「お泊まりを阻止する」(長女2ヶ月)
困ったことがあった。
妻には何人か従兄弟がいる。結婚式といってもごく内輪の小さな式だったけれども、そのときにも2人ほど妻の従姉妹に紹介してもらった。結婚式に来ていただいた従姉妹の1人は、妻は子供の頃からよくしてもらっていたようで、名前も何度も聞いてきたということもあり、会ってすぐに打ち解けて話すこともできた。
僕の方の親戚はあまり連絡を取ってもおらず、親戚のいる北海道と僕が住んでいた東京とは距離も離れていることもあり、久しぶりに会ったのは、父の遺言で北海道の祖父と祖母のお墓に分骨しに行ったときだった。母の親戚には子供がいない。それに貧乏だったうちを見下していたのか子供の頃に会っていい印象はない。大人になってから電話で話すことはあったけれど、毎回のように貧しかったうちにお金を貸したとか援助したとか、そんな話ばかりだった。多少なりとも金銭的援助をしてくれた叔母と叔父に僕は感謝をしなければならないのだろうけど、恨む気持ちの方が大きくなってしまった。子供の頃に感じたみじめさも忘れられなかったし、貧しい人間に自己責任を突きつける彼らの考え方に反感を覚えた。父のように小学校すらロクに通えなかった貧しい家の十人兄弟の長男という状況をなぜ責めることができるのか、僕には分からなかった。
そんなこともあり、親戚付き合いというものを僕はあまり知らないし、東京にいると聞いている従兄弟にしても連絡を取ったことがない。弟が一度連絡を取ったらしいけれども、何をしているのかも分からなかったということだ。そのあとは音信不通。
妻にはたびたび従姉妹からの連絡がある。妊娠中のある日、きっと妻の仲のいい従姉妹からの連絡だろうと思っていたら、仲も対して良くないというより、連絡もほとんどとっていなかった従姉妹から連絡があったそうだ。そして珍しく妻が困惑していた。
「従姉妹から、子供が東京に進学したいから、東京の大学を案内して、そしてうちに泊まらせて欲しいって言われた」
妻からすれば、なんとなく顔が分かる程度の甥っ子だ。普段からお世話になっている従姉妹の方だったら困惑もせずに引き受けただろうけど、仲良い人ほど、そういう相手を困惑させるようなお願いというのはしてこない。
「普通に断れば?」
妻は、安定期に入っていない状態で妊娠のことも言いたくないし、遠方の、そして普段から連絡もとっていないような従姉妹に妊娠のことを教えて、何かあったときにややこしくなってしまうことを恐れていた。
「仕事が忙しいことと、うちは狭くて泊まれないって言うしかないね。僕が東京案内してもいいけど、あっちも困るよね」
妻は甥っ子の襲来を退けることができた。
長女が生まれた。また、その従姉妹から連絡があった。長女を見に上京してくるとのことだった。今度は妻も断れない。とりたてて仲も良くないからどうしていいのか分からないという感じだ。
従姉妹が上京する1日前あたりに、ぎっくり腰になったという連絡があった。人の痛みを喜ぶのはよくはないけれども、このときはホッとした。しかし、僕らの予想は越えられた。ぎっくり腰でも東京に来るということだった。なんなら、そのまま東京に泊まって来ればいいと家族からは言われているようだった。その人の家族にその人を押し付けられているような気すらした。
うっすらと雨の降る日だった。近所の子連れ御用達のレストランかなんかを予約して、そこで落ち合う予定だった。しかし、従姉妹がぎっくり腰ということもあり、妻が東京駅まで迎えに行った。僕は抱っこ紐に乳児を入れてレストランに向かった。レストランの入り口は階段になっている。ぎっくり腰じゃ大変だろうからということで、階段の下で妻と従姉妹を待っているとタクシーが着いて、スーツケースを手に持った妻が従姉妹に肩を貸していた。
やべえ人がご入来なさったぞ。
見た目はいたって優しげで柔和な人ではある。階段を登るときに、抱っこ紐に乳児はいるけれども僕がスーツケースを持ち、妻が肩を貸した。ぎっくり腰の従姉妹が一番大変そうなのだからしかたない。大変そうなのに、そのレストランの瀟酒な雰囲気が気に入ったらしく、雨に濡れながらも喜んでいた。
案内されて席に着くと、記憶はもうぼんやりだけれども、出産祝いを渡してくれたと思う。彼女が東京に来た理由であり、我々もご祝儀欲しさというよりも、ご祝儀を渡したいという人を断ることができなかったという感じのものだから、きっと出産祝いはもらったと思う。だけれども、そんなことが吹っ飛ぶくらい、正直なところ、なんていいますか、面倒臭えと思っていた。
何を食べたかなんてもちろん覚えていない。ただ食事中の会話に戦慄したことは覚えている。
「子供からもそのまま泊まらせてもらっちゃえば、ぎっくり腰なんだし、ってメールがあったよ、泊ませてもらえる?」
ぎっくり腰で辛そうなのは分かるし、そんな人を日帰りさせるのも申し訳ないと思うし、でも、なんだろう、なぜ、そんな状態でわざわざ上京したのだろう、出産を祝いたいという気持ちももちろんありがたいし、出産祝いもたぶん貰っているから、なんだか、そんな人を厄介な気持ちになって迎えている僕らが悪い人のような感じなっているのは何故だろう。
その場での返事を誤魔化した。彼女がトイレに行っている間に、妻と相談した。
「田舎の人だから、客間があると思っているんだよ。うちの狭さを見れば諦めると思うからさ」
トイレから戻った彼女には、うちは狭いから泊めるのは難しいと言ったが、うちを見たいと言われてしまった。レストンランからうちまでは徒歩で15分くらいかかる。タクシーの運転手もいやがるような狭い道に、うちはあった。やんわりと断ったけれども、やっぱりうちに来たいということだった。たぶん、こうしてずるずると泊まるつもりなんだろう。
妻と僕は傘を持っていた。彼女は持っていなかった。途中のコンビニで傘を買って渡した。そして、妻と彼女が歩いている間に、僕は先にお気に入りのケーキ屋さんに行っておもてなし用のケーキを買った。僕の好きなケーキは一つしかなかった。あと二つは華やかなものを買うことにした。
うちに帰って長女にミルクをあげていると、二人が帰ってきた。彼女はうちの狭さに驚いている様子だった。妻の作戦は成功しているようだった。僕はケーキを示し、お好きなのをとってくださいと言って、長女にミルクをあげていた。すると、僕の好きなケーキを彼女が選んでいた。この日一番、僕の顔が強張ったことだろう。
「ここに泊まるのは難しいかな?」
妻は黙っていた。そりゃそうだ。作戦は成功したかに見えたが相手はしぶとかった。ここは僕の出番だ。
「ご覧のとおりとても狭いですし、なにしろ赤ちゃんの世話もしているので、夜中もずっとバタバタしてるので、泊まられてしまうと、僕が気をつかっちゃって困ります」
ここまではっきり言うことになった。やっと諦めた。そして、ケーキを食べて雑談をしてお帰りいただいた。タクシーが拾えるところまで、スーツケースを僕が運んだ。その日、彼女は帰ったのか東京に泊まったのか、それは忘れてしまった。
「一番、おいしいケーキを瞬時に見抜いたのはさすがだった」
「彼女は前からそういうところがあって、だから従姉妹の中でもあまり好かれてないんだ」
人に好かれるというのは難しいものだと思った。