「25セントのスピードクイーン」(長女1歳)
困ったことがあった。
アメリカのアパートメントは室内に洗濯機がないのが当たり前だ。綺麗で豪華な感じのアパートだと室内に洗濯機があったりする。ボストンのアパートに暮らしているのに室内に洗濯機がある人に会ったら光り輝いて見える。家賃はきっと3000ドル(30万円以上!)を超えているだろう。戸建みたいなとこはあったりなかったりする。戸建で洗濯機がない場合は、土曜とか日曜とかにコインランドリーに担いで放り込んでいく。これがボストン界隈の土日の風景。
普通のアパートは、地下とかフロアに洗濯機がある。うちの場合は、半フロア毎に洗濯機と乾燥機が1台ずつあった。土日は熾烈な奪い合いになる。二つ上の階のエネルギッシュなおばちゃんが、二つのフロアの洗濯機を同時に使う。二台使いをする人は稀だ。このおばちゃんはとにかくエネルギッシュで、こちらが先にエレベーターに乗っていてもぐいぐい入ってきて、ブザーが鳴っても、
「あれ、おかしいね」と言って出ていかない。
「あなたが乗ったからブザーが鳴っている」とか言っても、よくわからないふりをする。
すごい人だった。そのときは、僕がエレベーターを降りて、階段を駆け上った。エレベーターより先に着いて、妻とベビーカーを受け取ると、おばちゃんは「やればできるじゃないの」って顔して、娘にバイバイしてくれた。エレババというあだ名をつけた。
そんなエレババと洗濯機を争うなんて僕にはできなかったし、たぶん、上下の3フロアの住民の誰も争うことはできなかったに違いない。エレババは終わった洗濯物をそのままにすることでも有名だった。土日の午前中は極力洗濯しない方がいい。それがここのルールだ。
そんなことから、僕は平日に洗濯していた。たまに洗濯槽が汚いからゴミもとっていた。スニーカーなども普通に洗濯機で回すのがアメリカ流で洗濯槽に石も落ちていることもある。月曜日は汚いことが多い。
たまに隣の住民にも会った。彼は音楽をやっているらしい。フロアや洗濯室で会うといつも裸足だ。そしてTシャツはいつもセーラームーンだった。たまに日本から荷物が来ていた。アニメの話を僕にしてくることはなかった。
洗濯機は、スピードクイーンという名前がついていた。スピードクイーン2だったかもしれない。25セント硬貨を数枚か入れると動いてくれる。管理人によると、うちの洗濯料金は安いらしい。たしか、25セント硬貨7枚だった。ニューヨークやロスなら10枚以上するぜ、とか言われた気がする。乾燥機は25セントで10分くらいだったと思う。5分だったかもしれない。詳しい枚数は覚えてないが、頻繁に10ドル札を25セントに両替してもらっていた。
スピードクイーンは終了時間が表示される。基本は50分くらいだったと思う。その場で待つことはせずに部屋で待つ。だいたいの時間になって見に行くと、「5」となっていることが多い。
ここからスピードクイーンの本気だ。
「5ってなってから10分以上はかかるんだよね」
5分と考えてしまいがちだが、クイーンは5分なんて言ってない。「5」と表示しただけだ。この「5」が何を示しているのか、分からないまま、僕はボストンを出てしまった。
「5」になると落ち着かない。「5」から10分以上のこともあれば、突然、「0」だったか「OFF」になって終わることもある。気まぐれだ。時間を作るのが王なのだ、とか思って、クイーンに敬意を払うしかない。
洗濯室には二人のクイーンがいた。スピードクイーンとエレババだ。エレババなんてあだ名にしないで、エレクイーンにしておけばよかった。