いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

服に困る!(ボストン篇)<ボロボロの服を捨ててアウトレットに行く>

「アウトレット」(長女6ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

アメリカに来る前、僕の服はボロボロなのが多かった。ボロボロな服って着心地がいい。ヘタった感じが気持ちいいと思っていたので襟がほつれてきたようなシャツを着て、首周りが伸びたような下着を着ていた。パンツもクタクタになったジーンズやチノパン。革靴も一度も磨いたことのないような状態でソールがすり減っていた。スニーカーは少し破けていた。

 

いい歳して恥ずかしい格好をしていた。

 

新しいのを買うといっても、同じものを買うだけなので、どうせならアメリカで買えばいいと思っていた。アメリカ滞在の二年間、荷物はレンタル倉庫に置くことにしていた。スペースは小さい。妻も僕もなんだか本が多いから、服なんて置くスペースもない。

 

だから僕の服は捨てた。

 

ボストン郊外のモールデンに2ヶ月住んだ。近くというほど近くではないけれども、駅で二駅か三駅、歩いて一時間くらいのところに、電車で行けるアウトレットというのがあった。そこに行った。

 

僕は服に興味がなかった。そのときも、日本のデパートにありそうなブランドがいくつかあるなあくらいで、自分の好みが何かも分からなかった。経営破綻してしまったブルックスブラザーズとかもあったと思うけど、スーツも着ないので入らなかった。僕の好きなアウトドア系の店もあったけれども、なんとなく気分じゃないので、違う店に入った。

 

安かった。70%オフ、80%オフで売っていた。アウトレットにはじめて来たというのもあるけど、こんなに安いものなのか、とびっくりしていた。アパレル業界の闇があるに違いない! と勝手に思っていたけども、そもそもバナナリパブリックってどういう意味だろう? とか変なことを考えそうになった。

 

いろいろ買った。下着もヘタっていたから買った。ベルトも歪んでいたから買った。これでアメリカ生活の二年間は大丈夫なんじゃないか? とそのときは思っていた。その一年後に服が好きになるとは思ってもいなかった。

 

服が好きになる以前に、数ヶ月後に激痩せして、そのときに買ったズボンのほとんどがストンと落ちてしまって履けなくなるなんて誰が想像できたろう。あとから考えれば、買わなければよかったと思えるけど、服が好きになってから分かる。服屋さんにたくさん行って、たくさん着て、そして自分の好みを発見するのが服への第一歩。

 

買って無駄な服など一つもない。

 

浪費を誤魔化してみた。スニーカーも買った。シュウィンとした足の速そうな人が履く感じのプーマのスニーカー。僕の足は遅い。小学生のとき遅いのがいやだったから運動会でわざと転んで誤魔化したら、教室の前に立たされて卑怯だなんだと言われたことがある。小学校二年生の頃だ。その先生のことは嫌いだったけど、母はその先生が好きだった。理由は、僕が何歳になっても会う度に僕のことを聞いてきたからだった。僕がその先生が嫌いだと言ったのはつい最近のことで、母は驚いていた。僕もなかなか恨みがましいやつだ。

 

プーマのスニーカーは小学生の頃に憧れた。僕は今でも足の速い人に憧れている。ボルトのインタビューが翻訳されると主語がいつも「俺」になっていると妻が言っていた。僕も「俺」にしてみるか。ボルトは「私」でも「僕」でも「俺」でもないだろうけれども。

 

アウトレットで服を選ぶのは難しい。安いからついつい悩みもせずに買ってしまう。しばらく経ってからクローゼットや収納箱にしまうときに悩む。そんなことを書いていたら、いま羽織っているのはそのとき買ったパーカーだった。少し大きい。

 

悩みもせずに買ったとしても、今では行くこともできない場所で買った服はこうして思い出を書かせるくらいにはなるものかもしれない。