いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

排水溝に困る!(ボストン篇)<二種類の人間がいる。キュッポンを使える奴と使えない奴>

「それは料理に使うボウルなんです」(長女10ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

引越してきてから、洗面台の流れが悪かった。ちょっと詰まり気味なのかもしれないと思いながらも、アメリカの住環境について色々と調べたときに、水圧が弱いとか、水回りがちょっという話も、アメリカあるあるみたいな感じだったのであまり気にしなかった。

 

シャワーの水圧に関しては困っている人が多かった。

 

ボストンで知り合った駐在員の多くは素敵なアパートメントに住んでいることが多い。日本人感覚でそのアパートを見ると、いわゆるタワマンみたいな感じの高級さがある。

 

1階にコンシェルジュがいたり、スポーツジムがあったり、パーティールームがある。庭にはバーベキューセットがあるのがアメリカっぽい。

 

以前にも書いたけれども、これは駐在員の人たちが贅沢をしているということではなくて、日本で当たり前と思えるような室内に洗濯機があることとか、それなりの清潔感を基準にしてしまうと、アメリカ、少なくともボストンでは高級アパートメントになる。

 

たまにそんな高級アパートメントに遊びにいった。ラグジュアリーってこういうことかと思った。そんなところに住んでいると、次第と選ばれし者みたいな気持ちになってしまう人もいるみたいで、闇の力に乗っ取られた人を見るような気持ちにもなった。

 

高級アパートメントに住んでいる知り合いがうちに遊びに来た。うちの外観はボロだ。よく言えば味がある。レトロな感じはボストンというアメリカにおいては歴史ある都市を思い起こさせる、と言えなくはないが、ボロといえばただボロ。

 

駐車場は汚いし、ネズミもたまにいる。入り口の雨よけがボロになっていないだけよかった。その部分は我らが管理人の能力を誉めたい。内部に入るとカーペットは剥がれているし、階段は少しずつコンクリートが剥離し、滑り止めはところどころない。「階段は使わなければいいさ」ときっと思っているのだろう。

 

しかし、そんなボロな感じではあるが、高級アパートの住民を唸らせたのが、シャワーの水圧だった。僕としては日本よりも弱い水圧に少し不満だったが、友人からすれば日本並みの水圧。その後、友人宅で水圧を見せてもらうと、シャワーというかジョウロだった。

 

うちはボロいけど、水圧はラグジュアリーだとかわけのわからないことを思っていた。

 

そうしてみると、うちの水回りはただ排水溝が詰まっているだけなんじゃないか? という気もしてきた。だんだんと洗面台の水が流れなくなってきた。

 

キュッポンを買いに行った。アメリカのなんだか無骨なキュッポン。僕は引っ越す度にキュッポンを買っている気がする。トイレを詰まらせ易いタイプなのかもしれない。きっとマッチョだからだ。

 

キュッポンでぎゅぽぎゅぽしてみたけれども、詰まりは取れなかった。キュッポンには多少使い方のコツがある。キュッポンのお椀型のところに水が溜まるのを想像して、その水を押し出し、そしてまた水を吸い上げる。この循環がお椀の中と排水溝でできるようになるように操作する。このコツが掴めないとただビチャビチャになるだけだ。

 

管理人さんに助けを求めた。キュッポンを使い慣れている人あるあるだけれども、管理人さんは僕がキュッポン素人で、水の循環のコツを掴んでないと思ったらしい。

 

「これでやれば直るさ」

 

と、年季の入ったキュッポンを持ってきた。柄が短く使い込まれたキュッポンだ。しかし、そのキュッポンはいろんなトイレに使ったのだろう。洗面台に使われるのは少しいやだった。

 

管理人さんが僕の新品のキュッポンを見ながら、ニヤリとして自分のエイジングが進んだキュッポンで水を循環させた。

 

直らなかった。

 

「修理の人を呼ぶよ」と言って、数日後、でかい奴らが2人きた。

 

修理の人もキュッポンを使った。素人たちとは違うぜ、という雰囲気だった。しかし、それでも直らない。排水溝を取り外すことにしたらしい。

 

「バケツはないか?」

 

と言ってきた。ない。すると、キッチンを見て、料理用のボウルを持って行った。断りもなしに。

 

えー、とか思ったけど、これがアメリカ。トイレに使うキュッポンも洗面台も、料理に使うボウルも関係ない。使えるものはなんでも使えばいい。そのあと料理に使ったっていい。

 

排水管を分解すると、大量の砂が詰まっていた。僕らは引越してきて数ヶ月だし、洗面台で靴を洗う習慣もない。あったとしても砂くらいは外で落としてから洗う。こんなところは典型的な綺麗好き日本人だ。

 

「何に使ってるんだかな」

 

みたいなことを嫌な目つきで管理人さんが言ってきた。

 

「こっちは引越してきたばかりなんだ。前の住民がやったことだろ?」

 

と言うと、黙って去って行った。

 

この管理人さんは結構いいやつで、次の日にあっても機嫌良く笑っている。その後も、部屋で故障とかあると、念の為、管理人さんに「自分で直していい?」って聞くようにしていた。勝手に直すといけない場合もあるらしい。だいたいが笑顔で「OK!」というやつだった。

母乳指導に困る!(東京編)<ミルク混合でやります!>

「ミルクはオヤツってどういうことですか?」(長女1ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女が生まれて1ヶ月、はじめての育児ということでとにかく必死で頑張っていた。

 

フリーランス仕事とはいえ、育休がとれなくて二週間ほど仕事になってしまったことを今でも悔やんでいる。仕事はしていたけれども、睡眠時間を削って、妻を休養させるようとしていた。

 

僕が家にいる間は全部任せてもらうようにしていた。

 

そんなことから我が家は、完全母乳ではなく、当初から母乳とミルクの混合で子育てをすることにしていた。母乳の方がいいと言われるけれども、育児環境によっては、完全母乳が難しい場合もあるし、母乳の出が悪いこともある。母体への負担も大きい。

 

妻と僕はそんなことを話し合いながら、母乳ミルク混合にしていたが、ネットなどで調べると、親の勝手でかわいそう、母乳が一番みたいな情報も入ってきてしまう。産後の母親は体力的にも精神的にも疲弊しているため、そういう情報で自分を責めてしまうこともある。

 

搾乳器は手動の物を使っていた。双子が生まれたときには自動搾乳機が自治体から無料でもらえたけど、東京のある区からは搾乳機は手動も自動も自腹で買う。また搾乳機は相性もあるらしいから、自腹で何個も試すわけにもいかない、比較的評判の良かった主導搾乳機を買って使っていた。

 

相性が悪いのか、妻のやり方が悪いのか知らないけど、手動搾乳機はあまりうまくいかなかった。乳房に紫色のあざを作りながら頑張って搾乳している妻を見るのが忍びなかった。

 

「無理しないでさ、ミルク混合でやろうよ」

 

「でも、母乳の方がいいって言われているし」

 

最初から、母乳とミルクの混合で育児をすることに決めていても、不安定な産後の母親は揺れ動いてしまう。自責の念というのがあるし、情報が妻を追い詰めている。

 

「僕だって赤ちゃんにミルクをあげたいんだ!」

 

と自分勝手な人間として振る舞って、ミルクをあげていた。その間に妻が休んでくれるし、ミルクの方が長女は落ち着いて飲んでくれる。母乳は飲み終わった後にも泣くことが多い。飲んですぐにまたお腹が空くのか泣き出してしまう。腹持ちが悪いのかもしれない。

 

「この子は、たくさん飲むから母乳ミルクの混合が合っているみたいだよ」

 

「お腹減っているからずっと泣いてるのかな?」

 

そんなやりとりをしながら、どうにか1ヶ月を乗り切った。

 

1ヶ月検診だか1ヶ月半だか忘れてしまったけれども、子供の状態を見てもらった。健康状態は正常で、発育にも問題がない。健康。そしてそのあと助産師さんによる指導になった。

 

その病院の助産師さんの多くは感じもいい。産科医もいい感じの人で安心できる人だった。ただ、一人だけ違和感を覚える助産師さんがいた。余計なことを言うタイプの人だ。

 

指導はその助産師さんだった。いろいろと話しているとやはり違和感を覚えることが多かった。僕らはアメリカに行くことが決まっていたので、環境の変化があることを話していた。そして哺乳瓶の話になった。

 

ピジョンインドネシアでも使われているので、ピジョンがいいと思いますよ」

 

僕らが行くのはインドネシアではない。その後も話していると、なぜかアメリカとインドネシアが同じ国のようになっていて、インドネシアじゃないんだけどなあ、参考になるのかな、この話とか思いながら聞いていた。

 

「ミルクはおやつですからね」

 

は? と思った。ミルクはおやつって何だろう。

 

「赤ちゃんには母乳が一番なので、母乳をあげてください」

 

せっかく夫婦で乗り越えた問題なのに、この助産師さんに掘り起こされてしまった。また妻が自分を責め始めてしまうかもしれないと心配になった。

 

「うちは母乳とミルクの混合なので」

 

妻がきっぱりと言った。少し怒った顔をしている。助産師さんは「ミルクはおやつ」みたいなことをぶつぶつと言っていたけど、僕らの表情が変わったことに気がついたみたいで、あとはそそくさと当たり障りのない注意事項を伝達して指導は終わった。

 

病院に来たときよりも妻は元気になっていた。「ミルクはおやつ」と僕が言うと、笑っていた。

 

インドネシアとか関係ないこと言ってきたときからおかしいと思ってたんだよね、あの助産師さん」

 

インドネシアの話は役に立っていた。よくわからないことを適当に言う人という証明をしてくれていたのだ。そのため、そんなよくわからないことを適当に言う助産師さんが言うような「ミルクはおやつ」発言も、真剣に取る必要のない言葉でしかなく、妻を追い詰めるどころか、逆に元気づける言葉になっていたのだ。

 

どこまでが助産師さんの手のひらの上なのか分からないけど、その日の指導のおかげで、僕のミルク上げの技術もあがり、妻は完全母乳でないことを気にしなくなった。