの間にか僕に飛んできていたらしい。友人と話しているときに、脇あたりに違和感があった。「おまえ、なんかついてるぜ」と言われて脇を見ると、けたたましい音を立てて蝉が飛んだ。少しの恐怖があった。なのに蝉を潰すのはいけないような気がしている。アレに関しては容赦無く潰すのに、蝉はどことなく憐れみの念が湧く。

 

きっと、蝉のそういうところが嫌いなのだ。いやなのに、来てほしくないのに、来てしまう、そしてその蝉を潰すこともできない。図々しい友人のような存在だ。

 

そんな蝉が帰国後の僕を悩ました。住んでいたところのベランダから玄関、あるいはエレベーターの中まで蝉がいる。突然、けたたましく泣いて飛んではいろんなところにぶつかっている。憐れだし、うるさいし、こっちもびびる。

 

帰国後にアメリカのニュースを見ていたら、蝉が大量発生しているとのことだった。素数蝉というらしく、3年とか5年、7年とか11年はあったか分からないが、そんな間隔で大量発生するらしい。そのときにボストンにいなくてよかったと思った。素数は好きだけれども、素数蝉は好きになれそうもない。

 

僕の地元だって、蝉は多い。アメリカの素数蝉の比じゃないにしても、いま住んでいるところと比べれば、1という素数素数蝉のような気もする。

 

蝉に怯える姿を子供の前で見せるわけにもいかないとか思ってもいる。彼女たちが昆虫を集めないとも限らない。そろそろ僕も少年の頃に感じた生命の奈落の感じを克服して、虫というか命と戯れた無邪気さについて向き合う時期なのだろう。