いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ゴミ捨てに困る!(主夫篇)<ゴミ捨て担当が家庭の権力を握る方法>

「ゴミ捨ての力」

 

困ったことがあった。

 

ゴミ捨ては男性が行う家事の中でも上位にランキングされている。たぶん、毎日のことじゃないし、決まった曜日だけなら家事をあまりしない人でも役割としてやっているということなんだろう。しかし、ゴミ捨ては家事というジャンルに入れられてないのかもしれない。

 

部屋中のゴミをまとめて、メインのゴミ箱あるいはゴミ袋にまとめてゴミを捨てに行く。これがゴミ捨ての基本の流れだ。たまに家事についてのブログや記事を見ると、「ゴミをまとめることをしないでゴミ捨てをしただけで家事を分担している気になるな!」みたいな怖い話も見かける。

 

ゴミをまとめることも大事だけれども、各自治体のゴミ捨てのルールを知ることも大事なことだと思う。

 

僕は何度も引っ越した。それぞれの自治体でゴミ捨てのルールが違うし、曜日も違う、住んでいる場所でも違うだろう。アメリカのときはあまりにも大雑把なルールすぎてルールがないような気もしたけれども、帰国準備のときに突然ルールを言われてびっくりした。

 

ゴミ捨ては僕の仕事だ。在宅ワークだと曜日の感覚がなくなるけど、保育園のお陰で土日は分かるが、平日の曜日の感覚はあまりない。そんな僕が的確に言える曜日は、ゴミの曜日だ。第何水曜日とか土曜日とかのイレギュラーなのは混乱している。

 

妻はほとんどゴミ捨てをしたことがない。ボストンの二年間では二回くらいはした、と言っていた。いま住んでいるところは、ゴミ捨て場もよく分からないらしい。そんなことを言われて僕は得意になっている。妻にはゴミ捨て場を教えないつもりだ。そして今いる自治体の特殊なルールも詳しくは説明していない。

 

ゴミ捨てが家事として認められるためには、これくらい徹底しなければならない。料理が苦手だからと言って料理をしない人は料理を覚える気がないと言って怒られる。そうすると料理をしてこなかった人は何も言えない。家庭の中の発言権は料理を覚えるまで失われている。

 

僕の計画はこれだ。妻がゴミ捨て場を知らないことで、家庭の中での発言権を弱らせる。そして僕は欲しいものを買う許可を求める。これが発言権の力関係だ。

 

とはいえ、引っ越しが多いと、このように手中に収めたゴミ捨ての力が失われることがある。ゴミ捨てルールが違いすぎるからだ。ルールの違いについていけない僕がゴミ捨てについて妻に相談することになる。すると妻もゴミ捨てのルールを覚えていく。

 

こうなってくると、いざというときに妻にゴミを捨てられて、僕のゴミ捨てによる発言権は弱まってしまうことになる。ゴミ利権というやつだ。

 

家事を普段やらない者が家事をやったときに、多くの家事者は批判する。まずい、洗い残しがある、角が掃除できていない、畳み方がなってないなどケチをつけて、未熟者め! 出直してこい! とばかりに家事から追い出す。これに挫けずに這い上がってくる者のみが家事を行なってきたのだ。家事を行うものにこそ家庭の発言権がある。家事は実力社会だ。

 

病気や障害で家事ができないという人もいるだろう。その人に対して家事社会は未熟者め! なんて言わないし、そういう人は家事や自分の身の回りのことがしたいと思っているかもれしれない。もちろん、そう思わない人もいるだろうけど。

 

人が暮らすときには家事がついて回る。仕事をしているときに思うけど、この仕事は僕じゃなきゃできないと思ったとしても僕がやる前からあった職業だし、僕がいなくても誰かがきっとやれる仕事なんだ、と思うこともある。しかし、家事はそうはいかない。僕がやらなきゃゴミは溜まる。そう思うと仕事よりもやりがいを感じる。

 

僕にとって家事はやりがいがあるものだ。ゴミ捨ては妻にもできることではあるんだけれども、ゴミ捨て場の場所も知らない、と言われることに喜びも感じている。僕がいないとダメって妻に言われたいだけなんだろうけど、そう思われるようにしたいという欲望がある。

 

なんか独占欲の強いだけのような気もしてきた。今日は何曜日だろう?