散髪に困る!<5>(ボストン篇)の続きになります。
日常の大したことのない習慣的なことでも異国での生活では不便というよりも、ちょっとしたことでどうしていいのか分からないことがある。スーパーマーケットにしても駅にしてもそうだ。そして、そもそも、日本でも習慣的にというほど使いこなせてもいなかった床屋に至っては、僕はどうすればいいのか分からない。いつも床屋さんで僕は何をしたかあまり覚えていないのだ。短く切ってくださいくらいは行ったと思うけれども、細かいことを言われてもよく分からず、ではそのようにしてください、としていたような気もする。床屋さんの言語指示が僕は難しかったのかもしれない。
僕は床屋さんにほとんど行かなかった。
困ったことがあった。
そんな僕でも仕事柄、髪を切ることになった。今度は営業とかそんな仕事だから「女性は」とか言ってられなかった。お客さんに奇異の念を与えるから綺麗に髪を切れという指示は、今であれば、また理屈をこねて拒否できたかもしれないけれど、当時は、こだわりがあって長髪にしていたわけでもなく、ただお金がなかったから長髪にしていただけだし、長髪は長髪で髪を洗うときに面倒だったというのもあって、また定期的に床屋さんに行くことになった。営業の仕事は副業だったけれども、そこそこ稼げたので散髪費用くらいはどうということもなかった。
そして子供が生まれることになると、副業をやめてその分の時間を育児にあてることになった。もう髪を切る理由もなかった。子供が生まれて、渡米して、以前、髪を切ってから一年くらいが経つと髪の毛が煩わしくなった。ふと、子供の健康の願掛けに髪を切らないというのもありかもしれないなどと信心めいたことを考えもしたけれども、久しぶりの長髪が面倒でもあった。
「床屋にでも行ってくるよ」
と妻に言うと、妻は反対した。なぜなら、僕が床屋に行くと短すぎるくらい短く散髪してしまうようで、妻の意見としては、子供みたいな見た目になるからやめて欲しいと言うことだった。僕はある程度伸びていた方が似合うらしく、短くするといわゆる「とっつぁんぼうや」のようになるらしい。僕としては短い方が楽だから短くするだけなんだけれども、要するに、僕の短髪は、すこぶるダサいらしい。これは以前から、周囲にも指摘されていたけれど、短髪にするとダサいと言われても、そういう顔だし頭なのだから仕方ないだろうとも思った。妻の反対を押し切って、床屋を探しに行った。
床屋なんてどこも同じだろうと思っていた。しかし、アメリカ。スーパーマーケットのレジ一つとっても勝手が違う。それに僕は英語ができない。こだわったヘアスタイルにしたいわけではないけれども、逆にこだわったヘアスタイルにされてしまったらどうしようとも思った。それにアメリカでの我が家は緊縮財政というのもあって、妙にオシャレな床屋などに入ってしまったらそれこそ大変だ。日本の床屋にしても、なんだかんだとオプションをつけようとするところもある。そういえば、東京でふと入った床屋は、ニューヨーク帰りの理髪師がやっているとかなんとかで、いろいろなことを言われてよく分からずに、なんだか頷いてしまって、いつものダサい短髪にしか僕には見えなかったのに、いつもの倍くらいの金額を取られたという経験もあった。僕らからしたらいつものダサい短髪だったのだけれど、なぜか僕の周囲には評判が良かった短髪だった。何が違うのかは分からない。
そうそう、僕の頭はちょっと変で、側頭部が妙に長い。このことには長い間気が付かなかった。床屋で側頭部を見る鏡があるけれども、子供の頃から、その鏡は毛髪の確認のために横に長く見える加工がしてあると思い込んでいた。そう思い込まないと不自然なくらい人と比べて僕の側頭部は長かったのだ。側頭部を写す鏡は凸面鏡みたいになっていると思っていた。しかし、それは僕の勝手な思い込みで、単に僕の側頭部が人より長いというだけだった。言われてみれば、メガネを作るときにも、ツルの長さが足りずに曲線部を伸ばしてもらっている。僕の短髪がダサいのは僕の側頭部に由来するダサさなのだ。そして、そのダサさを、ニューヨーク帰りの理髪師は側頭部が長い人種を相手にしてきた腕を見せて、僕の側頭部をダサくないようにしてくれたのだろうと思う。
側頭部のダサさはおいておこう。
散髪に困る!<7>(ボストン篇)に続きます。次こそボストンの床屋の話です。