いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

ナンセンスに困る!<上>(自閉症児篇)<嫌いな都市No.1の説得力>

「名古屋で障害児を育てるのは難しいと思った」(長女4歳8ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

長女の件で名古屋市と揉めたことを周囲の人などに相談していると、「そんなことある?」みたいに言われる。僕も当事者じゃなければ、「まさか、そんなこと」みたいに思ったかもしれない。それに名古屋市で子供を育ててから、保育園以外にも嫌な思いをすることも多くて、僕はすっかり名古屋が嫌いになってしまった。

 

名古屋はネタのように嫌われている。どこかネタ的な部分もあるし、実際に困ってしまって嫌うというのもある。名古屋が他の地方都市と違うのは、政令市都市における独立自治が認められた行政ということ。つまり、他の地方都市より多くの人が住む都会ということ。で、名古屋が嫌われるのは、そんな都会なのに妙に閉鎖的というところだ。田舎あるあるが大都市で行われていると言えば分かりやすいかもしれない。

 

名古屋が行きたくない都市ランキングで堂々の1位をとっていることに、名古屋人はアピール下手だからという結論を下したようだ。住んで見て分かるのは、人との距離が近い癖に優しさがない、ジロジロ見てくる癖に挨拶すると下を向いてそそくさといなくなってしまう、というようなところだろう。これはホスピタリティがないとか、ヘルプフルじゃないとか、横文字だと簡単に言えるようなことだと思う。昔の浅草がそんな嫌な感じがあってアピールしても観光がいまいちだったように思う。観光でうまくやりたいなら、コミュ障をどうにかして欲しいという気がする。

 

東京は冷たいという人も多い。そう、それはそう。人と関わりたくないからこそ、人と距離もとるし、出入り口で立ち止まったり話し込んだりして塞いだりしない、足早に移動してフラフラ歩かない。優先席に東京の人が座らないのは、優先席が必要な人が来てしまったときに話しかけられたり話したりするのが面倒だからだ。人と話すきっかけができないように前もって手を打っている。もちろん、ジロジロ見るなんてことはしないし、人とぶつかりそうな狭いところを最短距離だというだけの理由で通り抜けようなんて思わない。これが東京人の基本だ。3階建のショッピングモールでエレベーターは使わない。なぜなら、車椅子やベビーカーが来てしまったら気まずいからだ。

 

東京人が大阪に行くと少なからずショックを受ける。人との距離が近いし、無駄に止まっている人もいるし、ジロジロ見て近づいてくる人もいる。しかし、大阪人は会話が成り立ってしまうからそれができる。人との交わりを嫌がっていない。ジロジロ見られて、会釈をしたら、近づいてきて話かけてくる。最初は戸惑うし、会釈したらOKサインになっちまったとか思ったりもした。これはこれで東京人には疲れるけれども、慣れてくるとこういう会話も楽しくなって、また大阪に来たいと思った。僕は年に2回くらいは大阪に行って楽しむようになっていた。

 

名古屋も大阪のような距離の近さなのに、あいさつひとつで俯いて逃げてしまう。飲み屋で隣合った人の荷物を拾っても会話にならない。セルバンテスという作家が書いた「ドン・キホーテ」の登場人物サンチョ・パンサが「人見知りをするなんて、まだ子供だなあ」と言ったことを思い出してしまう。名古屋は親戚の集まりに来た中学生みたいな感じの人が多い。

 

そんな中学生みたいな名古屋に溶け込めるかちょっと心配だった。とはいえ、名古屋のお店はいいお店も多いし、よく言われるように程よく都会で程よく田舎という都市の感じは便利だと思う。一年以上住んでいれば仲の良い人もできる。たまに名古屋の友人たちと飲んで楽しい気持ちになることもある。ここで僕は残りの半生を過ごすことに決めていた。

 

しかし、これは僕個人というか、僕が独り身だったら、何も気にせずに住んだということかもしれない。または妻と2人だけなら平気だったかもしれない。あるいは、子供が1人で定型発達だったら平気だったかもしれない。つまり、誰かの助けが必要じゃないような状態だったら、名古屋だってどこだって大体平気だったろう。誰かの助けが必要になった時に、助けを求める相手が、親戚の集まりでモジモジしている中学生だったらどうだろう、その中学生はコスパと自己責任くらいでしか社会や他者を見られない中学二年生だったらどうだろうか、結構きついんじゃないか。

 

中学二年生の全てが悪いわけじゃない。ここで言う中学二年生は、僕が中学二年生の頃を想定している。その頃は、三国志が好きで曹操に憧れていた。「唯才」という「ただ才のみをもって用いる」という考え方が好きだった。弱者は本人の責任だくらいに思っていた。僕の黒歴史だ。困るやつが悪いと平気で思えた。そんな典型的な中学二年生が僕だった。

 

なんでこんな話をしたかというと、長女をめぐる保育園とのやりとりを経て、これから名古屋で障害児を育てていくなら、僕だけでなく、他の障害児たちにも良くなるような環境にしなければならないと思ったというのがまずあった。

 

それに、僕らの問題は、他の保護者はただ知らないだけかもしれないし、もし知ってもらえたらみんな協力してくれるだろうとも思っていた。NHKなんかの番組でも障害者差別解消法について特集が組まれていたり、合理的配慮もそれなりに周知されていると思っていた。知らないのは、保育園や名古屋市だけで、保護者の多くは知っていることだと思っていた。

 

それに、困っている人がいるのを助けるのは当たり前だと思っていた。僕の中学生の頃だって、頭では困っている奴が悪いとは思いながらも目の前で困っている人がいれば助けるのは普通のことだった。自己責任論を振りかざすのは、頭の中で少し粋がっていただけだ。恥ずかしかったのかもしれない。そういえば、中学二年生の頃、社会科見学か何かの帰りに電車で席を譲ったら、ガラの悪い同級生に「お前、席譲ってたな、俺もそういうことができるようになりてえ」と言われて恥ずかしくなったことがあった。親切に恥ずかしいとか、裏があるとか思ってしまうのが、なにより中学二年生的なんだろう。

ナンセンスに困る!<下>に続きます。