「自転車に子供を乗せるリアカー」(長女1歳7ヶ月)
困ったことがあった。
今では子供3人なので、自転車で子供3人乗せて走ろうなどとは思わなくなったけれども、長女一人のときには、子供を自転車に乗せて遠くまで行ってみたいと思うことがあった。
僕は自転車が好きだったし、自転車で走っているだけで気晴らしになる。
ボストンに住んだら、子供を乗せて自転車で遠出することなんか夢見ていたりした。
実際にボストンに住んでみると、ボストン中心部は観光客も多いからレンタル自転車でのらくらと走っている人も見かけるけど、ちょっと郊外になると、自転車はもはやレース感覚。車と並行に走れてナンボの世界だ。
とにかく速い。ヘルメットはもちろん、サポーターまでつけているのが当たり前。事故と隣り合わせで自転車に乗っている。若い人がビュンビュンと車道を走り抜けている。たまに歩道を走るお年寄りもいるけど、歩道は凸凹しているので自転車は走りにくいと思うし、歩行者とのトラブルにもなりかねないから、歩道を走る自転車の人はあまりいない。子供とお年寄りくらいだろう。
そんなボストン郊外だと、自転車に子供を乗せるという発想がなくなってしまう。
僕は子供を乗せて、ボストンの感じのいいところを巡る夢を諦めた。
近所から15分くらいのところに、家具を作っているところがあった。小さいけれども面白い家具がならんでいる。ボストンにもっと長く住むのだったら、こういうところの椅子とかを買ってもいいかもしれないとか思った。
そこには、自転車の後ろにつける小さなリアカーも売っていた。
日本でもたまに見かけるようになった例のアレだ。
アメリカでは自転車に子供を乗せるといえば、あのリアカーだった。赤い旗を高くはためかせているものだ。
ほとんど関係ない話だけれども、むかし、軽トラックで木材をたくさん運ぼうとしたとき、幌から木材の一部が出てしまった。そんなに長く出てたわけじゃないけど、30cmくらい出てしまった。
僕は車のことについてほとんど知らなかったから、まあ、こんなもんかくらいに思っていたら、車に詳しそうな人から、赤い旗は持ってるか? と聞かれた。持ってないと答えると、そりゃまずいということだった。法律で決まっていることらしい。
「これじゃダメですか?」
と、僕は小腹が空いたら食べようと思っていたキットカットの箱を取り出して、中身を食べ、箱を広げた。
「確かに赤いけど、それいいの?」
「赤くて旗めくことが重要なら、この箱を木材の先端に赤いビニールテープでぐるぐるにまけばいいんじゃないですか?」
「見たことも聞いたこともないけど、それでいくかー」
ということで、赤い旗の代わりにキットカットの箱で代用した。そのときは問題なく運んだけれども、後日、赤い布を買った。ちなみに、夜間だったりすると赤は見えにくい色の一つらしい。また鹿とかは赤が認識できない色らしいので、鹿の突進を避けるのであれば赤ではない色がいいと思う。
どうでもいい思い出だ。赤い布がないからと行ってキットカットの箱で代用していいのかは知らないけれども、真似はしない方がいいと思う。何もないよりはマシなんじゃないかと思ってやってしまったことなんです。
話を戻すと、赤い小旗が高々と掲げられているリアカーをボストンではよく見かけていた。走っているときに連結部分が外れてしまったらどうしようとか心配になる僕はリアカーを選ぶことはなかったけれど、見かけるたびにいいなあと思っていた。
近所の木工屋さんでは、木で作った素敵なリアカーがあった。現実的に考えれば、よくみる軽量化された流線型のリアカーよりもリスクがありそうな感じもする。でもなんだかかっこいい。田舎道をゆっくり走るのなら、小さなログハウスのようなリアカーを自転車の後ろにつけるのもいいかもしれない。クッションなんかを入れてしまえば、子供はリラックスして、たまに寝たりしながら自転車で移動できるだろう。
その店を通るたびに、小さなログハウスを見ていた。
だんだん気がつくものだ。
最初は耐久性とか安全性に問題がありそうだと思うくらいだったけれど、考えてみれば木製だ。きっと重い。ボストンどころか田舎道でこんな代物を引いていたらすぐにバテるだろう。これはそのうち飾りになるだけだ。子供部屋の邪魔なおもちゃが一つ増えるだけだ。それでも惹かれた。見た目がかっこいい。
アメリカのお店の面白いところは、こういう合理的な判断から逸脱したものがちょいちょいあるところだと思う。子供用のリアカーのように、合理的な判断しか許さなそうな物ですら、遊び心がふんだんにある。アメリカのそういうところは好きだ。日本も、合理的な判断を逸脱したものがあるけれども、そういうものはだいたい可愛い方向だったりする気もする。それぞれのお国柄というやつかもしれない。