いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

帰国引越に困る!<上>(ボストン篇)<乳児をつれて>

「帰国時の記憶はあまりないです」(長女2歳5ヶ月、次女三女4ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

渡米も帰国も乳児を抱えていた。渡米時は、長女が5ヶ月、帰国時は次女三女の双子が4ヶ月。乳児を抱えて長距離の移動なんてするもんじゃないとは思いながらも、二度もやってしまった。

 

渡米時は、はじめての育児ということもあって、乳児1人とはいえ苦労した気がする。基本的に抱っこしながら移動して、オムツやミルクにしても定期的にやらないといけない。キャビンアテンドさんたちは親切なので、ミルクのためにぬるいお湯を用意してくれたり、「お手洗いに行かれるときには抱っこしますよ」と言ってくれたりした。それでも疲れ果てて、東京からボストンに着いた。途中、シアトルで乗り換えるときになんだかホッとしたのを覚えている。

 

長女は飛行機の中では静かで、よく眠ってくれていた。シアトルからボストンの飛行機では、席が余っていると言われて、三人席に座って、真ん中の席で長女を寝かしていた。僕もそのときに寝た。妻は東京からシアトルまで眠れたみたいで、シアトルボストン間は起きて長女を見てくれていたらしい。長女は一度も起きなかったそうだ。

 

はじめての育児は何をやるにも大変だ。こんなに大変なことってあるだろうか、とか思いながら、渡米の準備もし、飛行機も乗って、海外生活をはじめた。口癖のように大変だ大変だと言っていた。

 

しかし、その大変だというのを超える事態が訪れた。

 

双子が生まれた。

 

乳児の世話に関しては、長女ですっかり慣れていた僕だけれども、双子となるとまた別だ。同じなんだけれども別だった。小さく生まれることが多い双子の母乳やミルクの飲みが悪いとかそういうのもあったけれども、単純に乳児2人ということがじわじわ効いてくる。ミルクやオムツの一つ一つは、もはや歴戦の戦士並みになっている僕にはお手のものだけれど、次々に起こる乳児っぽい出来事が連続することには慣れていない。徐々に、激務をこなす感じで、吐瀉物やらオムツ漏れやら、夜泣きやら何やらをこなせるようになるけれども、油断をしたら、次女の排泄物が三女についてしまうことなんかもある。片付けと洗濯が続いたりする。

 

そんな日常的な双子乳児の世話にも慣れ、手首もまた日常的に痛くなっていた。そんな中、ただでさえギリギリの双子乳児の世話をしているときに、今度は帰国というイベントが待っていた。

 

乳児1人を連れて渡米した頃を思い出してみた。どうにかなったのは、大人2人で乳児1人という編成だったというのがある。大人が当番制で乳児の世話をすれば、お互い休めるし、乳児の世話も満足にできる。

 

しかし、今度の編成は、大人2人は変わらないまま、2歳児1人と乳児2人という編成。大人が1人足りない気がした。妻と相談した。これは日本から1人ほど大人を呼び寄せて往復してもらった方がいいのではないか? と。お金があればそうしたかもしれない。このときにはお金がなかった。節約していた。そんな贅沢なことができるわけもない。僕らは大人が1人たりない状態でどうにかしなければならなかった。

 

お金がないということは子供の世話をする人の不足を解決できないだけでなく、引越しも節約することになる。節約というのはつまり、ほとんど自分たちでやるというものだった。長女の世話は主に妻がやっていて、僕は乳児2人の担当で、そして引越しの担当でもあった。

 

思い出したことがある。そういえば、この引越しでてんやわんやのときに、お別れ会かつ、不用品を持って行ってもらう会みたいな感じで、我が家に何人かの人が集まった。そして引越しで大変みたいな話をしていた。僕らの日本人の友人は企業から派遣されている人が多かったので、引越の費用は会社持ち、そして会社だと「おまかせパック」みたいな梱包開梱があるコースになる。うらやましい。「おまかせパック」が心底うらやましかった。僕らにはお金がなかったから、自分で梱包して、空便なり船便を組み合わせて送る感じだ。大事なものは空便、遅くなってもいいものは船便。

 

「おまかせパックって言っても、立ち会わなきゃいけないんですよ」

 

と、言う人がいた。どこにでも自分の恵まれた状況に不満な人はいるものだし、僕にしても、大して困ってないことに困った困ったと言ってるのだから、同じようなものだ。だけれど、おまかせパックで立ち会うというのは、不満というより、立ち会いたいというか、いくらおまかせパックといえども、立ち会わないと不安じゃないか? と思った。

 

帰国引越に困る!<中>(ボストン篇)に続きます。