いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

発達支援相談に困る!<2>(自閉症児篇)<子供の障害特性を理解すること>

発達支援相談に困る!<1>(自閉症児篇)の続きです。

 

長女に自閉症傾向があると指摘されたのは、ボストンで暮らしているときだった。育児の辛さを日本での友人たちからは「子供はみんなそう」みたいに言われていながらも、そういうものなのかなあ、と思いながらも、日々、育児に追い詰められているときに、アメリカで知り合った友人から、早期介入プログラムを紹介された。そして長女に自閉症傾向があると分かり、育児や発達に向けて専門家と一緒に考えるようになった。また、僕ら親へのケアと、障害特性などへの理解を深めるための助言などもあった。正直なところ、いまでも、何も知らずに「子供はそういうもの」とわざわざ、とくに聞いてもいない人から言われたことは嫌いだ、というよりも、その人とは今後関わる必要がないことが判明したのだから、一種のフィルタリングができてよかったというやつかもしれない。

 

そんなことはさておき、長女のために早期介入プログラムに参加したけれども、結果的には僕らへの支援でもあった。自閉症や発達支援の論文なども紹介されて呼んでみると、障害特性にしても、発達支援にしても多様な意見が述べられていることがわかった。その後も、自閉症児の本などを読むと、「自閉症に関して分かっていることは、自閉症のことは分からないということだ」という一行を眼にすることもあり、それぞれの障害特性と本人の特性が混じりあった中で、本人にとって必要なケアを常に探していくということが、僕らがやるべきことだという心構えができた。しかし、日本に帰ってきてからネットなどで自閉症を含めた発達障害や発達支援などを調べてみると、同じようなことばかりが書かれている。ときには同じ文章を使い回しているのか? と思うことすらある。

 

困ったことがあった。

 

発達障害などに対して同じようなことばかりが書かれることは、メリットとデメリットがある。メリットとしては育児をしていて「うちの子はちょっと...」と思って調べてみたら、ネットの記事と同じような障害特性があることを読んで「療育などを検討するようになる」というのがあるだろう。しかし、デメリットはその逆で「うちの子にこの特性はない」として、「療育に行く必要はない」と思ってしまうことだろう。どちらも、親の認識の問題ではある。ある人にとっては療育や発達障害センターなどに相談しに行くきっかけになるけれども、そうならない人も出てくる。

 

これは大人の発達障害やパーソナリティ障害などにも言えることで、僕の友人は本人も自覚するくらいにコミュニケーションに問題を抱えて職場だけでなく友人関係でもトラブルを抱えて苦しんでいた。友人の相談に乗りながら、ネットにある記事などを紹介したことがあった。本人に該当しそうな障害があったとしても、例えば10個ある特性のうち、8個当てはまったとしても、2個当てはまらなかったら「俺は違う」と判断してしまう。僕としては医療機関に行くことを促していたが、逆効果になってしまって医療機関などへの相談が遅れてしまった。その後、鬱などで心療内科などにいっても、ネットで障害特性を知ってしまったからなのか、問診などでは正直に言わないようにしていたらしい。僕がなぜ知ったかというと、その友人が鬱などでは病院に通っていたが、どんどん悪化して、仕事ができなくなってしまって仕事をやめてしばらくしたときに、「医者には本当のことを言わなかった」と言っていたからだった。もちろん、医者の中にはそういう患者の嘘を見破ってうまく導く医者もいるかもしれないし、そうじゃない医者もいるだろう。僕の友人の場合は、そうじゃない医者にかかっていたというだけのことかもしれないが、僕には本人のバイアスとでもいうのだろうか、「俺は違う!」みたいな願いが強すぎるが故に起こったことにも思える。この友人は主観が強すぎることでトラブルを多く起こしていた。周囲が思う事実と本人が思う事実が歪みやすい。統合失調症とまではいかないが、事実誤認が多すぎた。

 

この友人は単に、自分勝手な人、自己中心的な人、だと思われやすい。しかし、そうなってしまうのは、本人の問題だろうか? いわゆる自己責任だろうか? 多くの人は、「社会でうまくやっている」と思いたいものだし、自分がダメだと思うことはツライことだろう。自分が思っている事実が間違いで、他の人の事実の方が合っているということを認められないのは、本人がうまくいっていないからこそ、うまくいっていると過度に思いたいからこそ思ってしまう。実際には、本人だけが思っているものだからトラブルは起こるのだが、一度、そんな思考ルート、認識のルートに入ると自力ではなかなか戻って来れない。

 

だからこそ、「俺は違う」と思いたいのだ。バグっているといえばそれまでだけれど、その人がバグっているというだけで責めてはいけないように僕は思う。そもそも社会が過剰に「うまくいっている」ということを求めすぎているのだ。そして社会の要請に応えられる人間でありたいと思ってしまって、バグ技を使ってうまくやっていると思い込もうとしている。友人には、ちょっとした手引きがあればよかったと思う。理想の自分ではないかもしれないが、現実を認識したうえで、ちょっとでも何かのズレを感じたら、「俺はそうかも」と思って向き合えるようにするというのが大事なことだと思う。心の問題や精神の問題だけじゃないだろう。体だって、ちょっとした違和感を感じたら病院に行く方がいい。「俺は大丈夫」と思っていたら、体のどこかがおかしかったなんて話はテレビなどでも特集が組まれている。ただ、これが、心や精神の問題となると、体ほどには注意喚起のようなものがされていないような気もしている。

 

発達支援相談に困る!<3>(自閉症児篇)に続きます。