いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

予防接種に困る!<1>(ボストン篇)<アメリカと日本の予防接種事情>

アメリカと日本で予防接種を受けると混乱する」(長女2歳5ヶ月、双子4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

子どもが生まれてからすることに、予防接種というのがある。乳児検診やなにやらとこなしていくと、次々に予防接種を受けることになる。乳児育児の記憶は大変すぎたのか、いま思い出そうとしても、なかなか思い出せないけれども、ヘロヘロとしながら、区役所で説明を受けたり、病院などに行って予防接種を受けたことをぼんやりと思い出す。

 

長女が生まれたのは、日本だった。最初の予防接種がなんだったか忘れてしまったけれども、もちろん、母子手帳を見れば記載があるから、母子手帳を見ればすぐに分かることでもある。手元にないというだけで見ないで済まそうとズボラな僕は、やればすぐにできることをやらずにぐずぐずと長女との思い出に浸るかのように、さて、どうだったか、とか考えている。

 

長女が生まれたとき、僕の仕事も忙しかったけれども、妻はいわゆる産後うつのようにもなっていて、乳児検診や母子検診みたいなものには通っていたけれども、予防接種は僕が連れていっていた。渡米してからは、病院では英語ということもあって、予防接種は妻の担当になった。渡米後は、妻はとても元気だった。英語もできず、帰属先もない僕の方が育児ノイローゼみたいになっていた、というのはまた別の話だ。

 

まず東京でのこと、僕は生まれてからしばらく経った長女を予防接種に連れて行った。乳児の頃は暴れん坊だった長女、もちろん、予防接種もなかなか大変だった。乳児が暴れると、それをどう抑えればいいのか難しい。力加減もどの程度までならいいのか、強く抑えてしまって、骨折でもさせてしまったらどうしようとか余計なことばかり考えてしまって、ついつい長女を暴れさせてしまう。優しい青鬼のような気持ちになって乳児を抱いて、予防接種を受けさせていた。

 

そういえば、任意のワクチンみたいなものがあって、これは鼻から入れるとかそんなものだった気がするけれど、ほんの少しの量で、7000円とかそのくらいの値段だった。当時、出産やら引っ越しやら、渡米準備やらと出費が重なり、オムツやらミルクやらと子ども関係のアイテムでもお金がどんどんなくなっていったため、できるだけ節約しようとしていた。しかし、節約のためといっても、そして、いくら任意といっても、乳児に受けさせる予防接種の一つを拒むことなどできないもので、任意のワクチンを接種することにした。ロタウィルスだ。聞いたこともないが、一回7000円くらいした記憶がある。

 

ロタウィルスのワクチンは、少量で、しかも鼻から入れる。鼻から入れるのは僕の仕事になっていて、暴れん坊乳児の長女はやはり暴れている。この液体を鼻から入れることができるだろうか、と心配になった。長女を軽く抑え、そして暴れる様を観察し、法則性を見出しながら、このタイミングだ、という感じで鼻から流し込んだ。一滴くらい溢れた気がする。

 

「あ、きっと、2000円分くらいこぼしちゃいました」

 

「大丈夫です。みなさん、そのくらいはこぼしてます」

 

何が大丈夫なのかは、それぞれの基準によって違うと思うけれども、医者としては、そのくらいこぼしても、効果はあるという基準で大丈夫となり、貧乏性の僕は、2000円に相当しそうな分量をこぼしてしまったことが大丈夫かどうか、ということになるのだから、僕としては大丈夫ではない。そんなことを医者に言ったら、みなさん、楽しそうに笑っていた。

 

長女の予防接種は、アメリカに行くまでにできるだけやっておこうと妻と話していた。アメリカの予防接種がどんな感じなのかよく分からなかったというのがある。

 

そして渡米。

 

長女はボストンでいくつかの予防接種を受けることになった。

 

ボストンでの予防接種担当は、妻になったので、僕はボストンでの予防接種事情にあまり詳しくない。アメリカの場合は、皆保険ではないということもあって、どんな保険に入っているのかというだけでも事情は変わるかもしれないし、はたまた、子どもなどに関しては日本以上に介入してくることもあるため、日本よりも子どもの予防接種には意欲的かもしれない。ボストンでは、有料の任意の予防接種というのは受けていない。そもそも、任意の予防接種がないのか、それとも、長女や次女三女に該当する任意の予防接種がなかっただけなのか、それは分からない。

 

予防接種に困る!<2>(ボストン篇)に続きます。

いい加減に困る!<5>(ボストン篇)<いい加減で面倒臭いアメリカが好きらしい>

いい加減に困る!<4>(ボストン篇)の続きになします。

 

アメリカは、日本人というか、神経質な僕からすると、いい加減すぎる。いい加減さにイライラして、不満たらたらだ。しかし、どういうわけか、その不満などを言葉に乗せて、ここがおかしい、これはこうじゃないか、みたいな話をしていくと、怒ってしまう人もいるが、多くの場合は、だんだんと仲良くなって、しまいには、いい加減さのせいで困らせられたのに、いい加減さのおかげで満足したりもした。一つだけ言えるのは、アメリカは面倒臭い国だということだ。いちいち理屈をひねって交渉しなければならないのだから、面倒臭い国なのだ。そして、僕は、神経質でありながらも、議論などの面倒臭いことは好きということから、このいい加減さと面倒臭さの国を愛し始めていた。

 

困ったことがあった。

 

結果的には、楽しい思い出になったけれど、商品トラブルのことは、元を辿れば、商品管理に対するいい加減さでもあるし、返品文化を悪用してしまういい加減さが生んだトラブルだった。しかし、こういういい加減さの中で、論理や弁論を重んじる気持ちや個人の自由などはいい加減な気持ちではやっていない。トラブルの数だけ、僕はアメリカを嫌いになり、トラブルの数だけ僕はアメリカを好きになった。算数的にプラスマイナスゼロということになるのかと思いきや、嫌いと好きが混じり合うと、愛おしい気持ちになるらしく、TDバンクの受付も、管理人さんも、髭もじゃのおじさんも、懐かしい愛おしい思い出になっている。

 

そうそう、これは最初から嫌な気分にならなかった、いい加減さがある。これはいい加減というには少し違うかもしれない。長女の障害について最初に相談したアーリーインターベーションの人がいた。この方は、自分には障害や自閉症を診断する権限がないが、明らかに長女は自閉症であるから、ルールからは外れるが、すぐに療育を行おう、と提案してくれた。なにぶん初めてのことでもあるから、診断前に療育が受けられることや、療育を行うことがいいことなのかも分からなかった。すると、彼女は、医師ではないから診断ができないというだけで、療育の必要については彼女が判断できるということだった。また、療育が必要なのは、子どもだけでなく、親のためでもあることを話してくれた。そして、自閉症に対する療育の効果などを示した論文などを見せてくれて、重要なところを説明してくれた。制度では対応できない部分に対して、医師ではない者であっても専門家としての知見があるため、彼女は自信を持って説明してくれた。その裏付けとなる論文なども参照し、また、療育の早期介入の重要さがアメリカで言及されるようになった歴史的背景なども説明してくれた。アメリカでは、以前、自閉症に対して、いまからすれば差別的な対応をしていたことなども、このとき知った。

 

彼女の論理、理屈、そして弁論に圧倒され、不安の中にいた僕ら夫婦は救われた。また、日本では、医師の判断などがなければ受けることができない療育もアメリカでは、療育の専門家が判断することができること、そのために多くの論文を読み、自分でも論文を書いていることなどに驚いた。自閉症発達障害に関してはさまざまな視点で論文が書かれており、どのような取り組みにするのかということがずっと議論されている。決まった答えなどはないからこそ、彼女たちは、日夜勉強しているということだった。そして、現在、定説になっているのは、早期介入と療育は多ければ多いほど効果があるということだ、という説明があった。

 

このことを思い出したのは、日進市で療育をめぐって話しているときに、全く逆のことが言われたからだった。日進市では、療育を極力受けさせない、週に二回が最も効果的だと考えているということだった。僕らがアメリカで聞いた話と違っていたので、どういう見地から、どのような論文によって、そしてどのようなアンケート、障害特性や療育施設の専門性などが検討されて、このような方針でいるのか、と聞いた。答えは驚くべきことに、「論拠はないのですが、経験上、慣例上、そういうことになっている」ということだった。このことに関しては、別に自閉症児篇で書きたいと思う。

 

日本の現状に対して、アメリカでは、ボストンでは、と大上段に言って批判したいわけではない。日本でも自閉症児や発達障害等への療育に対しては、意見が分かれ、統一的な見解が出ているわけでもない。良心的な学者たちはアメリカなどの取り組みのことも知っている。つまり、答えが出ているものではない。ただ、違いは、職員などを含めて、アメリカでは、個人が個人の見解を磨くために論文などを読んでいるということだ。日本の場合は、というか、日進市の場合は、市がたまたま知り合ったのかは分からないけれど、市のそれまでの施策に近い意見を抱く学者に意見を聞いただけだったりする。つまり、現場の個人での判断がないのだ。と、つい別に書く予定だった、日進市の療育への取り組みについてダイジェストで書いてしまった。

 

ボストンでのアーリーインターベーションの担当者に驚いた僕らに話を戻すと、彼女とその同僚たちからも専門的な話を毎回聞いた。僕らが質問をすると、インターネットで閲覧できる論文を教えてくれたりもした。また、長女の障害を見定めながらも、他にも障害があるかもしれないといろいろと手配もしてくれた。自閉症児の場合は、耳が聞こえないことから自閉症のような症状になることがあるということから、言語療法士の方が耳鼻科まで付き添ってくれた。付き添いの制度があるのかと聞いたら、医師との話し合いのときに、専門家がいた方が誤解がないし、僕らが母語が英語ではないことが心配で個人的に付き添うことにしたということだった。つまり、彼女は、業務上のルールからではなく、個人として付き添ってくれていた。彼女たちの前では、自閉症などを取り囲むシステムやルールの方が遅れている、あるいはいい加減に思えるのか、一人一人が個人でシステムを超えて関与してくれた。理由は、本人たちに重要と思えることだから、ということだった。すごいぞアメリカ、と正直思った。

 

アメリカのいい加減さ、そして異文化での生活への苛立ちや不満はたくさんあった。けれども、ある不満、苛立ちを超える、それは異文化、異言語を超える、システムやルールよりも、状況やロジックへの信頼は、互いを人間同士の関係とする。これはアメリカならではなのか、どうかは分からない。東京にいたときには、育児に対しても僕らが困る前に、すでにシステムやルールによって困らないようにされていた。名古屋にいたときには、システムは東京と同じような先進性があるが、システムを理解しないことから起こるヒューマンエラーで困ったりもした。日進では、全国的というより、近隣市町村から見ても遅れているシステムやルールが障壁となり、状況やロジックをいくら説明しても無駄だった。アメリカには、よくできたシステムやルールもあるし、信じられないようなヒューマンエラーも発生する。東京ではヒューマンエラーも少ないけれど、ロジックや状況をもとにした人間同士の話し合いから状況を好転させることも少しくらいならできた。ただ、名古屋に来て、そして名古屋よりもシステムやルールがやばい日進に来て思うのが、あのいい加減で意味不明なことが多かったアメリカよりも、僕は異文化に来てしまったということだ。それは僕が理屈っぽく、理詰めの弁論術を愛しているからかもしれない。そうなると、僕は日本人で東京育ちなんだけど、どうやらアメリカが、ボストンが性に合っていたということかもしれない。