いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

はさかって困る!(再東京篇)<あれ? もう一人はどこ? 双子あるある>

「昭和レトロなエアビ」(長女2歳6ヶ月、双子4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

アメリカから東京に戻ってきた。アメリカではまだ新型コロナが蔓延しておらず、日本でも水際対策の少し前だったということもあり、帰国後に隔離されることもなく、予定していた東京郊外のエアビに1ヶ月くらい滞在していた。

 

乳幼児が三人いるということから、和室を中心に探していた。滞在したところは昭和レトロ(オーナー談)といえばそうなんだけど、昭和のボロい団地で18歳まで過ごした僕にはノスタルジーというより、ただのボロいアパートだった。

 

オーナーは楽しそうにバランス釜について話してくれた。

 

「最近は、バランス釜を知らない人がいるんですよ」

 

僕は18歳までバランス釜だった。そのときよりはバランス釜も点火しやすくなっていた。そういえば、僕が使っていたのはプロパンガスだったし、いろいろと違いもあるのかもしれない。

 

昭和レトロなのは置いとくとしても、思ったより狭かった。押入れにもすでにものが詰まっており、後からくる航空便や、すでにある双子用のベビーカーと長女のために買う予定の小さめのベビーカーをどこにおけばいいのか、とオーナーに相談した。

 

「コロナの影響でキャンセルが出ちゃってるところがあるので、無料で使ってください」

 

昭和レトロな人情を感じた。

 

これで荷物対策は万全。しかも、キャンセルが出たところは道路に面していて、アトリエとかスタジオとか言われそうなオシャレ部屋。この部屋なら昭和レトロという感じで楽しめそう。そこにベビーカーと荷物を置かせてもらって、物件探しができた。

 

一家五人で六畳一間。ベビーベッドもオーナーが自宅から持ってきて入れてくれたけど、底を調整しても高さが微妙で、背丈がある僕は腰に違和感を覚えた。そうだった。昭和の台所は腰にくる高さだった。日本の男性が家事をしないのも、この高さが関係しているのかもしれない。いや、女性だって腰にきているのを我慢していたのかもしれない。そうなると、この高さは誰のためだろう。平均身長が小さかった頃のままってことなのかもしれない。なにせここは昭和レトロだ。昭和30年代あたりの平均身長のはずだ。

 

戦国時代レトロだったらもっと低かっただろう。

 

窓際にベッドがあった。最初は荷物を置いていたけれど、荷物を置ける部屋ができてベッドとして使えるようになった。でもその上に室内干しができるようになっているから、基本的には衣服を吊るしていた。大人が眠るのは圧迫感があって無理だが、日中、双子をごろごろさせるにはちょうどいい。陽も当たる心地よい場所だった。柵もないからオムツ交換もしやすい。手前に落ちないようにタオルとかの柔らかいものを置いていた。

 

よくあることではあるんだけれども、そんなとき、ふとトイレに行ってしまうことがある。目を離すのであればベビーベッドに双子を移動させればいいのにそれをしないままトイレに行ってしまった。

 

泣き声がした。トイレの途中で慌てて出た。

 

ベッドの上には一人しかいない。落ちてるのか? と床を見ても落ちていない。どこだどこだと探すと、どうやってそこに行ったのか分からないが、ベッドと壁の間に落ち掛けて、挟まっていた。はさかい岩ってのを城崎あたりに泊まったときに見に行ったことがあった。

 

急いで救出した。うちの双子の違い一つに、いつも変なことになっているのは、次女というのがある。

 

長女と買い物に出掛けていた妻に連絡した。次女には怪我もないし、落ち着いた様子。

 

「次女が壁とベッドの間ではさかっていたよ」

 

妻は丹波だか但馬だかに縁がある。「はさかる」という言葉はその後も我が家ではよく使われる言葉になった。その後も次女はいろいろな物にはさかっている。そもそも長女と三女にはさかっていた。