双子に困る!<2>(双子篇)の続きです。
妻の妊娠中に長女の発達が非定型だということで、早期介入プログラムや検診や診察に行くようになった。そこで、長女は自閉症だと診断された。自閉症と診断されたからといって何が変わるというわけでもないけれど、長女の癇癪などの原因が分かったような気がして、少し気が楽になった。長女は妻が家にいるとずっとくっついている。台所に行くだけでも大騒ぎだし、トイレに行くのも大変だ。妻が外出するときには玄関前で大騒ぎしているが、不思議なことに玄関ドアが閉まり、妻の足音が遠のいていくと、大騒ぎはおさまる。以前であれば、妻が外出すれば妻は自分の時間がとれたけれど、お腹も大きくなって身動きもつらくなってくると、部屋でゆっくりしたくなる。そんなときに長女がずっと大騒ぎをしていたら落ち着けない。そのため、僕が毎日、長女を外に連れて行っていた。外に行く時も玄関では大騒ぎする長女だけれど、玄関から出てエレベーターに乗ると泣き止んだ。
そしてどうにか出産日を迎えた。長女は友人の家に預けて僕は病院に向かった。ちなみに、友人の家に預けると、長女は楽しそうにしていた。出産のあと友人宅に長女を引き取りにくると、ニコニコしていた。僕と帰るときに泣き出した。
困ったことがあった。
出産は帝王切開だった。自然分娩も勧められたけれど、妻の場合は日本でもハイリスク妊婦と言われていたこともあって、双子ともなると計画的に分娩できる帝王切開を選んだ方がいいということから帝王切開だった。立ち合い出産して、スマホを持ち込むなと言われたのに、赤ちゃんが取り上げられると、「スマホで写真とれ!」と言われたりもするから、アメリカの良くも悪くもおおらかなところを感じる。「さっき、おいていけって言ったじゃないか」みたいに言うと、助産師さんは、笑っていた。出産はそんな感じだった。
そしてこれからが双子ならではかもしれない。生まれたての赤子を乗せたカートを新生児室とでもいうのだから、そんなところまで運ぶのが僕の仕事だった。双子ということもあって、看護師さんがもう1人の新生児カートを押してくれている。この辺は僕もちょっと記憶が曖昧になっているから違っているかもしれないが、なんだかそんな感じで新生児室に運んだと思う。新生児室では、新生児を綺麗にするというのが父親の役目らしくて、英語で言われるまま綺麗にしていた。赤ちゃんの扱いは二度目でもあったので、あまり慌てなかったと思う。次女をまずは綺麗にして次に三女を綺麗にしていた。すると、三女の様子を見ていた看護師さんが「ドクターを呼ばないと」と言っていた。心配そうにする僕に向かって、「心配することはないが、ちょっと気になることがあるからドクターを呼んでいる」ということだった。そういえば、意思を待つ間に、看護師さんから「学生さんなのに双子の父親になるなんて大変だね」と言われた。世界中から大学目的で人が集まるボストンだから、アジア人は学生だと思われたのかもしれないし、単にアジア人が若く見られるというだけかもしれないが、緊張がちょっとほぐれた。僕は笑いながら「もう、40歳超えてますよ」と言ったら看護師さんは驚いていた。
新生児の場合、心配しなくてもいいと言われても、ちょっとバタバタした雰囲気になるだけで心配になるものだ。僕は次女の世話をするように言われて次女の近くにいた。医師が来て三女の様子を見ている。「軽いチアノーゼが出ている。病院の決まりだと、退院は2週間遅らせる必要がある」ということだった。どうやってその英語を理解したのか分からないけれど、外国語は切羽詰まった時にはできることがある。母語だと切羽詰まったときには言葉も詰まったりするのに、なんだか不思議だ。
その後、三女にはとくに危険なこともなかったが、やはり担任は2週間後ということだった。出産後に数日入院していた妻は何をいくつ頼んでもいいというアメリカ式の入院食が気に入っていたようで、食事時に面会に行くとデザートの空き箱が三箱あったりもしたので、元気そうだった。次女も三女も定期的に妻の元に運ばれてきて、母乳をあげたりしていた。次女三女は少し小さく生まれているということもあって、母乳やミルクの飲みが悪かった。
双子に困る!<4>(双子篇)に続きます。