いつも困っている

家事と育児(三人姉妹で二人は双子)に対峙する男の日々

大雨に困る!(ボストン篇)<ボストンにもゲリラ豪雨はあった>

「ボストンの大雨というらしい」(長女1歳10ヶ月)

 

困ったことがあった。

 

ボストンの夏は比較的過ごしやすかった。日差しが焼けるように痛いけれども、よく言われるようにカラッとしているから、日陰に入れば真夏でも外にいることは苦でもなかった。

 

たまに大雨が降った。

 

夕立とかゲリラ豪雨みたいな感じの雨だ。東京に住んでいたからか、夏のゲリラ豪雨には慣れていた。色々な施設を巡回して回る警備の仕事をしていたときに、ゲリラ豪雨に慣れたのかもしれない。

 

僕は天気予報をよく見る。関係ないけど、たまに河川をうつしているだけの番組を見ていることもある。なんだか見てしまう。焚き火の映像を見続けてしまうみたいなものかもしれない。

 

天気予報をよく見るようになったのは、警備の仕事をするようになってからだと思う。雨具を用意するか、着替えを用意するか、タオルはどのくらい必要かと天気予報に雨のマークがあれば考えていた。

 

ゲリラ豪雨と言われ始めたとき、猛烈に降る雨に降られることはどこか心地よかった。びしょ濡れになるのがなんだか楽しかった。ゲリラ豪雨の雨粒は普通の雨より大きい気がしたし、体に当たるときに重みを感じるようなところも好きだった。

 

しかし、外回りの仕事をしていると、びしょ濡れになったら、お家に帰って着替えればいいということにもならない。警備のときには詰所に戻って、おじさんたちみんなで裸になって、カーテンレールとかに干す。そして2時間もすれば湿ったままの制服を着てまた出ていかないといけない。

 

警備会社によって異なると思うけれども、僕が所属していた警備会社はシャツもズボンも一枚しか支給してくれなかったらしい。僕はどちらも2枚持っていた。

 

「なんで2枚持っているの?」

 

と同僚のおじさんに聞かれた。

 

「雨や汗で濡れた時に交換したいって言ったら貸してくれましたよ」

 

普通は貸してくれないらしい。今でもなぜ僕が余分に貸してもらえたのかは謎だ。僕が司令室に行くと笑っている人が何人かいたから、何かの遊びのネタにされていたのかもしれない。受付の女性が制服フェチで、僕がビシッと制服を着ているのがいいって言っていたから、制服をちゃんと着ているご褒美で貸してもらえたのかもしれない。

 

話が変な方向に行ってしまったけれども、雨で濡れてしまうと着替えが必要になるから天気予報は大事だった。誰だって湿ったシャツを着たくはない。濡れている最中は気持ちがいいものだけれども。

 

そんな僕の天気予報チェックはボストンでも行われていた。アメリカではアキュウェザーというアプリがあって、これがなかなか精度が高かった。あと何分で雨ですよ、ということも教えてくれる。また雨がどのくらいで終わるかも教えてくれた。妻は帰国してからもアキュウェザーを使っている。

 

ボストンの大雨は突然に来る。アキュウェザーを見ていれば突然ではない。大雨が来るのが分かっていても出かけなきゃいけないときには、アキュウェザーと睨めっこだ。

 

「あと15分後に大雨が来そうだから、しばらくここにいよう。40分くらいで止むらしい」

 

とかそんな風に妻と話していたこともある。

 

それでも、突然降られてしまうことがある。子供の準備などをしていて天気予報を確認しなかったときなどに限って、降られてしまう。

 

「ボストンの大雨っていうらしいよ」

 

「有名なの?」

 

地球の歩き方にはそう書いてあった」

 

ゲリラ豪雨に慣れてしまうと、ボストンの大雨もよくあるものに思えてしまう。ボストン名物という気がしないから、ボストンの思い出として思い出すまでに2年かかった。

 

ボストンの大雨に備えてというわけでないのだけれども、アウトドアの服などが多いアメリカだ。雨や雪に特化した装備が多いということもあって、雨具を買うのも楽しかった。子供が新しい傘や長靴、雨具を買ってもらうと、ピチピチチャプチャプと浮かれるように、僕も雨具を買ってボストンの大雨を心待ちにしていた。

 

そういうとき限って、大雨は来ないものだった。