進級に困る!<1>(自閉症児篇)の続きです。
小学校に通う長女は情緒級に通っている。情緒級と支援級の二つがあることを、昭和の時代に小学生時代を過ごした人は知らないことが多いと思う。僕も知らなかった。長女の小学校入学に際していろいろと調べるようになって分かったことでもある。また、小学校によっても若干の取り組みが違っていたりもするので、全部が全部一緒というわけにはいかない。7箇所の保育園を利用してみて分かったのが、どの保育園も違いがあるということで、障害児や多胎児に対する国の方針が出ていることでさえ、手厚い保育園というか市町村もあれば、国の方針に反対する市町村まであるくらいに違いがある。
保育園の場合は、国よりも地方自治体の裁量権が強いため、自治体ガチャのような状況になってしまうくらいに違いが大きいけれども、小学校の場合は文科省ということもあり、そこまで大きな違いはない。大きな違いはないと言っても、運用などになると、その小学校のこれまでの取り組みによる経験や考え方の違いなども若干出てくる。世代的な違いになるともっと大きな違いになるだろう。小学校に関しては、保護者の認識が古いこともある。特に、発達障害や自閉症、軽度知的障害など昔であれば通常級に通っていた子供に対する考え方が違っている。支援級はもっと細分化し、配慮の種類も多様になっている。
子供の進路として、支援級や情緒級という通常級とは違うものに対してネガティブなイメージをもっているのであれば、まずは調べてみた方がいいと思う。昔とはだいぶ違っている。
困ったことがあった。
長女の言語能力はこの一年で飛躍的に成長している。以前は、保育園から保護者に伝えるようにと言われたことも長女からは、一度も伝えてもらったことがなかった。それが今では、「先生からおうちの人に言うように言われた」と言いながら、一生懸命話してくれたり、いそいそと連絡帳を出してきたりするようになった。格段の進歩だ。学校での様子も、たどたどしくはあるし、たまに何を言っているのか分からないこともあるけれど、毎日話してくれる。たまに長女の言うことが、連絡帳にそのまま書いてあったりもするので、長女はできるだけ正確に話しているというのも分かる。また、ちょっとした対人トラブルとまではいかないまでも、お友達と揉めることがあったりすると、先生から説明がある。至れり尽くせりという感じで恐縮してしまう。また、少人数というのもあって、互いの保護者が連絡を取り合っている。トラブルが起きる可能性がとても低い環境と言ってもいいだろう。
通常級に通う長女のお友達に起こったトラブルの話を聞いていると、当事者同士と言っても子供の話だから、藪の中だし、また目撃者と言っても、これも子供たちだからそれぞれに注意して見ている部分も違う。そして実際に目にしていない学校の先生たちからすれば、よくある問題として、それまでの経験から導き出した判断をするしかないのだろう。その判断に対して、これまたその場にいない保護者が自分の子供の言い分と違う、あるいは言い分を正当と認めていないということで揉めるということもよくあることだろう。誰が悪いというのでもなく、どうにもならないこととして、子供同士のトラブルというのは未解決になる。これがきっと子供のいじめが大人のいじめよりも解決が複雑になることなのかもしれない。大人のいじめであれば、適切に対処するのが何よりも大事で、証拠やメモをとって、あとは出るべきところに出ればいい。子供の場合は、証拠やメモをとる能力がまだないのだから、こういう解決が難しい。もちろん、大人でも証拠やメモを突きつけられても厚顔無恥にとぼける人もいる。邪悪な人というのがどこにでもいるけれど、もしかしたら、そういう大人は、子供時代に、そういう邪悪の加害者か被害者だったのかもしれない。未解決になったことを誤学習してしまったというのもあるだろう。
僕らが心配していたのは、長女を通常級に通わせる場合、言語認識能力が低い長女は、言語認識能力が求められることが原因でトラブルが起こるのではないか? ということだった。それは授業中よりも、休み時間や登下校で起こる可能性がある。わかりやすくすると、言った言わないの水掛け論に長女はいつも負けるため、長女の言語認識能力の低さに気がついて悪用する人がいないとも限らない。それが子供であったとしても同様だ。大人になると忘れてしまうが、子供のときの記憶を思い出せば、そういう悪用や邪悪さも持っているのが子供というものであることに気が付く。僕も子供のときには邪悪であるという倫理観がないため、こうしたらいいのではないかくらいの発想で、今考えれば邪悪なことを考えてしまったり、してしまったりもした。損得だけで考えることや我儘や支配欲みたいなものを抑制することができないのが、子供だと思う。まあ、大人もそういう人を子供っぽいと思うのだから、子供の邪悪さを人は知っている。
長女にももちろん、そういう邪悪さはある。とくに妹たちに意地悪するときにそんな一面が見えることもある。僕や妻に指摘されると、自分でやったことに驚いて、妹たちに泣いて謝ったりもするけれど、そういう邪悪さを抑制できないのが子供なのだろうし、そういうことを子供時代に経験しておくことも成長の段階として必要なことだろう。ただ、それは、そのような邪悪さが、経験になり得る環境があればの話だと思う。管理しすぎないくらいに管理され、干渉されすぎない程度に干渉されなければ、適者生存の長期的な視点よりも弱肉強食の短期的な視点によって、自然淘汰がなされるだけだ。
進級に困る!<3>(自閉症児篇)に続きます。