いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

空調メンテに困る!<1>(新築篇)<全館空調の有償メンテナンス>

「全館空調のメンテナンス費は高いのか安いのか」

 

困ったことがあった。

 

我が家は、デンソーの全館空調を採用している。全館空調がいいのか、個別エアコンがいいのかは、ずいぶん悩んだけれども、個室が多い我が家の場合は、全館空調のメリットの方が大きいと判断して、全館空調にした。空調関係の仕事をする弟からは、全館空調はやめておけ、と言われてはいたけれども。

 

全館空調の良さは、全館が一定の温度になるというのはもちろんなんだけれども、僕らにとって大きいのは、室内がすっきりするということだった。個室が多いが、それぞれの個室は狭いため、そこにエアコンがつくとなると、なかなかの圧迫感になってしまう。子供たちの部屋の場合は、ロフトベッド、システムベッドを置く予定でもあったから、エアコンがあるとロフトベッドを置く場所も難しくなりそうというのがあった。そんな各部屋の問題を解決してくれるのが、全館空調になる。しかし、全館空調の問題点は、故障したときなど大変なことになる、とくに夏場は、という話を弟から聞いていたし、想像するだけで汗が出てくる。もっとも稼働する夏場だからこそ故障になりやすいのだろう。

 

個別エアコンの良さは、メンテナンスや故障のリスクなどを全館空調と比較して導き出せる。一台が壊れたとしても、他の部屋のエアコンがある。とくに気密性の高い家であれば、エアコンが一台あれば、十分とまではいかないまでも、過酷なことにはならない。いざというときには、壊れていないエアコンをフルに使って、その間に、交換なり修理なりをすればいいということになる。また個別エアコンの場合は、故障などがなくとも、つぎつぎに性能がいいエアコンが出ているのだから、数年後、10年後にさらに性能がいいエアコンにすることもできる。故障の修理や交換を考えると個別エアコン一択かもしれない。

 

全館空調と個別エアコンを費用の面で考えてみると、全館空調は買い替えができない、いや、正確に言えば買い替えもできるだろうけれども、200万円、300万円とかそのくらいの費用がかかってしまう。個別エアコンの場合は、ものにもよるけれども、10万円から20万円くらい。といっても、それは一台の値段になる。我が家で個別エアコンを採用していたら、7台くらい必要になるのだから、個室は範囲が狭いエアコンの10万円くらいにしても、リビング用は20万円くらいかかるかもしれない。全部交換するとなると、エアコン代金は、80万円くらいするだろう。今のエアコンはもう少し高いとしても、全館空調を買い替えるよりは遥かに安い。

 

全館空調を買い替えるというのはあまり現実的ではない。10年後に買い替えたという話も聞いたことがない。もし買い替えるとすれば、20年後、30年後ということになるのかもしれないが、そうなると、個別エアコンを10年ごとに買い替える料金とそんなに変わらないかもしれない。もちろん、全館空調の場合は、ダクトやらなにやらもあるため工事費も高価になるだろうから、本体だけの値段で判断してはならないとも思う。費用だけの面を考えても、おいそれと答えがでるものでもないのだろう。

 

メンテナンス費用のことを考えてみよう。

 

個別エアコンにしても、全館空調にしても、毎月のように自分でフィルター清掃をする。これは自分の人件費を0円だと考えれば、お金がかからない。しかし、年に一度くらい気合いの入った清掃をすると考えてみると、少しはお金の計算ができそうだ。そう、僕は毎年、夏前にエアコンの清掃をするようなタイプだ、というとなんだか偉そうだけれども、若いときに、エアコン付きの部屋に初めて住んだときに、エアコン清掃を怠っていたら、夏場にエアコンの効きが悪くなって、それ以来、夏前にエアコン清掃をする癖がついたというだけなんだけれども。エアコンの清掃は、特に夏前にはしておいた方がいい。

 

個別エアコンの清掃はそれなりに大変だ。エアコン用の清掃スプレーも1000円近くした記憶がある。あとは室外機を綺麗にして、ドレンというエアコンの排水用ホースも一つの問題を抱えていて、このドレンホースから虫が侵入するという問題だ。排水ホースの先端に防虫キャップみたいなものをつける。防虫キャップはそんなに高くなかった気もするけれども、500円くらいはしたかもしれない。もし、我が家が個別エアコンであったら、そんな作業を7台分、実費は10000円くらいかかる。2台、3台であれば少しにやる気でやれたとしても、7台となるとさすがに面倒臭すぎる。たまに室外機だけしか置けないようなベランダの家を見るけれども、室外機やドレンの清掃はどうやっているんだろうか、と他人の家のことなのに想像して、僕ならこうするかもしれないとか考えていることがある。僕がたまに不審者のように建物を見ているときには、そんなことを考えている。いつか不審者として通報されるかもしれないが、そのときは、このブログを証拠として見せてみようと思う。

 

空調メンテに困る!<2>(新築篇)に続きます。

パブコメに困る!<4>(自閉症児篇)<パブコメは要約され、大事な部分はカットされる>

パブコメに困る!<3>(自閉症児篇)の続きになります。

 

何度も書いているけれども、日進市全体に不満があるわけではない。日進市の公立保育園には二つ通ったけれども、どちらも素晴らしい保育園だった。とくに何が素晴らしいかというと、保育士のみなさん一人一人の気遣いが素晴らしいものだった。まるで、日進市役所の、きつい言い方をすれば、差別的な施策や態度の尻拭いをするかのように、現場の方達は誠実に、そしておもいやりのある対応をしてくださっていた。保育園とそして保育士のみなさんにはいつも感謝している。また、障害者センターの相談支援員の方も、親身に相談に乗ってくださり、僕の質問や指摘に関しても一生懸命調べてくださっていた。ただ、現場の方たちの努力や能力だけでは、解決できない制度的な問題があって、その制度的な問題、社会的障壁を作っているのが、日進市役所であるというだけなのだ。

 

僕が書いていることだけを見ると、僕が現場の方に迷惑をかけて、横柄に振る舞っていると思われてしまうかもしれないから、言い訳のように書いているのだけれども、これまでいくつもの市町村で保育園や障害者センターを利用してきて、日進市ほど親身な保育士や相談支援員がいるところはないんじゃないかとも思っている。そして、僕は彼、彼女らに励まされて、どうにか一年を乗り切った。日進市への恨みを忘れないように、現場の方たちへの感謝も忘れない。

 

で、問題のパブコメだ。

 

困ったことがあった。

 

僕は、日進市の条例にもあるように、部署間で横断的に障害者支援、配慮が行われるようすべきじゃないかと思った。部署を超えて、地域福祉課の方針による「おもいやり」を持った施策を行うように、他部署に働きかけるようにすべきではないか、というようなことをパブコメで書いた。しかし、この文言はパブコメでの意見公表時には、カットされてしまった。

 

市の回答は、協議会などで専門家たちから適宜意見をもらっている、というような回答だった。保育園関係の協議会を傍聴したことがあるけれど、適切な意見や質問をしている人は、2人くらいなもので、あとは法律も条例も、そして施策も理解していない方が椅子に座って、職員の提案をそのまま承認するだけといったような協議会だった。そんな人たちから、適宜意見をもらっているのに、障害児とその保護者の満足度が異常に低いという現状がある。協議会の進め方に問題があるのか、別に専門家が必要なのか、改善策はいくらでもあると思うけれども、日進市は協議会を全面的に信頼しているというポーズをとり続ける。民主的な形式を踏まえているから、問題ない、ということなのだろう。日進市に呆れてしまう回答だった。

 

また、日進市では、スクールロイヤー制度というのをやるそうだ。さまざまな法令や条例がある現在、法律家といえども各専門に特化した弁護士などでないと、適切な判断ができないことが増えている。そのため、学校と子供双方の利益を守るために、専門性を有した弁護士を雇うということだった。それはそれで大切なことだと思った。子供の利益を守るため、と広報誌にも書いていたのだから、そのまま、同じ理屈、論理でもって、障害者、障害児の利益を守るために、障害や福祉に対して専門性を有した弁護士を雇うべきなんじゃないか、ということもパブコメに書いた。これも大幅にカットされてしまった。きっと、日進市の顧問弁護士が、障害者差別解消法について、法令の誤認をした事実を書いたからかもしれないが、専門性を有しないからこそ、法令の誤認が起こってしまったという事実を書かなければ、僕が求めるような障害者、障害児の利益を守る弁護士を雇って欲しいという要望の切なる思いも伝わらないと思ったから、あえて書かせてもらった。しかし、カットされてしまった。カットされた上で、日進市はすでに専門家たちがいる、というような回答だった。専門家たちがいるのに、なぜ基本中の基本のような法令の誤認が起こってしまうのだろうか? そしてそのような専門家を専門家として認めていいのだろうか?

 

日進市パブコメを読んでいると、どうやら、日進市は、すでに完璧らしい。そしてその完璧な状況にも関わらず、障害児とその保護者は不満ばかり言っているという認識らしい。そう、僕だけでなく、アンケートを見る限り、多くの障害児やその保護者たちのような不満分子は、クレーマーとして認識されている。日進市や国の方針や基準、近隣市町村の状況を見た時に、十分に満たしている、等しいくらいにやっているというのであれば、僕はクレーマーだろう。しかし、ここでも何度も書いているけれども、日進市は周囲の市町村を見ても、ちょっとひどい状態であるという事実がある。もちろん、違法状態ではないけれども、違法状態ではないということくらいだ。

 

日進市の顧問弁護士が電話で言っていた。「違法とされるまでは適法なのです」これこそ日進市を表す言葉だと思った。

 

障害者を取り巻く法令は、毎年のように厳しくなっている。それまでは違法じゃないことでも違法になようになってきている。努力義務だったものが、義務になっている。数年後、現在の日進市のやり方は、違法状態とされるかもしれないが、そのときには、しぶしぶと、重い腰を上げて、前例踏襲を改めるのだろう。「違法とされるまでは適法なのです」という必要最低限のモラルが日進市には根強くある。評判の悪い企業のようなやり方だ。テレビドラマだったら、悪役の弁護士がいうセリフだろう。こんな施策や計画なのに、「おもいやり」などと提示しているのは、嫌味なのか、ウケ狙いなのか、僕にはちょっと分からない。

 

昨年度のパブコメはちょっと苛立ちながら読んでいたけれど、最後には笑ってしまった。しかし、これに懲りず、またパブコメは書いて行こうと思った。しつこく、なんども書くことが必要だ。僕が以前のパブコメを読みながら、仲間がいると思ったように、僕も何度も書くことで、まだ出会っていない市民を励ましたいと思った。でも、なんだか警戒されているらしく、僕の書いた文章は重要な部分がカットされてしまう。今度は、カットされない作戦を立ててみよう。

 

そういえば、以前の障害者への計画のパブコメにも、「絵に描いた餅」とかそんな表現があった。僕も、計画を見ながら、まさに「画餅」という言葉が浮かんだ。それと、もっとひどく、羊頭狗肉という言葉も浮かんだ。仏作って魂入れずでもいいし、画龍点晴を欠くでもいいけれど、日進市の計画に対して、そんな思いをしている人が数年前からいるだけでも、多少は救われる気がした。1人でぷりぷりしているわけじゃないのだ。まあ、逆に、それだけ何人からも何年も言われていても、変わらない日進市という困った状態でもあるわけなんだけれども。