いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

虐待保育に困る!<下>(自閉症児篇)<虐待保育に気づけるようになりたい>

昨年の長女の合理的配慮をめぐる一連のことはすでにブログに書いたことでもあります。先日報道された虐待保育のニュースを見ながら、いろいろと思うこともあって、また思い出しながら書いています。虐待保育は見過ごされ、問題だとも思われないことが多い。虐待を告発する声が上がったときに、その声を聞いてくれる人が近くにいれば助かる人もいると思う。そんなつもりで書いています。

 

虐待保育に困る!<中>(自閉症児篇)の続きです。

 

困ったことがあった。

 

各省庁からのお墨付きをいただいて、僕は名古屋市に反撃した。名古屋市の職員はのらりくらりと誤魔化す人が多いので、職員ハンドブックを片手に、そしてとある省庁の方からいただいた助言「役所は他部署から言われるのがいやなので、一つの部署だけじゃなく、多くの部署に相談した方がいい」を胸に、名古屋市のさまざまな部署に相談した。丁寧な部署もあった。で、そこでも相談に乗ってもらって、やっと動き始めた。

 

動きはじめたら話は早かった。あとは専門家を呼んで、職員たちを囲んだ話をした。専門家から「虐待だと思われても仕方のない状態である」と言われると、市職員は「え?」みたいになって、慌てて、長女に対する合理的配慮を全て行うように保育園に指示し出した。つまりこういうことなのだ。

 

虐待は、本人たちも虐待だと思っていない。

 

周囲も、虐待ということが分かっていない。

 

天下の公器たる新聞社の記者ですら、保育園をいくつも調べなかったという自己責任だと僕を責め、いやなら転園すれば? という有難い助言をしてきただけだった。ちなみに、僕らの環境が特殊なので読者の共感がえられないから記事にはしないということだった。障害児と双子の姉妹がいる困難さなんて、誰も共感しないからということが告げられた。虐待ということは浮かびもしなかった。なにかおかしい。

 

保護者の多くも、そこで虐待があったことなど気がつきもしない。ただモンペが怒鳴っていたというだけ。

 

虐待は、発語ができない存在が対象になることが多いらしい。0歳児や1歳児が虐待保育されやすいそうだ。

 

ボストンで、週に一度預けていたシッターサービスのところでも長女は虐待をうけていた。このときは、他の発語できる子どもたちが保護者にどんなことをされたのか話していたことと、長女の様子やベビーカーのベルトの締まり具合がおかしいという物的な疑いもあったため、早めに気がついた。シッターサービスの当日に、子どもたちがいる部屋の外に張り付き、時間や様子をメモして、写真もとった。長女の泣き声があまりに激しく、そして長いので、妻が辛抱できなくなって、乗り込んだ。その後、僕も乗り込んで、不審な点や、その日のことを話すと、相手は嘘ばかり述べたので、メモと写真を見せた。言い訳ばかりしていた。その方は、その施設で36年間シッターサービスをしているということが信頼の証拠になると思っていたらしいが、僕のメモと写真が組織のトップにまで行って、翌週には彼女が主催するシッターサービスは36年の歴史に幕を閉じることなった。

 

虐待保育は気がつきにくい。なぜなら言葉が話せない子どもに対して行われることが多いからだ。それに本人たちからすれば虐待のつもりもないのだろう。言葉が通じない相手に言うことを聞かせることは困難だから、強引な手口になってしまって、それが虐待となる。行きすぎれば逆さにしたり、暗い部屋に閉じ込めたりするようになるのだろう。また、言葉が使えない者はそれに抗議することもできず、知らせることもできないから恒常化してしまうのだろう。

 

虐待保育の報道があった翌日、保育園で双子姉妹の荷物を引き出しに入れていた。この保育園では園児の荷物の整理整頓は保護者が全てやることになっている。朝は三密状態だ。次女三女の隣の教室は0歳、1歳のクラスになっている。そこから嫌な感じの声が聞こえてきた。

 

「帰りたいなら帰ればいいよ」

 

泣き叫んで、「ママー」と言ってる1歳児に、その保育士は語気強く言っていた。言葉が話せる5歳や6歳の子どもには言わないだろうし、年長さんで登園時に「ママー」と泣き叫ぶ子は障害児を除けばあまりいない。それに、それが嫌な感じを他の保護者に与えると思っていれば、他の保護者がいる時間帯に言うこともないだろう。こんな言葉は、普通なのだ、こんな態度は普通なのだ、これはありふれた保育の日常なのだ、ということなのだろう。

 

虐待保育というのは、あからさまな虐待というのはあまりないと思う。しかし、恒常化した微妙な虐待というのはよくあると思う。それぞれの保育士、園長などがよほど注意を払っていなければ、子どもを傷つけるような言動をなくすことはできないだろう。それに、僕が子どもの頃には、給食を無理やり口に入れられるなんてのはザラだったし、それを虐待だとも思わず生きてきたし、中には、それってほんとに虐待?って思うようなこともあるだろう。

 

相手の不自由や無力につけこむのは、なんにせよ虐待だと思うし、そもそもやっちゃいけないことだ。言葉が話せないというのは、誰にも訴えることができない状態だ。言葉が話せない子どもがどんな状態にあるのか、保育園に行くたびに気をつけて見て、気になったことは、保育士や園長に言うようにしている。うざい保護者かもしれないし、モンペと思われているかもしれないけど、子どもたちを守るためなら、僕がどう思われようが構わない。