いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ベビーシッターに困る!<下>(ボストン篇)<虐待を訴えることと経歴や権威を疑うこと>

アメリカの対応は早い」(長女1歳)

 

困ったことがあった。

 

ベビーシッターに困る!<上>では、日本人のベビーシッターの虐待が疑われたので、僕が探偵のように張り込んで、これから突入する、というところまで書いた。その続きになる。

 

現場に踏み込んだ。

 

鷹揚に構えたシッターの代表が、僕と後ろにいる妻を見て日本人と思ったようで、日本語で話しかけてきた。アメリカ人ばりの大きな笑顔だ。長女の名前を告げ、父である旨を伝えた。妻は娘の方に行き、抱っこした。

 

「なぜ、娘はベビーカー(アメリカに慣れてきたのでストローラーと言ったかもしれない)に縛りつけられているんですか?」

 

「眠そうにしていると、ストローラーに入ってもらうんですよ」

 

「何時から眠そうにしていましたか?」

 

「つい5分くらい前からです」

 

「僕は外にずっといたんですよね。来てすぐにストローラーに縛り付けてましたけど」

 

というと、えッという驚いた顔をしていた。そして、さすが異国の地でベビーシッターの会社を切り盛りしてきただけはある頭の回転で、誤魔化しはじめた。何の証拠もないと思っているのだろう。

 

「メモもとってありますし、写真もとっていますよ」

 

「私の勘違いだったかも。来てすぐに眠そうにしていたから」

 

言い訳は止まらない。

 

「ずっと泣き叫んでいたことは録音もしています。ベビーカーにレコーダーが置いてあったんです」

 

「無断で録音するのはプライバシーの侵害です!」

 

論点を変えることは予測していたので、釣れたと思った。

 

「ここに<録音中>と書いてありますよ。日本語じゃありませんけれども。まあ、あなたたちも日本語話者ではない子供たちに日本語で話していたわけですから、知らない言葉が使用されることをお認めになっているのだと思っていました」

 

「保護者の同意がないまま日本語を使っていることが問題でしたか、次からはシッター中は日本語を使用していることを告知しますね」

 

代表のシッターさんの海千山千な感じはなかなか天晴れだった。その後も押し問答と論点のはぐらかしなどが行われ、僕のことを懐柔しようとまでしてきた。

 

「私は、36年、ここでベビーシッターのサービスをしておりまして、いままで一度も問題を起こしたことがございません。今日も、こうして以前、お世話させていただいた方が、私に感謝されておりまして、久しぶりに話していたんです。大きくなったお子さんの様子などをお聞きしておりました」

 

「えっと、では、現在、関係のない部外者をベビーシッターサービスの部屋に招いてお話されていたんですね。これも報告させていただきますね」

 

話はクライマックスを迎えていた。彼女は信頼と実績を僕に示し、どうにか見逃して欲しいというような感じで下手に出てきた。僕はベビーカーを点検するようにして、ベルトの位置が変わっていることを示し、その証拠の写真も撮った。

 

「ほら、このベルト見てください。ここに印がありますよね。これは通常のベルトの位置を示しているのですが、ここにくると5cm以上ベルトがキツく締められています。これは長女の身体をきつく圧迫し、身動きできないように拘束されていたことを示しています。つまり、これは虐待です」

 

さすがのベビーシッターも反論は諦めたようだった。少なくとも僕の前では。

 

その日、妻が英語教室の担当に事情を話すと、統括する責任者の元に、妻とベビーシッターと英語教室の担当の三人で行くことになった。英語教室の担当者とベビーシッターは仲がいいみたいで、道中、妻を懐柔しようとあれこれと言ってきたようだ。そして統括責任者に事情を話すと、妻の英語力が低いと思っていたのか、ベビーシッターが通訳をしようと提案してきたらしい。この人たちのやり口が分かった。英語教室に通う帯同者たちは英語ができないことが多い、そのため何か問題があっても諦めてしまうことも多いだろうし、問題のベビーシッターが通訳になったりするわけだ。腐った36年間を感じる対応だ。

 

妻は英語がよくできる。英語教室に通う必要はないくらいだと思うけれども、妻はアメリカでの英語の教え方や課題の出し方に興味があって通っていた。

 

妻は直接、英語で統括責任者に事情を説明した。統括責任者からは詳しくはメールで証拠写真も送って欲しいということだった。そしてこの件は、さらに上で審議し、処分を決定するということだった。

 

統括責任者に証拠写真を含めてメールをした。数日後、そのベビーシッターが解雇されたことが全体に告知された。

 

アメリカの判断は早い。日本だったら、これだけ証拠を揃えても、なんだかぐずぐずとして話が進まないことが多い。明らかに不正を働いている人がいても、「実際に自分が見ていない」という理由で、妙な公平さを示す人が多い。しかし、アメリカでは、論理的な矛盾もなく、証拠も揃っていたら、決定は早い。

 

ボストンで働く日本人の全てが全てというわけでもないが、権威などを利用している人も多く見かけた。ボストンには権威が溢れている。うまいこと一枚噛んでそれを自分の実績のように売り込む人も多くいる。部外者を職場に入れて、職場が持つ権威性を自分への評価として売り込んでいる。アメリカの大学や企業の権威はこんな感じで使われる。学歴ロンダリングとかキャリアロンダリングとか言われるやつだろう。図々しく権威的な組織にあの手この手で入り込んで自分を売り込むやり方をする人たちが多すぎる。そして日本人はそういう権威を疑うことに慣れていない人が多い。

 

日本人は、ハーバード卒だからすごい、Googleで働いてたからすごいとか思い込みやすい。アメリカ人であれば、ハーバードっていってもいろいろあるよねくらいに斜めから見ている。あの手この手を使って推薦状などをゲットして潜り込んだり、金さえ払えば所属できる場所もあるし、国や企業が条件付きで希望者を派遣するケースもある、多様性をアピールするために外国人枠もある組織もあれば、ボランティアで入り込むことも可能だし、短期間ならお試しでいることもある。36年といっても週に一度の2時間弱のボランティアみたいなもので、しかもコネクションを使っているだけだ、その場所でビジネスをしているのではなく、その場所にいることで虎の威を借る狐のようにして、他の仕事を得ている。

 

実績や経歴、権威などを盲目的に信頼せずに、違和感を感じたら警戒した方がいいと思った。信頼するのは、その人が実際にやっていること以外にないと僕は思う。特にボストンに行ってからより思うようになった。